伊東大貴

伊東大貴
基本情報
誕生日 (1985-12-27) 1985年12月27日(38歳)
出身地 日本の旗 日本
北海道下川町
選手情報
クラブ 雪印メグミルク
使用メーカー フィッシャー
最高記録 243.0m
ワールドカップ
シーズン 2002 - 2022年
優勝回数 4回
他の表彰台 13回
表彰台獲得数 17回
獲得メダル
男子 スキージャンプ
オリンピック
2014 ソチ 団体ラージヒル
ノルディックスキー世界選手権
2013 ヴァル・ディ・フィエンメ 混合団体ノーマルヒル
2007 札幌 団体ラージヒル
2009 リベレツ 団体ラージヒル
2017 ラハティ 混合団体ノーマルヒル
2019 ゼーフェルト 男子団体ラージヒル
最終更新日:2022年4月1日
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伊東 大貴(いとう だいき、1985年12月27日 - )は、日本の元スキージャンプ選手で、現在は指導者である。北海道下川町出身。オリンピック5大会(2006トリノ、2010バンクーバー、2014ソチ、2018平昌、2022年北京)日本代表2014年ソチオリンピック団体銅メダリスト。2013年世界選手権混合団体金メダリスト。

経歴[編集]

元々はアルペンスキーをやっていたが、小学生の時にジャンプ競技に興味を持ち、親の目を盗んでジャンプを始める[1]

中学組で圧倒的な強さを見せていた2000年には1月10日HBCカップジャンプ競技会で、歴代最年少の14歳と14日でラージヒルの公式試合に出場し25位となっている。またこの時は試合の前に練習で飛んでいるので、葛西紀明を抜き大倉山を跳んだ当時の歴代最年少記録も樹立している(現在の記録は2007年に小学4年生でテストジャンパーとして跳んだ伊藤将充)。この伊東の快挙で、以後中学生年代でもラージヒルの大会にエントリーできるようになった。

下川商業高校を経て一時は雪印乳業への入社を決めていたが、同郷で幼なじみの千田侑也土屋ホーム入社を決めたため、自身も一転して土屋に入った。

2005年1月6日オーストリアビショフスホーフェンでのジャンプ週間最終戦でこの台のバッケンレコードとなる143mを飛び初めてW杯の表彰台(3位)に立った。また、同年3月20日にはスロベニアプラニツァで行われたW杯最終戦のフライングヒルで2本目に222.5mを飛び、19歳ながら日本人で初めて220mの壁を突破している。

豪快なジャンプスタイルだけでなく、底抜けに明るくいつも笑顔でいることや必要以上にユーモアとウィットに富んだ発言を連発することなどからも、原田雅彦の後継者として期待されている。また国内大会の表彰式などでは、撮影タイムで表彰台から降りて自分の携帯電話で他の表彰選手を撮影して観客の笑いを取ることが時折見られる。

2008年2月に結婚し新居を構えたが、その新居を手がけたのは2006年シーズン限りで現役引退し、土屋ホームの社業に専念していた千田侑也であった。

この年のサマーグランプリでは3度2位に入る活躍を見せたが、帰国後の10月6日に土屋ホームがチームへの支援を縮小したのに伴い、木下監督、伊藤謙司郎と共に10月限りで退社し、新天地を求めることが明らかになった[2] が、所属先が決まらず、土屋ホーム所属期限を12月いっぱいまで延長した後、木下監督、伊藤とともに2009年1月1日からはサッポロスキッドに名義を借りていた(大会に出場するための暫定的な措置で、山田いずみ渡瀬あゆみもサッポロスキッドの名義を借りていたことがある。)。また、1月21日には伊藤とともに日立製作所の支援を受けることが決まった。2月6日には木下監督、伊藤謙司郎と共に、携帯ショッピングサイトを手がけるモバイルコンビニの支援を受けることが発表された[3]

2009年4月1日付で雪印乳業株式会社(現・雪印メグミルク株式会社)に入社[4][5] した。

2011-2012シーズンは序盤躓いたもののすぐに好調に転じ、度々W杯の表彰台に立つようになる。一時帰国した2012年1月21日の第39回HTBカップで大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコード(146.0m)を記録すると、好調そのままに1月28日、地元札幌でのW杯で日本人として12人目となる念願の初優勝を果たした[6]。翌29日も優勝し、日本人選手としては1999年1月の葛西紀明以来、13季ぶりのW杯連勝を達成[7]。また、2月26日にはヴィケルスンでのスキーフライング世界選手権団体戦の1本目で240.0mの日本人歴代最長不倒を達成した。3月4日のフィンランドラハティ大会では国外でのW杯初優勝を果たし、続く3月8日のノルウェートロンハイム大会で4勝目。2011-2012シーズン合計で9度表彰台に立ち、シーズン個人総合成績で自己最高の4位に入った。日本人選手が個人総合成績で10位以内に入るのは2003-2004シーズン8位の葛西紀明以来である。

