原村

はらむら ウィキデータを編集
原村
原村旗 原村章
村旗 村章
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
諏訪郡
市町村コード 20363-7
法人番号 3000020203637 ウィキデータを編集
面積 43.26km2
(境界未定部分あり)
総人口 7,723[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 179人/km2
隣接自治体 茅野市諏訪郡富士見町山梨県北杜市
マスコット
キャラクター
セロリン、ヤッピー、ピカタン
原村役場
村長 牛山貴広
所在地 391-0100
長野県諏訪郡原村6549-1
北緯35度57分52秒 東経138度13分03秒 / 北緯35.96439度 東経138.21739度 / 35.96439; 138.21739座標: 北緯35度57分52秒 東経138度13分03秒 / 北緯35.96439度 東経138.21739度 / 35.96439; 138.21739
原村役場
外部リンク 公式ウェブサイト

原村位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 面積は公式サイトでは43.16km2
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原村(はらむら)は、長野県諏訪郡にある村。

概要[編集]

長野県中央部、八ヶ岳山麓の西南部に位置する東西に長い地域で、標高が1000m前後の高原地帯である。山麓のひとつ立場岳の麓より発した立場川が流れる。

地理[編集]

春の村内風景

位置[編集]

日本列島のほぼ中央、諏訪盆地の南東に位置し、山列の西斜面に東西に細長く広がっている[1]。標高は中央道直下の840メートルから阿弥陀岳山頂の2806メートルの間にあり、周囲は約50㎞、総面積は約40km2[1]

地形[編集]

阿弥陀岳を頂点として西斜面に細長く広がり、山岳部・山麓部・平坦部の3つに分けられる[2]。山岳部は標高約1600m以上の八ヶ岳の山岳地帯であり、急峻な山岳地形を形成している[2]。山麓部は標高1200m付近までなだらかな傾斜が広がり森林と原野が続くが、保養地や別荘地の開発により観光地化が進んでいる[2]。平坦部は緩やかな西斜面に幾筋もの谷と丘が形成され古くから集落が点在している[3]。阿弥陀岳より流れる立場川と柳川扇状地が重なった複合扇状地上に村は位置する[3]。ほか、扇状地内には弓振川、前沢川、小早川などが流れ、平坦部を侵食して東西方向の谷を形成している[3]

気候[編集]

ケッペンの気候区分によると、原村は亜寒帯湿潤気候湿潤大陸性気候に属する。最暖月の平均気温は22.0℃、最寒月の平均気温は-3.0℃であり、温暖湿潤気候及び西岸海洋性気候との境界に位置している。冬季は-15℃前後の気温が観測されることが珍しくなく、寒さが厳しい。

原村(1991-2020)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 14.3
(57.7)
17.1
(62.8)
22.2
(72)
27.4
(81.3)
30.1
(86.2)
33.4
(92.1)
33.7
(92.7)
33.9
(93)
31.9
(89.4)
26.7
(80.1)
22.8
(73)
18.3
(64.9)
33.9
(93)
平均最高気温 °C°F 2.4
(36.3)
3.6
(38.5)
8.3
(46.9)
15.1
(59.2)
20.2
(68.4)
23.1
(73.6)
26.8
(80.2)
28.1
(82.6)
23.4
(74.1)
17.4
(63.3)
11.7
(53.1)
5.6
(42.1)
15.5
(59.9)
日平均気温 °C°F −3.0
(26.6)
−2.2
(28)
1.9
(35.4)
8.0
(46.4)
13.5
(56.3)
17.3
(63.1)
21.3
(70.3)
22.0
(71.6)
17.7
(63.9)
11.5
(52.7)
5.5
(41.9)
0.0
(32)
9.5
(49.1)
平均最低気温 °C°F −8.1
(17.4)
−7.8
(18)
−3.8
(25.2)
1.7
(35.1)
7.5
(45.5)
12.7
(54.9)
17.1
(62.8)
17.6
(63.7)
13.5
(56.3)
6.8
(44.2)
0.3
(32.5)
−4.9
(23.2)
4.4
(39.9)
最低気温記録 °C°F −16.9
(1.6)
−19.7
(−3.5)
−14.5
(5.9)
−8.7
(16.3)
−2.5
(27.5)
2.4
(36.3)
9.5
(49.1)
9.4
(48.9)
1.2
(34.2)
−4.7
(23.5)
−10.5
(13.1)
−15.1
(4.8)
−19.7
(−3.5)
降水量 mm (inch) 46.6
(1.835)
57.5
(2.264)
100.3
(3.949)
100.4
(3.953)
110.6
(4.354)
151.1
(5.949)
167.9
(6.61)
112.9
(4.445)
168.7
(6.642)
143.6
(5.654)
68.9
(2.713)
43.1
(1.697)
1,271.5
(50.059)
平均月間日照時間 185.2 183.3 190.2 197.2 211.9 164.9 172.9 204.5 156.3 165.0 177.7 179.1 2,188.4
出典:気象庁[4]

