ロルフ・ヴォルフショール

ロルフ・ヴォルフショール
Rolf Wolfshohl
個人情報
本名 Rolf Wolfshohl
ロルフ・ヴォルフショール
生年月日 (1938-12-27) 1938年12月27日(85歳)
国籍 ドイツの旗 ドイツ
西ドイツの旗 西ドイツ
チーム情報
分野 シクロクロス&ロードレース
役割 選手
プロ所属チーム
1960–1962
1963–1964
1965–1966
1967–1969
1970–1971
1972
1973–1974
1975
ラファ-ジタヌ
プジョー-BP
メルシエ-BP-ハッチンソン
ビック
ファゴール-メルシエ
ロカード
Ho-Ra
ロカード
グランツール最高成績
主要レース勝利
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1965
シクロクロス世界選手権 1960-1961、1963
獲得メダル
西ドイツの旗 西ドイツ
シクロクロス
世界選手権自転車競技大会
1960 トゥールーズ プロ
1961 ハノーファー プロ
1963 カレー プロ
1959 ジュネーヴ プロ
1965 カヴァーリア・コン・プレメッツォ プロ
1967 チューリッヒ プロ
1969 マグシュタット プロ
1972 プラハ プロ
1958 リモージュ プロ
1966 ベアサイン プロ
1970 ゾルダー プロ
1973 ロンドン プロ
最終更新日
2010年8月15日

ロルフ・ヴォルフショール(Rolf Wolfshohl、1938年12月27日 - )は、ドイツ、ケルン=ミルハイム出身の自転車競技選手。

経歴[編集]

本職はシクロクロス1958年世界選手権において3位入賞を果たしたのを皮切りに、1973年の3位まで、同大会において実に12回表彰台に立ったが、内、1960年1961年1963年には世界一の座に就いた。また、シクロクロスの西ドイツ国内選手権では14回の優勝を果たしている。

ロードレースでは、1956年にジュニア部門の国内選手権を制した経験があるが、1965年レイモン・プリドール擁するメルシェ・BPに移籍したことが契機となり、活躍の場を広げることになる。同年のブエルタ・ア・エスパーニャでは、2位プリドールに6分以上の差をつけて総合優勝。Bicに移籍した1967年ツール・ド・フランスで区間1勝を挙げた。

1968年パリ〜ニースで総合優勝を果たし、国内選手権ではロードレース、シクロクロスの両方を制した。また、ツール・ド・フランスでは総合6位に入り、選手生活のピークを迎えた。その後、1970年ツール・ド・フランスにおいて区間1勝を挙げた。

1975年に現役を引退。その後、バイクショップの経営を行う傍ら、1995年から2000年まで、ルント・ウム・ケルンのレース責任者を務めた。

主な実績[編集]

1958
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
3位 シクロクロス世界選手権
1959
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
2位 シクロクロス世界選手権
1960
1位 シクロクロス世界選手権
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
1961
1位 シクロクロス世界選手権
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
1962
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
1位 GP・デ・ラ・ビシクレタ・エイバレサ
1963
1位 シクロクロス世界選手権
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
1965
1位 ブエルタ・ア・エスパーニャ
2位 シクロクロス世界選手権
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
1966
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
3位 シクロクロス世界選手権
1967
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
ツール・ド・フランス 15ステージ勝利
2位 シクロクロス世界選手権
1968
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(ロードレース)
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
1位 ツール・ド・フランス
1位 パリ〜ニース
1969
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
2位 シクロクロス世界選手権
1970
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
3位 シクロクロス世界選手権
ツール・ド・フランス 20Aステージ勝利
1971
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
1972
2位 シクロクロス世界選手権
1973
1位 西ドイツの旗 西ドイツ選手権(シクロクロス)
3位 シクロクロス世界選手権

外部リンク[編集]