2012-13シーズンはワールドカップ序盤戦を膝の故障のため欠場し、年末年始のスキージャンプ週間ガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会から復帰した[8]。しばらくは30位台が続き、ポイントを獲得できなかったが、1月19日の札幌大会と2月16日のオーベルストドルフ大会で6位に入り復調。直後にイタリアのヴァル・ディ・フィエンメで開催された世界選手権では、伊藤有希高梨沙羅竹内択とともに出場した男女混合団体で金メダルを獲得。世界選手権後のワールドカップで2度表彰台を獲得した。

2013-14シーズンは12月8日のリレハンメル大会で3位。ソチオリンピックの日本代表にも選出されたが、オリンピック直前のワールドカップで左膝を痛めたため、ノーマルヒルは欠場し[9]、ラージヒル一本に絞り入賞まであと一歩に迫る9位。清水礼留飛竹内択葛西紀明とともに出場した団体では3番手を任され130m越えのジャンプを2本揃えて1998年長野オリンピック以来16年ぶりのメダルとなる銅メダル獲得に貢献した。団体戦でも膝の状態は悪く2本目の着地の後に倒れこむ場面が見られ、フラワーセレモニーではまともに歩くこともできない状態であった[10]。五輪後の海外遠征はキャンセルしてシーズンを終えた。

2014-15シーズンは開幕よりW杯メンバーに復帰。ソチ五輪と同じメンバーと挑んだ団体第1戦で2位。個人戦も11月28日の第2戦(フィンランド・ルカ)で2シーズンぶりの2位でシーズン初表彰台を獲得した。その他に2大会で4位を記録した。

2015-16シーズンは1月1日のジャンプ週間ガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会から6戦連続でトップ10入り。このうち1月30日札幌大会と2月10日トロンハイム大会で5位。1月31日の札幌大会では1回目で首位に立ったが2回目で順位を落として7位。

2016-17シーズンは、3月12日にオスロで4位となったのが最高成績。この他12月17日エンゲルベルク大会(5位)、2月12日札幌大会(8位)でトップ10入りした。ラハティでの世界選手権では男女混合団体ノーマルヒルで銅メダルを獲得。個人ノーマルヒルでも10位に入った。

2017-18シーズンもW杯メンバー入りしたが、11月19日の第1戦ヴィスワ大会で転倒し、右肩を負傷したため帰国した[11]。この怪我の影響もありこの年のW杯出場は2試合に留まり総合63位に終わった。平昌五輪は個人ノーマルヒル20位、団体ラージヒル6位だった。

2018-19シーズンもW杯メンバー入りしたが、30位以内に残れない試合がしばしばありスキージャンプ週間のガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会の12位が最高で総合32位だった。世界選手権では団体ラージヒルで銅メダルを獲得した。

2019-20シーズンはサマーグランプリ白馬大会参戦の後、W杯開幕戦のヴィスワ大会およびスキージャンプ週間のガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会で5位に入るなどし、総合24位でシーズンを終えた。

2020-21シーズンは、コロナ禍のため10月以降の開催となったサマージャンプ国内戦は7戦中、2位3回、3位2回の成績でワールドカップへ向かった。ワールドカップではルカ大会1日目の21位が今季最高と調子が上がらず、エンゲルベルク大会後に一度帰国。HBC杯3位入賞の後再度ワールドカップに参戦したが、腰を痛めて[12]帰国、総合55位でシーズンを終えた。

2021-22シーズンでは北京五輪の代表に選ばれたが、出場機会はなかった。北京五輪終了後の3月7日、今季限りでの引退を表明[13]。ワールドカップより一時帰国し、伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会に出場し優勝した[14]。その後ワールドカップに戻り、プラニツァ大会の団体戦が現役最後のジャンプとなった[15]

2022年4月より雪印メグミルクスキー部のコーチに就任した[14]

主な競技成績[編集]

オリンピック[編集]

世界選手権[編集]

フライング世界選手権[編集]

ジュニア世界選手権[編集]

  • 2001年カルパチ大会(ポーランドの旗 ポーランド
    • 個人ノーマルヒル 24位
    • 団体ノーマルヒル 7位(桐生貴幸、樋口大二郎、讃良貴志、伊東大貴
  • 2002年ショーナッハ大会(ドイツの旗 ドイツ
    • 個人ノーマルヒル 2位
    • 団体ノーマルヒル 5位(細山周作、讃良貴志、樋口大二郎、伊東大貴
  • 2003年ソレフテオー大会( スウェーデン
    • 個人ノーマルヒル 23位
    • 団体ノーマルヒル 9位(吉成広志、山本健太、長南翼、伊東大貴

