三菱・500

三菱・500
三菱・500(A11型)
ボディ
ボディタイプ 2ドアセダン
パワートレイン
エンジン 493 cc NE19A OHV 直2(A10型)
594 cc NE35A OHV 直2(A11型)
変速機 3速MT
車両寸法
ホイールベース 2065 mm[1]
全長 3140 - 3160 mm[2]
全幅 1390 mm
全高 1380 mm
車両重量 490 kg
系譜
後継 三菱・コルト600
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右から三菱500(A10型、1960年)
コルト600(1962年)

三菱・500コルト600は、三菱自動車工業の前身である三菱重工業(当初は新三菱重工業)が1960年から1962年まで製造していた乗用車である。

概要[編集]

新三菱重工業名古屋製作所で開発され、自動車製造に着手した三菱にとって3番目にあたる。1番目はA型リムジン(フィアット・ゼロ英語版のコピー)、2番目はヘンリーJカイザー・フレイザーノックダウン)で、本車が三菱独自の初めての乗用車であった。

1955年通商産業省が打ち出した国民車構想に対応したもので、虚飾を廃した実用的なリアエンジンモデルだった。スタイリングはドイツバブルカーゴッゴモビルの影響を受けている。

モデル別解説[編集]

三菱・500(1960年-1962年)[編集]

三菱・500(A11型)

三菱重工業の戦後初の自社製作乗用車として、1960年4月に三菱・500を発売。ボディタイプは2ドアセダン[3]。全長3,140 mm、全幅1,390 mm、全高1,380 mm、ホイールベース2,065 mm、車両重量490 kgで燃料タンク容量20リットルであった[3]

エンジンはソレックスキャブレター1個付のNE19型、空冷直列2気筒OHV排気量493 ccで、最高出力は21 PS/5,000 rpm、最大トルクは3.4 kg·m/3,800 rpm。3速マニュアルトランスミッションを介した最高速度は90 km/hであった。サスペンションは前後ともトレーリングアームとコイルスプリングの組み合わせで、タイヤサイズは5.20-12(インチ)、同年10月に三角窓付きのDXを追加した。

1961年8月には、車名は500のまま、エンジンを25馬力・594 ccのNE35A型に変更した、スーパーDXを追加した。ところが市場での人気には至らず、三菱500は短期間で製造中止となった。生産台数は1万3289台[4]

これらは、排気量はもちろんのこと、ボディサイズの面でも、現在では軽自動車の枠内となっている。

三菱・500が発売された当時、この車のイメージキャラクターとしてハナ肇とクレージーキャッツが起用されていた。

三菱コルト600(1962年-1965年)[編集]

コルト600

1962年に早くも最初のフルモデルチェンジをし、「見ただけで乗りたくなる車」をコンセプトとしたコルト600を発売。三菱の乗用車の伝統的なペットネーム「コルト」が初めて採用されたモデルでもある。 三菱・500スーパーDXと同じ、排気量594ccのリアエンジンで、型式はNE35B型と変更になったが、スペックは変わらず、最高出力25PS/4,800rpm、最大トルク4.2kgm/3,400rpmを発生した。

シフトレバーの配置もフロアからコラムになり、シフトパターンも工型だったものが、一般的なH型に変更となった。

新しくなった車体は、これまでの曲線主体から、ややエッジの効いたものとなり、ボンネットトランクの端が下がったスタイルから、フラットデッキでフェンダーの峰をたたせた形状となり、運転するうえでも見切りの良いものとなった。

1965年、2度目のフルモデルチェンジを迎え、コルト800の発売に伴い、生産を終了した。生産台数は1万3289台[5]

脚注・出典[編集]

  1. ^ Koichi Inouye (1987). World Class Cars Volume 30: Mitsubishi, Daihatsu & Suzuki. Tokyo: Hoikusha. p. 101. ISBN 4-586-53330-7 
  2. ^ Inouye, pp. 138–139
  3. ^ a b 日本の自動車技術240選 三菱500 A10型
  4. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第81号3ページより。
  5. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第11号23ページより。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]