歴史[編集]

沿革[編集]

明治22年の町村制の施行以来、周辺の村は合併により茅野市や富士見町となったが、原村は合併をしていない。神事である諏訪大社御柱祭において、原地区の氏子は茅野市泉野地区の氏子と共同で上社の一本の柱を曳航している。

  • 1871年(明治4年) - 戸籍区の編制により村域は筑摩県第105区(大久保村、柳沢村、八ツ手新田村及び払沢新田村)と第106区(柏木新田村、菖蒲沢村、中新田村及び室内新田村)となる[5]
  • 1873年(明治6年) - 大区小区制により筑摩県第14大区第7小区・第8小区となる[5]
  • 1875年明治8年)1月23日 - 筑摩県諏訪郡大久保村、柳沢村、八ツ手新田村、払沢新田村、柏木新田村、菖蒲沢村、中新田村及び室内新田村が合併して、諏訪郡原村が発足する。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、諏訪郡原村の区域をもって、諏訪郡原村が発足する。
  • 1981年昭和56年) - 中央自動車道が開通。

人口[編集]

原村と全国の年齢別人口分布(2005年) 原村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 原村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

原村(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


行政[編集]

歴代村長[編集]

特記なき場合『原村誌 下巻』および『郷土の歩み 風土と歴史 新田開発四百年記念誌』による[6][7][8]

氏名 就任 退任 備考
原村戸長(公選)
荒木嘉助 1879年(明治12年)8月 1881年(明治14年)4月
堀内治郎吉 1881年(明治14年)6月 1885年(明治18年)3月
原村戸長(官選)
中島廣蔵 1885年(明治18年)3月 1889年(明治22年)
原村長(官選)
1 堀内治郎吉 1889年(明治22年)5月 1892年(明治25年)10月
2 藤原光蔵 1892年(明治25年)12月 1894年(明治27年)4月
3 平林信休 1894年(明治27年)5月 1896年(明治29年)10月
4 中村嘉重 1897年(明治30年)1月 1899年(明治32年)5月
5 高橋豊重 1899年(明治32年)6月 1901年(明治34年)8月
6 小泉賢蔵 1901年(明治34年)8月 1903年(明治36年)3月
7 小林時松 1903年(明治36年)4月 1903年(明治36年)11月
8 中村嘉重 1903年(明治36年)12月 1907年(明治40年)9月
9 平林長次郎 1907年(明治40年)10月 1908年(明治41年)7月 村長代理
10 清水藤吉 1908年(明治41年)8月 1909年(明治42年)7月
11 鎌倉徳之亟 1909年(明治42年)10月 1913年(大正2年)9月
12 秋山筆八 1913年(大正2年)10月 1916年(大正5年)7月
13 平林新吾 1916年(大正5年)8月 1918年(大正7年)10月
14 松原弘一 1918年(大正7年)11月 1918年(大正7年)11月 職務管掌
15 古畑久太郎 1918年(大正7年)11月 1919年(大正8年)3月 代理村長
16 柳沢市之亟 1919年(大正8年)3月 1920年(大正9年)5月 代理村長
17 清水長吉 1920年(大正9年)5月 1921年(大正10年)1月
18 伊藤源太郎 1921年(大正10年)1月 1921年(大正10年)9月
19 野明亥助 1921年(大正10年)11月 1923年(大正12年)3月
20 寺島弘 1923年(大正12年)5月 1923年(大正12年)6月 職務管掌
21 中沢徳三郎 1923年(大正12年)6月 1925年(大正14年)2月 代理村長
22 高橋睦示 1925年(大正14年)2月 1928年(昭和3年)2月
23 清水長吉 1928年(昭和3年)7月 1932年(昭和7年)7月
24 小松良金 1932年(昭和7年)7月 1937年(昭和11年)2月
25 清水兵司 1937年(昭和11年)3月 1941年(昭和16年)3月
26 小林重三郎 1941年(昭和16年)3月 1945年(昭和20年)3月
27 伊藤菊重 1945年(昭和20年)3月 1946年(昭和21年)2月
28 木下源五郎 1946年(昭和21年)2月 1947年(昭和22年)4月
原村長(公選)
29 荒木宗治 1947年(昭和22年)4月 1951年(昭和26年)4月
30 真道清七 1951年(昭和26年)4月 1955年(昭和30年)4月
31 菊池雅吉 1955年(昭和30年)4月 1959年(昭和34年)4月
32 野明為義 1959年(昭和34年)4月 1963年(昭和38年)4月
33 小池亮次 1963年(昭和38年)4月 1964年(昭和39年)11月
鎌倉千振 1964年(昭和39年)11月 1964年(昭和39年)12月 職務代理
34 清水徳長 1964年(昭和39年)12月 1968年(昭和43年)11月
35 菊池七郎 1968年(昭和43年)12月 1972年(昭和47年)11月
36 小林庄吉 1972年(昭和47年)12月 1984年(昭和59年)11月
37 菊池八五郎 1984年(昭和59年)12月 1999年(平成11年)7月 [9]
38 清水 澄 1999年(平成11年)8月 2015年(平成27年)8月 [9]
39 五味武雄 2015年(平成27年)8月 2023年(令和5年)8月 [9]
40 牛山貴広 2023年(令和5年)8月 現職 [10]