ワールドカップ[編集]

  • 通算4勝、2位6回、3位7回(2021/22シーズンまで)
  • シーズン個人総合最高成績 4位(2011/12シーズン)
  • スキージャンプ週間総合最高成績 6位(2011/12シーズン)
個人総合成績(総合:W杯シーズン個人総合、4H:スキージャンプ週間総合
シーズン 総合 4H 優勝 準優勝 3位
2003/04 37位 --- 0回 0回 0回
2004/05 13位 07位 0回 0回 1回
2005/06 19位 23位 0回 1回 0回
2006/07 60位 45位 0回 0回 0回
2007/08 31位 56位 0回 0回 0回
2008/09 29位 19位 0回 0回 0回
2009/10 16位 13位 0回 0回 2回
2010/11 15位 32位 0回 0回 0回
2011/12 04位 06位 4回 3回 2回
2012/13 26位 50位 0回 1回 1回
2013/14 21位 14位 0回 0回 1回
2014/15 16位 32位 0回 1回 0回
2015/16 16位 13位 0回 0回 0回
2016/17 24位 25位 0回 0回 0回
2017/18 63位 --- 0回 0回 0回
2018/19 32位 21位 0回 0回 0回
2019/20 24位 9位 0回 0回 0回
2020/21 55位 --- 0回 0回 0回
2021/22 39位 32位 0回 0回 0回
合計 --- --- 4回 6回 7回
ワールドカップ個人表彰台
シーズン 開催日 開催地 HS 成績 備考
2004/05 1月6日 オーストリアの旗 ビショフスホーフェン 140 3位 スキージャンプ週間
2005/06 1月22日 日本の旗 札幌 134 準優勝
2009/10 12月20日 スイスの旗 エンゲルベルク 137 3位
1月16日 日本の旗 札幌 134 3位
2011/12 12月9日 チェコの旗 ハラホフ 142 準優勝
1月1日 ドイツの旗 ガルミッシュ=パルテンキルヒェン 140 3位 兼スキージャンプ週間
1月15日 オーストリアの旗 タウプリッツ 200 準優勝
1月28日 日本の旗 札幌 134 優勝(1)
1月29日 日本の旗 札幌 134 優勝(2)
2月12日 ドイツの旗 ヴィリンゲン 145 3位
2月18日 ドイツの旗 オーベルストドルフ 213 準優勝
3月4日 フィンランドの旗 ラハティ 97 優勝(3)
3月8日 ノルウェーの旗 トロンハイム 131 優勝(4)
2012/13 3月12日 フィンランドの旗 クオピオ 127 準優勝
3月15日 ノルウェーの旗 トロンハイム 140 3位
2013/14 12月8日 ノルウェーの旗 リレハンメル 138 3位
2014/15 11月28日 フィンランドの旗 ルカ 130 準優勝
男子団体
シーズン 開催日 開催地 HS 成績 メンバー
2003/04 3月6日 フィンランドの旗 ラハティ 130 3位 東輝 伊東大貴 宮平秀治 葛西紀明
2010/11 11月27日 フィンランドの旗 クーサモ 142 3位 栃本翔平 葛西紀明 竹内択 伊東大貴
2011/12 11月27日 フィンランドの旗 クーサモ 142 準優勝 小林潤志郎 栃本翔平 竹内択 伊東大貴
2013/14 11月23日 ドイツの旗 クリンゲンタールドイツ語版 140 3位 伊東大貴 清水礼留飛 竹内択 葛西紀明
2014/15 11月22日 ドイツの旗 クリンゲンタール 140 準優勝 清水礼留飛 伊東大貴 葛西紀明 竹内択
3月6日 フィンランドの旗 ラハティ 130 3位 栃本翔平 竹内択 伊東大貴 葛西紀明
2015/16 2月6日 ノルウェーの旗 オスロ 134 3位 竹内択 作山憲斗 伊東大貴 葛西紀明
2月22日 フィンランドの旗 クオピオ 127 3位 竹内択 作山憲斗 伊東大貴 葛西紀明
2018/19 2月9日 フィンランドの旗 ラハティ 130 3位 佐藤幸椰 伊東大貴 小林潤志郎 小林陵侑
2019/20 12月14日 ドイツの旗 クリンゲンタール 140 3位 佐藤幸椰 伊東大貴 小林潤志郎 小林陵侑
混合団体
シーズン 開催日 開催地 HS 成績 メンバー
2013/14 12月6日 ノルウェーの旗 リレハンメル 100 優勝 伊藤有希 伊東大貴 髙梨沙羅 竹内択

