加賀山朝雄

加賀山 朝雄(かがやま ともお 1926年昭和元年)12月31日 - 1999年平成11年)10月25日)は、日本国有鉄道常務理事、日本交通公社専務。享年72。

来歴・人物[編集]

東大の長距離砲[編集]

現在の東京都中野区出身。父・加賀山學は鉄道省工務局長を務めた。東大野球部時代は大型スラッガーとして知られ、最終学年となる1949年昭和24年)の東京六大学野球リーグ戦で東大の主軸・一塁手(ライト・センター)として活躍した。

山崎諭山崎喜暉ら「両山崎」が抜けた後、速球派の島村俊雄投手(陸士)、塩田捕手(旧制浦和高)、加賀山外野手、伊藤驍遊撃手(旧制姫路高)、佐藤二塁手(旧制新潟高)らの布陣でリーグ戦に臨み、春のリーグ戦では、慶大、法大から2勝して勝ち点を奪い、早大、明大からそれぞれ1勝を勝ち取った。とくに慶大戦では、両校ホームランの応酬で、一回戦 4-3、二回戦 5-4 と連勝した。ただし順位こそ慶大に次ぐ6位となってしまった。続いて秋のリーグ戦では、慶大、立大から勝ち点を奪ったが、順位は5位であった。特に強力打線が注目され、シーズン通してチームホームラン8本と打ちまくった[1]

また、1949年10月30日のサンフランシスコ・シールズ VS 六大学選抜軍との試合では、フランク・オドール投手[2]からモーションを盗み、三塁へのスチールを成功させた。

卒業後は、叔父の加賀山之雄が総裁を務める国鉄入社。国鉄では常務理事まで務めた。経営企画室長から常務を経た1978年に、国鉄のキャンペーンソングに「いい日旅立ち」が採用された。

1949年シーズン 東大全ホームラン数[編集]

  • 1949年春
対慶大二回戦 加賀山・伊藤
対早大一回戦 加賀山
対早大三回戦 伊藤
  • 1949年秋
対明大一回戦 佐藤・塩田
対早大一回戦 佐藤
対法大一回戦 加賀山

略歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『六大学野球は最高 広岡・長島・江川・そして……』 田山力哉 社会思想社
  2. ^ 子供だけを招待する「オドールデー」として急遽組まれた六大学選抜軍との試合では、オドール監督自身が先発登板した。なお六大学選抜軍は明治とのリーグ戦優勝争い中の法政・関根潤三が先発登板し、翌々日の明大戦で敗れ優勝を逃した。

参考文献[編集]