上毛電気鉄道300型電車

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上毛電気鉄道300型電車
入線直後、塗装変更中の300型(1988年10月)
基本情報
製造所 津覇車輌工業
主要諸元
編成 2両
軌間 1067 mm
電気方式 直流 1500 V
車両定員 140 名(座席48名)
車両重量 37.0 t
最大寸法
(長・幅・高)
18,000 × 2,850 × 4,200 mm
主電動機 直巻電動機DK91B
主電動機出力 97 kW / 個
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 2.81
編成出力 388kW
制御装置 抵抗制御ES530
制動装置 AMA-RE電磁自動空気ブレーキ
備考 数値はデハ300型のもの。
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上毛電気鉄道300型電車(じょうもうでんきてつどう300がたでんしゃ)は、かつて上毛電気鉄道に在籍していた通勤形電車東武鉄道3000系1989年平成元年)から翌1990年(平成2年)にかけて譲り受けたものである。

本項では本系列の代替目的で導入された350型(元東武3050系)についても記述する。

概要[編集]

300型[編集]

  • デハ310型 (311 - 319)
  • クハ330型 (331 - 339)[注釈 1]

老朽化が著しかった230型の代替を目的として東武3000系を計24両譲り受け、うち2両編成9本18両を300型として導入した[注釈 2]。なお、同系列の譲受については1986年(昭和61年)頃より、既に上毛電鉄側から打診を行っていたとされている。

東武鉄道の旅客用車両が他社に譲渡される事例は珍しく[注釈 3]、鉄道線車両の譲渡は1948年に上田丸子電鉄に転出した総武鉄道モハ1000形電車以来41年ぶりとなった[注釈 4]

入線に際しては、前面の渡り板の撤去や塗装変更、客室内への車掌用扉開閉スイッチの増設程度の小改造が施工された程度で、その他はほぼ東武在籍当時の仕様のまま竣工した[注釈 5]

車体塗装は旧在籍会社の塗装をそのまま引き継いでいた230型とは一転し、上毛独自のデザインに変更された[注釈 6]。これは前橋市内の専門学校のデザイン専攻学生らから募集、選定したものである。フィヨルドグリーン(青緑)とベージュのツートンカラーをベースに、腰部に白帯を、客用扉付近を除く側面窓周りにフェニックスレッド(赤)をそれぞれあしらったもので、側面窓周りの赤塗装が平行四辺形状(先頭部および車端部は台形状)に斜めカットされたデザインとされたことも相まって、非常に派手な印象を与えるものであった[注釈 7]。また、元の前面種別表示幕部分には車番を表示する青地のプレートがはめ込まれ、デザイン上のアクセントとなっていた。

なお、竣工当初クハは装備している台車の違いによって320番台・330番台・350番台にそれぞれ区分されていたが、末尾は通し番号とされていた。

台車の相違による番台区分
台車形式 車番
KS-30L[注釈 8] クハ322・323・325・326・328
TR-11 クハ331・334・339
BW-78-25A[注釈 9] クハ357

350型[編集]

350型が装備していたKS-33台車。
大胡工場・2008年11月)
  • デハ350型 (351 - 357)
  • クハ360型 (361 - 367)

300型の老朽化に伴い、その代替目的で東武3050系を1995年(平成7年)から1996年(平成8年)にかけて2両編成7本14両譲り受けたものである[1]。1995年4月5日より営業運転を開始した[2]。入線に際しては300型同様、塗装変更と客室内への車掌用扉開閉スイッチの増設程度の小改造で竣工している。

車体塗装は300型とは異なり、東武在籍当時の塗り分けはそのままに[注釈 10]、白地に窓下太帯をフィヨルドグリーン・同細帯をフェニックスレッド・幕板部帯をゴールデンオレンジとした。なお、352・353・355編成は当初より一社提供の全面広告車両として竣工しており[注釈 11]、上記仕様に塗装されたことはなかった。なお、本系列も300型同様、前面種別表示幕部分に車番を表示しているが、プレートをはめ込んだ300型とは異なり、東武在籍当時から装備している表示幕で車番を表示させる方式とされた[注釈 12]

導入後の変遷[編集]

300型[編集]

本系列は前述のように台車の差異によって制御車の車番が区分されていたが、1993年(平成5年)から1995年(平成7年)にかけて台車をTR-11に順次統一し、車番も全車330番台に改番されている。また、車体塗装については後年側面窓周りの赤塗装を廃し、代わりに細い赤帯を腰部に入れたものに簡略化された[注釈 13]

その後、譲渡から6年余りを経過した頃から特に走行機器の老朽化が顕著となったことから[注釈 14]、350型によって代替されることとなった。比較的状態が良好であった317・318編成を除く7編成は1995年(平成7年)から1996年(平成8年)にかけて順次廃車となり、残存した2編成も700型(元京王電鉄3000系)導入に伴い1999年(平成11年)までに代替廃車となって本形式は形式消滅した。

350型[編集]

営業運転開始後は大きな改造や仕様変更を受けることなく運用された。しかし、本系列もまた旧型車の車体更新車であり走行機器の老朽化が著しく、走行機器保守性の問題、また当時の社会情勢上必須ともいえる冷房装置も搭載しておらずサービス上問題となりつつあったことから、700型導入による代替対象となった[1]。700型が導入された1998年(平成10年)以降は、本形式はワンマン運転に対応していなかったこともあって予備車的な扱いを受けるようになり、300型が全廃となった1999年(平成11年)から早くも廃車が開始された。2000年(平成12年)10月に351編成を使用して行われたさよなら運転を最後に全車廃車となり、本形式は入線後わずか5年で形式消滅した。

