力石健次郎

力石 健次郎(ちからいし けんじろう、1916年大正5年〉8月6日 - 1995年平成7年〉2月9日)は、日本外交官

経歴[編集]

愛媛県喜多郡大洲町(現:大洲市)出身。旧大洲藩士・力石八十綱の三男・力石敏三郎(海軍中佐)の次男として母マツ(海軍主計中将池辺安雄の妹)との間に横須賀市汐入で生を受ける。

敏三郎は力石雄一郎の弟にあたる。幼少期は海軍士官だった父の赴任先である朝鮮鎮海にも帯同している(妹 スミ子の出生地)。

父が本土に戻った後、一時期母マツの実家でもある熊本で暮らし熊本市立春日尋常小学校卒業~中学校入学となるが、その後横浜神奈川区台町とも)に移り住み神奈川県立第一中学校に転校。

その後旧制第一高等学校を経て昭和15年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。

帝大在籍中に外交官試験に合格。卒業後外務省入省。入省後、フランス語研修を受ける[1]太平洋戦争が始まると軍に志願し海軍主計中尉となる。

戦後となり昭和20年に復員。外務省国連局参事官1963年)、初代中近東アフリカ局長1965年)、駐カンボジア特命全権大使1967年)、駐ポーランド特命全権大使(1971年)、外務省儀典長1972年)、駐スイス特命全権大使(1974年)を歴任。1978年退官。

退官後は日本電気株式会社顧問(1979年)、1980年から二代目迎賓館館長を務めた。

1995年2月9日死去。享年78歳。

略歴[2][編集]

退官後の役職[編集]

栄典[編集]

参考文献[編集]

  • 愛媛放送株式会社 (著) 『えひめ 人 その風土』(愛媛放送株式会社 1986/12/10)ASIN : B01GC1C6PC
  • 愛媛新聞社情報センター(編)『愛媛県人名大事典』(愛媛新聞社 1987/1/23)ASIN : B01LTIBAUA

脚注[編集]

  1. ^ 『外務省研究-日本外交 失態・実態と実績分析』永野信利著 サイマル出版 1975年
  2. ^ 『日本官界名鑑』1970年版 日本官界情報社