一氏義良

一氏 義良(いちうじ よしなが、1888年6月11日 - 1952年2月21日[1])は、日本美術評論家

島根県[1]八束郡東出雲町(現・松江市)揖屋に生まれる。1913年早稲田大学英文科を卒業[1]。1921年ヨーロッパに遊学[1]、1926年再留学[1]イギリス大英博物館図書室で読んだ本に感銘を受ける。帰国後は、海外の美術や現在の動向、とくに古代エジプト美術の紹介に努めた。1928年帝国美術学校[1]、1941年北京芸術大学教授[1]

雑誌『中央美術』を創刊して編集に携わり、また、平凡社の百科事典や世界美術全集の編集にも関わった。中国に赴いて研究を深め、『支那美術史』を著した。教授の末田利一石塚太喜治の下で中華民国国立北京芸術専科学校(現中国中央美術学院)の講師をしていた。

著書[編集]

  • 『現代美術の見方』 泰山房 1917年
  • 『世界文化史物語』 誠文堂、1924年
  • 『立体派 未来派 表現派』 アルス、1924年5月
  • 『原始及古代の文化』 アルス『世界文化史大系 第1巻』、1926年
  • 『エジプトの芸術』 アルス、1927年1月
  • 『美術の現実を語る』 綜合美術研究所 1937年
  • 『支那美術史』上巻、大阪屋号書店、1943年8月
  • 『一氏義良』「美術批評家著作選集 第1巻」ゆまに書房、2010年 
復刻版・五十殿利治編。「現代美術の見方」抄、「美術の現実を語る」抄
他に「新しき『造型』についての一考察」(アトリエ 1925年7月)を収録

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 一氏義良 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2022年4月30日閲覧。