久野節

久野節
生誕 1882年明治15年)2月21日
日本の旗 日本 大阪府堺市
死没 (1962-08-07) 1962年8月7日(80歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学
職業 建築家
受賞 従四位勲四等瑞宝章(1927年)
所属 鉄道省
逓信省
久野設計事務所
戸田建設
建築物 南海ビルディング
東武浅草駅
近鉄宇治山田駅
蒲郡ホテル
改装後の南海電気鉄道難波駅・高島屋大阪店
久野設計の千葉県立佐倉高等学校旧本館(登録有形文化財

久野 節(くの みさお、1882年明治15年〉2月21日 - 1962年昭和37年〉8月7日)は、日本の建築家鉄道省技師、中部鉄道管理局、鉄道省初代建築課長、逓信省技師を歴任。旧制堺中学校東京帝国大学建築学科卒。従四位

略歴[編集]

  • 1882年 - 大阪府堺市に生まれる[1]。元岸和田藩の長男。
  • 1907年 - 東京帝国大学建築学科を卒業。卒業後、千葉県技師となる。
  • 1911年 - 鉄道省技師、中部鉄道管理局。
  • 1920年 - 5月、鉄道省の初代建築課長となる。
  • 1924年 - 大連駅コンペ審査員。欧米に停車場視察のため派遣
  • 1926年 - 逓信省技師を兼務。3月、高等官二等に叙せられる。9月、中央諸官衙建築準備委員会幹事。12月、御大葬委員会工事部委員。
  • 1927年 - 従四位叙せられ、勲四等瑞宝章受勲。鉄道省を退官、久野設計事務所を設立(1941年頃閉鎖)。鉄道省嘱託。
  • 1948年 - 旧知の戸田利兵衛(東京帝国大卒)に誘われ、戸田建設相談役に就任
  • 1962年 - 死去、80歳没

作品[編集]

 建造物名 現況 所在地 指定 備考
/千葉県立佐倉高等学校旧本館 現:同校記念館 1910年(明治43年) 12千葉県佐倉市 登録有形文化財
/国光生命保険相互会社東京本店ビル 現存せず 1925年(大正14年) 13東京都中央区
/大阪鉄道病院 現存せず 1929年(昭和4年) 27大阪市
/南海ビルディング 現:高島屋大阪店 1930年(昭和5年) 27大阪市中央区 登録有形文化財
/東武ビル・松屋、浅草雷門駅 現:浅草駅 1931年(昭和6年) 13東京都台東区 [注 1]
/参宮急行電鉄宇治山田駅 現:近鉄宇治山田駅 1931年(昭和6年) 24三重県伊勢市 登録有形文化財
/旧国光生命保険相互会社大阪支店ビル 現:福原ビル 1932年(昭和7年)頃 27大阪市中央区
/三宮阪神ビル
そごう神戸店)
現:神戸阪急[2] 1933年(昭和8年) 28兵庫県神戸市 [注 2]
/旧制堺中学校三丘会館 現:大阪府立三国丘高等学校同窓会館 1934年(昭和9年) 27大阪府堺市 登録有形文化財
/蒲郡ホテル 現:蒲郡クラシックホテル 1934年(昭和9年) 23愛知県蒲郡市 登録有形文化財
/東京競馬クラブ府中競馬場
(東京カンツリークラブ東京競馬場)  
現存せず 1933年(昭和8年) 13東京都府中市
/堺市立堺葬儀場 現存せず 1936年(昭和11年) 27大阪府堺市
/京成上野駅(じゅらくビル) 現存せず 1938年(昭和13年) 13東京都台東区 2006年に解体
/日本橋クラブ 現存せず 1938年(昭和13年) 13東京都中央区
/堺市役所 現存せず 1938年(昭和13年) 27大阪府堺市
/大鉄百貨店阿倍野店 現存せず 1937年(昭和12年) 27大阪市天王寺区 [注 3]

出典[編集]

  1. ^ 鉄道ファン』2007年5月号 P.139(東武浅草駅を取り上げている)の記述では、東京生まれとある。
  2. ^ https://kobe-renewal.hankyu-dept.co.jp/timetrip/178/
  3. ^ 『村野藤吾とクライアント 「近鉄」の建築と図面資料』国書刊行会、085-098頁。ISBN 978-4-336-06154-6 

注釈[編集]

  1. ^ 1974年の改装後、2012年の再改装までは外壁が白いサイディング材で覆われていたため、外観が変化していたが、再改装時に外観を復元した。
  2. ^ 外壁は1981年に同じそごう神戸店を構成していた複数のビルとともに白いサイディング材で覆ったため原形をとどめていない。その後、2019年に阪急百貨店の神戸市内3度目の店舗となっている。
  3. ^ 2009年あべのハルカスへの建替えに伴い解体され現存せず。1957年以降、村野藤吾設計による増築が数次にわたり行われ内外装は大きく変化した。特に1988年に完成した新館(現・あべのハルカスウイング館)部分に合わせて全面的に改装されたため面影は残っていなかった[3]