村議会[編集]

  • 議員定数:11人
  • 議長:松下浩史

地域[編集]

地区[編集]

大久保、柏木、上里、菖蒲沢、中新田、払沢、原山、判之木、南原、室内、やつがね、八ツ手、柳沢

隣接する自治体[編集]

観光[編集]

名所・旧跡[編集]

観光スポット[編集]

経済[編集]

産業[編集]

  • 主な産業
    農業を基幹産業とし、高原野菜の生産が盛んで、特にセロリアネモネの生産量は日本一である。また、八ヶ岳山麓の避暑地として観光業も盛んで、ペンションビレッジもある。ペンションビレッジは1973年9月にPSD(ペンション・サービス・デベロップメント)により6軒が着工され、営業が開始された。現在のペンションビレッジは第1との第2の二つがある。
  • 産業人口
  • 諏訪南工業団地

交通[編集]

鉄道[編集]

村内に鉄道は通っていない。村役場の最寄り駅は茅野市の青柳駅

道路[編集]

路線バス[編集]

このほかに町内各地で利用できるAI乗合オンデマンド交通「のらざあ」があるが、利用者登録が必要。

その他[編集]

ヘリコプターの発着場があり、八ヶ岳での遭難者の救助に活用されている。

教育[編集]

※ 1962年3月まで、長野県富士見高等学校の原分校があった。

対外関係[編集]

姉妹都市[編集]

その他[編集]

自動車のナンバープレートは、2006年10月10日以降、ご当地ナンバーである諏訪ナンバー(長野運輸支局松本自動車検査登録事務所)が割り当てられている。

「最後の土葬」という題名のカラー映像が残っている。

出身・関連著名人[編集]

出身有名人[編集]

ゆかりの著名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 原村 1985, 1頁.
  2. ^ a b c 原村 1985, 3頁.
  3. ^ a b c 原村 1985, 4頁.
  4. ^ 原村1991-2020年”. 気象庁. 2024年3月7日閲覧。
  5. ^ a b 原村 1993, 1307頁.
  6. ^ 原村 1993, 35頁.
  7. ^ 原村 1993, 1307-1323頁.
  8. ^ 原村四百年史編纂委員会 2010, 323頁.
  9. ^ a b c 令和元年度版 原村の統計”. 原村. p. 22. 2021年8月24日閲覧。
  10. ^ 現役競輪選手の牛山貴広氏、故郷長野・原村村長に初当選 兼職できず選手引退へ 元冬季五輪代表”. 日刊スポーツ (2023年7月31日). 2023年7月31日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]