大八洲晃

大八洲 晃(おおやしま あきら、1906年3月10日 - 1975年4月27日)は、富山県西礪波郡(現・高岡市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は坂本 多喜知(さかもと たきち、旧姓:東爪)。最高位は西前頭10枚目(1936年5月場所)。現役時代の体格は192cm、120kg。得意手は左四つ、寄り[1]

人物[編集]

入門前に松竹映画俳優をしていたという異色の経歴の持ち主。ほぼ同時期に立浪部屋に入門した双葉山と出世を争い、その体格から双葉山よりも有望視されていた。しかし、相手を引っ張り込むだけで技能に乏しい取り口だったため伸び悩んだ。

双葉山は幕下時代に大八洲に「右目が全然、見えないんだ」と打ち明けたが、それは引退するまで2人だけの秘密となった[2][1]

引退後は年寄・白玉を名乗り、立浪部屋付きの親方として後進を指導したほか、事務能力の高さを買われて相撲協会理事に就任し、名古屋場所担当を務めた[1]。長年理事、監事を務め、名古屋場所や大阪場所が本場所に昇格する際に手腕を発揮した[3]。停年直前の1971年1月廃業し、スポーツ紙競馬予想の記事を書いていた。1975年4月、69歳で死去。

略歴[編集]

主な成績[編集]

  • 幕内在位:6場所
  • 幕内戦績:29勝39敗 勝率.426
  • 各段優勝:三段目1回(1930年3月場所)

改名歴[編集]

  • 大八洲 多喜知(おおやしま たきち)1927年5月場所 - 1932年1月場所
  • 大八洲 晃( - あきら)1932年2月場所 - 1939年1月場所

年寄変遷[編集]

  • 白玉 多喜知(しらたま たきち) 1939年1月 - 1971年1月

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p25
  2. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 創業70周年特別企画シリーズ①(別冊夏季号) 68頁
  3. ^ 『年寄名跡の代々 白玉の巻』 月刊相撲2006年11月号 ベースボールマガジン社

関連項目[編集]