三河鉄道サハフ41号電車

三河鉄道サハフ41号電車
名鉄ク2140形電車
サハフ41
(完成時撮影 三鉄刈谷工場)
基本情報
運用者 三河鉄道名古屋鉄道
製造所 鉄道省
製造年 1909年(明治42年)
改造所 三河鉄道刈谷工場
改造年 1940年(昭和15年)
改造数 1両
廃車 1964年(昭和39年)8月
投入先 三河線
主要諸元
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 直流1,500 V架空電車線方式
車両定員 120人(座席54人)
自重 21.3 t
全長 16,845 mm
全幅 2,718 mm
全高 3,670 mm
車体 木造
台車 鉄道省型ボギー台車
制動装置 手ブレーキ直通空気ブレーキ
備考 1944年の諸元表より[1]
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三河鉄道サハフ41号電車(みかわてつどうサハフ41ごうでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者の一つである三河鉄道が、1940年(昭和15年)に導入した電車付随車)である。

乗客の急激な増加のため三河鉄道が1939年(昭和14年)から翌年にかけて他社局から購入した車両群の一つ。名鉄合併後サ2140形の形式称号が与えられ、後年の制御車化改造によってク2140形に改められた[2]

構造[編集]

1909年(明治42年)製[注釈 1]の鉄道省17m級ダブルルーフ木造客車(ナユニ5360形)を種車とするが[4]1940年(昭和15年)4月に自社刈谷工場で新造した直線的な車体に交換されており、車両外観は元の客車とは大きく異なる[3]。台車は鉄道省型のボギー台車で、1944年諸元表には型式が記載されておらず不詳だが[1]、少なくとも末期にはTR10形を装備していた[5]。リベット組立構造の台枠下部にはトラス棒を備える[4]。屋根は種車と異なるシングルルーフで[6]ガーランド形ベンチレーターを備える[4]

新造車体は付随車ながら当初より乗務員扉を設けており[4]側面窓配置は「E3D44D4(D:客用扉、E:乗務員扉)」である[6]。窓は乗務員扉の横など一部を除き前面、側面ともに2段上昇式で、前面は非貫通の3枚窓構造[5]。他の木造車が装備する1段窓と比べて窓が大きく、車内を明るく照らすことができた[4]。座席はロングシートで、ホームの高さに揃えるため客用扉内側に昇降用ステップが設けられている[5]

制御車化改造で後に運転台が新設されたが、搭載機器は主幹制御器、圧力計、ブレーキ装置などで速度計はなく、運転手の感覚で速度調整を行う必要があった[5]

運用[編集]

付随車として導入されたサハフ41は名古屋鉄道との合併でサ2140形2141となり、1951年(昭和26年)7月には制御車化改造が行われク2140形2141となったが、主な運用線区は一貫して三河線であった[6]

1964年(昭和39年)8月廃車[6]。台車はク2340形2342に転用された[2][注釈 2]。ク2342は翌1966年(昭和41年)10月に廃車となり、北陸鉄道へ譲渡されてクハ1720形となったが、同社へ譲渡されたのは車体のみで、サハフ41(ク2141)由来の台車は引き継がれていない[7]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 名鉄作成の1952年版諸元表では明治47年製、同1955年版では明治42年製と記載[3]
  2. ^ 1965年(昭和40年)にモ3650形3352が電装解除されク2340形2342とした際、台車を車体更新車3780系に流用した[7]。ク2141の台車はその代用としてク2342に転用された[2]

出典[編集]

  1. ^ a b 清水・田中 2019, p. 164.
  2. ^ a b c 清水・田中 2019, p. 112.
  3. ^ a b 清水 2015, p. 21.
  4. ^ a b c d e 小寺 2021, p. 77.
  5. ^ a b c d 小寺 2021, p. 86.
  6. ^ a b c d 加藤・渡辺 2015, p. 155.
  7. ^ a b 清水・田中 2019, p. 74.

参考文献[編集]

  • 加藤久爾夫、渡辺肇「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第30号、電気車研究会、2015年1月、122 - 165頁。 
  • 清水武『名鉄木造車鋼体化の系譜 3700系誕生まで』ネコ・パブリッシング、2015年。ISBN 978-4777053773 
  • 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年。ISBN 978-4865988475 
  • 小寺幹久『名鉄電車ヒストリー』天夢人、2021年。ISBN 978-4635822695