車歴[編集]

300型
車番 竣工年月 東武時代の旧番 廃車年月 備考
デハ311-クハ331 1989年(平成元年)7月 モハ3127-クハ3427 1996年(平成8年)10月
デハ312-クハ332 1989年(平成元年)6月 モハ3102-クハ3402 1996年(平成8年)2月 制御車の竣工時の車番はクハ322
デハ313-クハ333 1990年(平成2年)3月 モハ3103-クハ3403 1996年(平成8年)5月 制御車の竣工時の車番はクハ323
デハ314-クハ334 1989年(平成元年)12月 モハ3104-クハ3404 1995年(平成7年)4月
デハ315-クハ335 1989年(平成元年)6月 モハ3105-クハ3405 1996年(平成8年)8月 制御車の竣工時の車番はクハ325
デハ316-クハ336 1989年(平成元年)12月 モハ3106-クハ3406 1995年(平成7年)5月 制御車の竣工時の車番はクハ326
デハ317-クハ337 1989年(平成元年)9月 モハ3115-クハ3415 1998年(平成10年)11月 制御車の竣工時の車番はクハ357
デハ318-クハ338 1989年(平成元年)6月 モハ3502-クハ3602 1999年(平成11年)4月 制御車の竣工時の車番はクハ328
デハ319-クハ339 1990年(平成2年)1月 モハ3121-クハ3421 1996年(平成8年)6月
350型
車番 竣工年月 東武時代の旧番 廃車年月 備考
デハ351-クハ361 1995年(平成7年)4月 モハ3555-クハ3655 2000年(平成12年) さよなら運転に使用
デハ352-クハ362 1995年(平成7年)5月 モハ3558-クハ3658 1999年(平成11年)10月 全面広告車両
デハ353-クハ363 1995年(平成7年)12月 モハ3562-クハ3662 1999年(平成11年)7月 全面広告車両
デハ354-クハ364 1996年(平成8年)5月 モハ3564-クハ3664 1999年(平成11年)7月
デハ355-クハ365 1996年(平成8年)6月 モハ3554-クハ3654 1999年(平成11年)4月 全面広告車両
デハ356-クハ366 1996年(平成8年)6月 モハ3559-クハ3659 2000年(平成12年)
デハ357-クハ367 1996年(平成8年) モハ3563-クハ3663 2000年(平成12年)7月

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 台車統一後の車番。後述の通り、竣工当初は装備している台車の違いによって320番台・330番台・350番台にそれぞれ区分されていた。
  2. ^ 24両のうち、中間電動車モハ3321・3327および付随車サハ3221・3227の4両は当初より部品確保目的で譲り受けたものであった。モハ3101・クハ3401の2両は一旦デハ311・クハ331として入籍したものの、直後に屋根の腐食が発見されたため、状態不良が判明し急遽モハ3127・クハ3427を譲り受けて差し替え、モハ3101・クハ3401は部品取り車とされた。上毛311編成の竣工日(1989年7月19日)と種車である東武3127編成の除籍日(1990年3月20日)に矛盾が生じているのはこのためである。
  3. ^ その一方、機関車の譲渡は頻繁に行われており、蒸気機関車が各地の専用鉄道に、電気機関車は三岐鉄道近江鉄道栗原電鉄への譲渡実績がある。
  4. ^ 軌道線車両では日光軌道線100形が1968年に岡山電気軌道へ譲渡されており、こちらは2019年現在も一部が現役で運行されている。また、6050系会津鉄道野岩鉄道向け新造車は書類上、東武鉄道から譲渡された扱いになっている。
  5. ^ そのため、編成によっては優先席の数が異なっていた。これは種車である東武3000系の6両固定編成における優先席が両先頭車に設置されていたことに起因し、元6両固定編成の先頭車であった312・315編成がそれに該当する。
  6. ^ 上毛電気鉄道は赤城駅東武桐生線と接続しており、東武在籍当時の塗装のままでは誤乗車を招く恐れがあることから、それを防止する目的も込められていた。
  7. ^ この塗装は300型に留まらず、赤帯を省略したものが戦前製のデハ101にも一時施されたほか、フィヨルドグリーンは後継形式の700型にも部分的に受け継がれた。更には駅建物の塗装などにも用いられるなど採用域が広がり、1990年代以降の上毛電鉄における一種の企業イメージカラーとなっている。
  8. ^ 住友金属工業製鋳鋼組立型釣り合い梁式台車。東武形式はTRS-26。
  9. ^ 汽車製造製帯鋼リベット組立型釣り合い梁式台車。東武形式はTRK-27。
  10. ^ ただし東武在籍当時は前照灯ケースも車体同様塗り分けられていたのに対し、上毛では白一色とされた点が異なる。
  11. ^ 広告主は編成ごとに異なっていた。
  12. ^ 東武3050系を含む3000系列全車は旧式の運行番号表示幕兼種別表示幕を装備しており、0から9の数字を1列ずつ違えて3列表示することが可能であった。
  13. ^ 312編成のみは白帯も省略し、かつ赤帯の太さが他編成よりも太めであったが、後年他編成と統一された。
  14. ^ 車体の経年こそ30年程度であったものの、種車である東武3000系は主に昭和初期に製造された旧型車(モハ3210形等)の車体更新車であり、走行機器の経年は最大で約70年に達していた。

出典[編集]

  1. ^ a b 楠居利彦、2006、「新・大手私鉄のOBたち Part1」、『鉄道ファン』46巻8号(544)、交友社 p. 121
  2. ^ 交友社鉄道ファン』1995年7月号 通巻411号 p.162

参考文献[編集]