国連中心主義

国連中心主義(こくれんちゅうしんしゅぎ)とは、国家安全保障などの政策を国際連合との整合性を中心にして組み立てていくこと。

具体的には、国連憲章に定められた国連の目的(その最大のものは「国際の平和と安全」)を追求する外交を目指し、それを中軸として他の外交も展開していくということである[1]

日本における国連中心主義[編集]

第二次世界大戦後(特に国連加盟後)の日本において、「国連中心主義」は、「自由主義諸国との協調」、「アジアの中の日本」と並んで(公式的な)外交政策の基本軸として位置づけられている[2]

日本における国連中心主義は、国連を外交の中心に置くことにより、「アジア諸国米国の2つの立場の真ん中で泳ぎ回る」為に考えられたとされる[3]。「国連中心主義」を打ち出した1957年版の外交青書は、国連中心主義と「自由主義諸国との協調」の関係を以下のように説明している[4]

国際連合がその崇高な目標にもかかわらず、その所期の目的を十分に果すに至つていないことは、国際政治の現実として遺憾ながらこれを認めざるを得ない。このような際に、わが国としては、一方において国際連合の理想を追求しつつも、他方において、わが国の安全を確保し、ひいては世界平和の維持に貢献するための現実的な措置として、自由民主諸国との協調を強化してきた。 — 『昭和32年版わが外交の近況』、外務省

このように、国連中心主義は、国連が「国際の平和と安全」を維持する機構として十分な機能を果たす、という前提の下で日本外交の基軸とされたのであり、常任理事国の対立等の問題で国連が期待されたような機能を果たせない状況が続く中で、実際には「自由主義諸国との協調」(特に米国との協調)こそが戦後日本外交の基軸とされたのである。

なお、「国連中心主義」の文言は、1957年発行の第1号から1958年発行の第2号まで登場したが[5][6]、1959年発行の第3号からは外交青書に記載されていない[7][8]。現在では「国連外交」との語が用いられることも多い[9][10][11]

小沢一郎が提言する自衛隊の海外派兵の新しい原則も国連中心主義と呼ばれることがあるが、これは国際連合安全保障理事会に承認された平和活動への参加はたとえ国連憲章第41条第42条の強制措置であっても憲法違反にならないとする新しい憲法解釈の提言であり、その際横田喜三郎の憲法解釈[12]を援用するものである[13]。小沢はこの原則に則り、国連憲章第7章に基づき安保理に承認された活動である湾岸戦争国際治安支援部隊(ISAF)への自衛隊の参加を主張した。また同時に自衛隊とは別組織の国連支援部隊創設を主張している。

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 国連広報センター編、加瀬俊一 / 松井明 / 鶴岡千仭 / 中川融 / 赤谷源一 / 斎藤鎮男 / 西堀正弘 / 黒田瑞夫 / 明石康『回想 日本と国連の三十年 歴代国連大使が語る《現代史の中の日本》』講談社、1986年。ISBN 4062031329 
  2. ^ 外務省 (1957年9月). “昭和32年版わが外交の近況” (HTML). 外交青書 - 外務省ホームページ. 外務省. 2021年6月21日閲覧。 “この根本目標にしたがい、今や世界の列国に伍するわが国は、その新らたな発言権をもつて、世界平和確保のため積極的な努力を傾けようとするものであるが、このような外交活動の基調をなすものは、「国際連合中心」、「自由主義諸国との協調」および「アジアの一員としての立場の堅持」の三大原則である。”
  3. ^ 斎藤鎮男『続・国際連合の新しい潮流 国際秩序の構造変化への対応』新有堂、1991年。ISBN 4880330167 
  4. ^ 外務省 (1957年9月). “昭和32年版わが外交の近況” (HTML). 外交青書 - 外務省ホームページ. 外務省. 2021年6月21日閲覧。
  5. ^ 外務省 (1958年3月). “昭和33年版わが外交の近況” (HTML). 外交青書 - 外務省ホームページ. 外務省. 2021年6月21日閲覧。 “「国際連合中心」、「自由主義諸国との協調」、「アジアの一員としての立場の堅持」という三つの原則は、この根本精神の外交活動における三つの大きな現われ方を示すものにほかならない。”
  6. ^ 外務省 (1958年3月). “昭和33年版わが外交の近況” (HTML). 外交青書 - 外務省ホームページ. 外務省. 2021年6月21日閲覧。 “「国際連合中心」の原則を実行に移すに当って、わが国は、次のような立場をとつてきた。”
  7. ^ 外務省 (2006年10月). “国連における日本の取組 ~日本と国連の50年~” (PDF). 外務省ホームページ. 外務省総合外交政策局国連企画調整課. p. 2. 2021年6月21日閲覧。 “但し、第三号以降「国連中心主義」は登場せず。”
  8. ^ なお、第3号にも「国連を中心とするわが国外交の基本方針」との文言が登場する。
    外務省 (1959年4月). “昭和34年版わが外交の近況” (HTML). 外交青書 - 外務省ホームページ. 外務省. 2021年6月21日閲覧。 “藤山首席代表は、九月十八日の総会本会議において一般討論演説を行い、国連を中心とするわが国外交の基本方針および台湾海峡問題、中近東問題、軍縮問題等当面の重要問題に対するわが国の態度をせん明するとともに世界経済の安定と拡大、とくに後進国開発に対するわが国の強い関心を披瀝し、最後に、国連は各種の対立を積極的に克服するため、寛容と理解に基く建設的な解決のための場、すなわち「世界の議場」とならねばならないと述べ、この目的のためにわが国も積極的に努力する用意がある旨を表明した。”
  9. ^ 外務省 (2017年4月). “日本の国連外交” (PDF). 国際連合(国連)日本政府代表部ホームページ. 外務省. 2021年6月21日閲覧。
  10. ^ 外務省. “国連外交”. 外務省ホームページ. 外務省. 2021年6月21日閲覧。
  11. ^ 外務省 (2021年1月27日). “日本と国連”. 外務省ホームページ. 外務省. 2021年6月21日閲覧。
  12. ^ 橫田喜三郞『自衞權』有斐閣、1951年。 
  13. ^ 世界』 2007年11月号、岩波書店、2007年。ASIN B000WGY9I6