サマーグランプリ[編集]

  • 通算3勝、2位7回、3位2回(2021シーズンまで)
    • 2010シーズンに総合優勝(3勝、2位1回、3位1回)
シーズン 順位 ポイント
2004 15. 116
2005 42. 29
2006 20. 109
2007 20. 107
2008 6. 264
2009 7. 252
2010 1. 530
2011 16. 164
2013 51. 46
2015 53. 53
2016 20. 102
2017 37. 49
2018 16. 110
2019 27. 85
2021 21. 95

国内大会[編集]

  • 1998年6月28日 第4回名寄ピヤシリサマージャンプ大会中学生の部
  • 1999年1月16日 第31回北海道中学校スキー大会
  • 1999年7月25日 第5回名寄ピヤシリサマージャンプ大会中学生の部
  • 2000年1月9日 第41回雪印杯全日本ジャンプ大会ジュニアの部
  • 2000年1月15日 第32回北海道中学校スキー大会
  • 2000年2月8日 第37回全国中学校スキー大会
  • 2000年3月12日 第34回雪印杯全日本ジャンプ旭川大会ジュニアの部
  • 2000年3月15日 第19回全国ジュニアオリンピック大会中学生の部
  • 2000年7月16日 第6回名寄ピヤシリサマージャンプ大会中学生の部
  • 2001年1月7日 第42回雪印杯全日本ジャンプ大会ジュニアの部
  • 2001年2月28日 第20回全国ジュニアオリンピック大会中学生の部
  • 2001年3月18日 第35回雪印杯全日本ジャンプ旭川大会ジュニアの部

脚注[編集]

  1. ^ 日本ジャンプ陣のホープ・伊藤大貴選手と語る” (PDF). 札幌市. 2014年10月22日閲覧。
  2. ^ “求む!スポンサー 伊東大貴が新体制へ”. スポーツニッポン. (2008年10月9日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2008/10/09/kiji/K20081009Z00000450.html 
  3. ^ “モバイルコンビニ、伊東大貴・伊藤謙司郎選手を支援”. NewsAsiaBiz. (2009年2月8日). http://asiabiz.sakura.ne.jp/first_website/newsasiabiz/2009/02/post_5983.html 
  4. ^ 伊東大貴、伊藤謙司郎選手 雪印スキー部へ入部』(プレスリリース)全日本スキー連盟、2009年4月1日http://www.ski-japan.or.jp/official/saj/articles/info_20090401_02.html2014年10月22日閲覧 
  5. ^ チーム雪印新メンバーのご紹介”. 2009年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月7日閲覧。雪印乳業株式会社
  6. ^ http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20120129k0000m050046000c.html [リンク切れ]
  7. ^ “ジャンプ、伊東が逆転で2連勝 W杯札幌大会”. 47NEWS. (2012年1月29日). http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012901001142.html 
  8. ^ “「昨季に恥じないよう」伊東大貴、ジャンプ週間へ”. スポーツニッポン. (2012年12月27日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/12/27/kiji/K20121227004860960.html 
  9. ^ “伊東大貴は左膝裏に痛み LHも欠場か”. 日刊スポーツ. (2014年2月13日). https://www.nikkansports.com/sochi2014/skijump/news/f-sochi-tp0-20140213-1256796.html 
  10. ^ “4人でつかんだ銅 膝痛に耐えた伊東「最後までもってよかった」”. スポーツニッポン. (2014年2月18日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/18/kiji/K20140218007613810.html 
  11. ^ 伊東大貴、右肩脱臼で帰国へ W杯個人第1戦で転倒
  12. ^ “佐藤幸椰と中村直幹8位で本戦進出”. 日刊スポーツ. (2021年2月13日). https://www.nikkansports.com/sports/news/202102130000063.html 2021年3月29日閲覧。 
  13. ^ スキージャンプ伊東大貴 今季限りで現役引退 14年ソチ五輪団体銅メダル”. 日刊スポーツ (2022年3月7日). 2022年4月1日閲覧。
  14. ^ a b 伊東大貴「本当に幸せなジャンプ人生」引退会見後のラスト試合で有終V”. 日刊スポーツ (2022年3月19日). 2022年4月1日閲覧。
  15. ^ 佐藤幸椰、佐藤慧一、小林陵侑、伊東大貴の日本6位、スロベニアV W杯ジャンプ男子団体”. 日刊スポーツ (2022年3月26日). 2022年4月1日閲覧。

外部リンク[編集]