坂本吉勝

坂本 吉勝(さかもと よしかつ、1906年3月27日 - 1989年1月25日)は、日本の弁護士最高裁判所判事東京都出身。

概要[編集]

1931年(昭和6年)11月に東北帝国大学在学中に高等文官試験司法科に合格し、翌1932年3月に同大学法文学部を卒業[1]。同年10月に弁護士を登録して、第二東京弁護士会に所属[1]

戦時中は軍に召集されるも、終戦により復員。その後、閉鎖期間生理委員会法律室長や司法研修所民事教官を務めた[1]

1971年(昭和46年)12月7日に最高裁判事となる[1]。就任の際には「大きな勉強をしたとか、積み重ねがあるわけではないので、懸命に微力を尽くすのみです」と話した[1]

1976年(昭和51年)3月に定年退官した[2]。最高裁の柔軟時代を築いた一人だったが、定年退官をする頃にはその最後の一人になっていた[1]。退官を伝える新聞では「旧人権派」、「ハト派」として表現されていた[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 野村二郎 1986, p. 177.
  2. ^ 野村二郎 1986, p. 178.
  3. ^ ハト派次々と最高裁を去る 坂本吉勝士きょう定年『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月26日、13版、23面

参考文献[編集]

  • 野村二郎『最高裁全裁判官:人と判決』三省堂、1986年。ISBN 9784385320403 
  • 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126