呉世応

呉 世応(オ・セウン、朝鮮語: 오세응/吳世應1933年4月18日 - 2019年12月11日)は、大韓民国政治家。第8・9・10・11・12・14・15代大韓民国国会議員。元政務第1長官[1]

本貫海州呉氏意南(ウィナム、의남)。新教徒[1]

経歴[編集]

日本統治時代の朝鮮京畿道安城に生まれた。京畿中学校京畿高等学校を卒業後、延世大学校政治外交科に進学し、卒業した。渡米しハムライン大学を卒業後、アメリカン大学大学院で修士と博士学位を取得した。その後はボイス・オブ・アメリカアナウンサー、在米韓国留学生連合会の会長、在ワシントンD.C.韓国通信社の理事長などを務めた[1]第8代総選挙で新民党の公認で立候補して当選し、国会議員を7期務めた。また、1980年に国家保衛立法会議委員に選出された[2]。1996年7月4日から1998年5月29日まで、金令培とともに第15代国会副議長(1期)を務めた。2013年7月3日には城南発展連合の創立7周年式典に出席し、城南市の魅力や今後についてを述べた[3]。2019年12月11日、86歳で死去した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年4月2日閲覧。
  2. ^ “입법의원 81명 임명” (朝鮮語). 東亜日報 (東亜日報). (1980年10月28日). オリジナルの2016年3月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160306150222/http://gonews.kinds.or.kr/BEFORE_90_IMG/1980/10/28/19801028DAM01.pdf 2022年6月20日閲覧。 
  3. ^ ≪성남저널≫ ˝시민과 함께 성남발전을 만들어 나가겠다˝”. 성남저널. 2022年11月10日閲覧。