二神島

二神島
二神島の空中写真。
2019年2月5日撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本愛媛県
所在海域 瀬戸内海
座標 北緯33度55分48.4秒 東経132度31分53.4秒 / 北緯33.930111度 東経132.531500度 / 33.930111; 132.531500座標: 北緯33度55分48.4秒 東経132度31分53.4秒 / 北緯33.930111度 東経132.531500度 / 33.930111; 132.531500
面積 2.15 km²
海岸線長 10 km
最高標高 90.8 m
二神島の位置(愛媛県内)
二神島
二神島
二神島 (愛媛県)
二神島の位置(日本内)
二神島
二神島
二神島 (日本)
プロジェクト 地形
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二神島(ふたがみじま)とは、瀬戸内海の中部に位置する忽那諸島に属する。島嶼群では南西に位置する。行政区画は愛媛県松山市に属する。(旧 温泉郡中島町

自然[編集]

  • 周囲 10 km
  • 面積 2.15 km2
  • 東西に細長い形をしており、島の南側は切り立った崖が続く。

歴史[編集]

  • かつては島に松が多く、松島と呼ばれていた。
  • 中世期二神氏が本島を拠点に忽那諸島を支配した。臣従していた河野氏が滅び近世になると庄官と称し、庄屋役へ転換した[1]。神奈川大学の萬井良大によるとこの二神氏は「二神某ノ口上書や豊田藤原氏子孫系図次第などにより、長門豊田氏が二神島に移って来て、二神氏を名乗ったことにより始まったと考えられてきた。しかし実際には長門豊田氏が忽那諸島で活動する以前より、二神島には二神氏がいたと思われる。そして確認できるだけでも黒子二神家・多口井二神家・豊田二神家・吉金(新田)二神家と、さまざまな家に相伝されつつも、二神家としての連続性を中世を通じて保ってきた。」[2]と、黒子、多口井、豊田、吉金など様々な系統が存在していたことが示唆されている。それらの家の家名は現在も本島に残されている。婚姻関係などを通じて下野国黒子氏の流入に伴って生じた「二神氏」が続いてきたものである[3]
  • 室町時代から江戸期にかけての文書『二神文書』が残っている。

産業[編集]

  • かんきつ栽培(かんきつ農業)、水産業(タコ等) 特に、釣島などとともに、たこつぼ漁で知られ、漁港にはつぼが山積となっており、特徴的な漁港景観を形成している。

社会[編集]

2007年度の児童3名。
2008年10月 児童が「二神島-歴史と芸術の島-」と題するリーフレットを作成
2009年4月以後から休校となっている。
  • 中学校はなし。
  • 人口 166人(平成22年国勢調査)
  • 世帯 98戸(平成22年国勢調査)
  • 瀬戸内の他の小島同様、極端に高齢化が進んでいる。2013年現在、島内に12歳未満の子供はいない。

交通[編集]

  • 二神港が唯一の島外との交通手段。
    • 中島汽船の、松山港(高浜港)からの西線の高速艇、カーフェリーが発着。

その他[編集]

  • 漁業を中心として他の島しょから離れていたがゆえに、近代化されていない生活が色濃く残っていたことから、1972年に『ナショナルジオグラフィック』誌で大きく取り上げられた。[4]
  • 日本テレビ進ぬ!電波少年』の企画「電波少年的無人島脱出」で、挑戦者のRマニアの2人が生活した無人島は近隣の由利島であり、イカダを作って脱出し辿り着いた先が二神島である。

関連図書[編集]

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典38 愛媛県』角川書店、1981年、566頁、912頁

脚注[編集]

  1. ^ 関口博巨 (2016). “伊予二神島の近世 ―瀬戸内海における「島村」の形成 ―”. 論集「瀬戸内海の歴史民俗」: 45. 
  2. ^ 萬井良大 (2016). “中世二神氏の様相”. 瀬戸内海の歴史民俗: 97. 
  3. ^ 西和夫,津田良木 (1987). “上越市中ノ俣および愛媛県二神島の調査を中心とする 山村および漁村における民家・集落の比較研究(1)”. 財団法人新住宅普及会住宅建築研究報: 179. 
  4. ^ 愛媛県 > 県政情報 > 地方局の取組み > 中予地方局 > 愛媛・中予の観光情報サイト「ちゅうよ観光ナビ」 > しまの魅力 二神島 愛媛・中予の観光情報サイト「ちゅうよ観光ナビ」

外部リンク[編集]