大阪商業大学硬式野球部

大阪商業大学硬式野球部(おおさかしょうぎょうだいがくこうしきやきゅうぶ)は、関西六大学野球連盟に所属する大学野球チーム。大阪商業大学の学生によって構成されている。

創部[編集]

歴史[編集]

創部当初は阪神大学野球連盟に所属。1962年関西大学野球連合が結成され入れ替え戦制度がとられるようになり、同年秋に入れ替え戦で京都大を下し旧関西六大学野球連盟に昇格した。

その後、龍谷大立命館大大阪学院大などとの入れ替え戦で、たびたび旧関六への昇格と阪神大学野球連盟への降格とを繰り返していたが、1970年代以降は村上博監督のもとで力を付けて大商大の黄金期を迎えた。

1972年、秋季リーグの関西大1回戦でサヨナラ勝ちをし、関大山口高志投手が3回生だった1971年春季リーグ戦以来継続していた個人連勝記録を21でストップした。あわせて関大のチーム連勝記録も26でストップした。

1975年、3回生エース斉藤明夫を中心に主軸の3回生田中昌宏、2回生柳原隆弘といった選手たちが活躍し、旧関西六大学野球春季リーグで初優勝した。続く第24回全日本大学野球選手権大会準決勝で八幡大を2-1(延長10回)で下し、決勝で明治大を下し進出してきた3回生森繁和投手や中畑清らを擁する駒澤大に延長14回の末0-1で惜敗し準優勝。翌1976年、春季リーグ戦に優勝し、続く第25回全日本大学野球選手権大会では3回生江川卓投手擁する法政大や駒大を下したものの、この年採用されていた敗者復活戦で勝ち上がってきた3回生遠藤一彦投手擁する東海大に1-2で惜敗し準優勝に留まった。

1977年、1回生エース山田和英を擁して秋季リーグ戦で優勝し第8回明治神宮野球大会初出場。1979年、春季リーグ戦に優勝し第28回全日本大学野球選手権大会出場。

1981年、連合が解体され翌1982年関西学生野球連盟が創設される際に、当時旧関六秋季リーグ戦で4位だった大商大と、秋季入替戦で立命大を下し昇格してきた京産大の動向が注視されたが、新生関西六大学野球連盟に所属。同82年、清川栄治川原新治の3回生2枚看板で春秋リーグ戦を連覇した。続く春の第31回全日本大学野球選手権では、当時設けられていた関西地区代表決定戦を勝ち抜き本戦出場。選手権準決勝で田中富生投手や木戸克彦ら擁する法大に2-9で敗退。秋の第13回明治神宮野球大会でも関西地区代表となり、大会2回戦で専修大を2-1で下し、決勝では3回生高野光投手擁する東海大に3-2で惜敗したものの準優勝を果たす。

しかし1990年代以降たびたびリーグ戦で最下位になるなど低迷期を迎えることとなる。

富山陽一が監督就任後、2013年の秋季リーグ戦にて近藤大亮桂依央利の4回生バッテリーを擁して21年ぶりの優勝を遂げた。直後の第11回関西地区大学野球選手権大会も制し[1]第44回明治神宮野球大会に31年ぶり3回目の出場を果たし準決勝に進出したものの、3回生山崎福也投手や2回生高山俊ら擁する明治大に1-4で敗退。2015年には第64回全日本大学野球選手権大会にも24年ぶりに出場。

2015年春季より2019年秋季までの10季中8季で優勝し、2018年秋季から2019年秋季にかけては関六連盟記録を更新[2]する24連勝を記録した。

2022年秋、第53回明治神宮野球大会準決勝で国学院大学に2-6で敗退。

本拠地[編集]

  • 関屋グランド

記録[編集]

※2023年全日本大学野球選手権大会終了時点

主な出身者[編集]

プロ野球選手[編集]

野球指導者[編集]

野球審判員[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第11回大阪市長杯争奪 関西地区大学野球選手権大会”. univbbl.web.fc2.com. 2020年2月12日閲覧。
  2. ^ 旧関六時代からの記録も現在の関西六大学野球連盟(及び現在の関西学生野球連盟)に引き継がれており、その場合上記の関大の26連勝が最多記録となる。

外部リンク[編集]