元末明初

元末明初(げんまつみんしょ)は、(1271年 - 1368年)と(1368年 - 1644年)[1]の王朝交代、及びその期間の便宜的時代区分である。王朝交代そのものについては元末革命、元明交代(交替)とも。

紅巾の乱、各勢力の勢力図

概要[編集]

元の統治能力の低下と相次ぐ飢饉により、1348年頃より方国珍が海賊を働くようになった事が遠因となり、1351年から発生した紅巾の乱では、白蓮教の教祖である韓山童が反乱を企て処刑された後、1355年に劉福通が韓山童の子の韓林児を擁立してを建てた(東系紅巾)[2]

中国南部の湖北でも1351年に徐寿輝が帝号を称して天完を建てた(西系紅巾)[2]

しかしその後、東系紅巾の宋、西系紅巾の天完はいずれも内部崩壊を起こし、それぞれの有力勢力同士の争いが勃発した[2]

各勢力[編集]

明以外の勢力は、明の朱元璋によって滅ぼされるか、元によって弱体化させられるかなどして、1380年頃には消滅した。

独立勢力
勢力名(地域) 存在年 拠点 初代君主 最後の君主 滅亡原因
紅巾の乱 1355〜1366、11年間 開封 韓林児 韓林児 軍の反撃による弱体化、自然消滅
天完(西系紅巾) 1351〜1360、9年間 蘄水漢陽徳化 徐寿輝 徐寿輝 陳友諒による殺害、明玉珍の台頭
漢(陳漢 1360〜1364、4年間 武昌 陳友諒 陳理 朱元璋に降伏
呉(張呉 1363〜1367、4年間 高郵隆平府 張士誠[注釈 1] 張士誠 朱元璋により滅亡
夏(明夏 1360〜1371、11年間 重慶 明玉珍 明昇 朱元璋に降伏

関連項目[編集]

脚注[編集]

  • 出典
  1. ^ 杉山正明 『モンゴル帝国の興亡(下)世界経営の時代』 講談社講談社現代新書〉1996年6月、ISBN 4-06-149307-8
  2. ^ a b c 伊藤亜人他監修平凡社編『朝鮮を知る事典』平凡社、1986年
  • 注釈
  1. ^ 1354〜1357に周王として在位。