ルイージ・ルッソロ

Luigi Russolo
ルイージ・ルッソロ、1916年
基本情報
生誕 (1885-04-30) 1885年4月30日
出身地 イタリアの旗 イタリア
死没 (1947-02-04) 1947年2月4日(61歳没)
ジャンル ノイズ、実験音楽絵画

ルイージ・ルッソロLuigi Russolo, 1885年4月30日 - 1947年2月4日)はイタリア未来派画家作曲家楽器発明家

『騒音芸術』(1913年)や『未来の音楽』といった著作を残す。

略歴[編集]

intonarumori, 1920

ヴェネト地方のポルトグルアーロに生まれる。父親はラティザーナの教会楽長(大聖堂のオルガニストにして聖歌隊の指揮者)であった。兄弟もやはり音楽家になり、そのうち兄アントニオも未来主義の音楽を作曲した。1901年ミラノに出てブレラ美術館に足繁く通い、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にてレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の修復作業に参加。処女作においては、点描技法を用いて、都会や産業界を幻想的に描き出している。未来派運動を信奉して、未来主義者のフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティに近しく師事。

1913年3月11日、論文『騒音芸術(L'arte dei rumori)』を発表し、世に問う(このため現在では、電子音楽の最初の理論家として認知されている)。また、実演用に「騒音」を出せる特製の楽器イントナルモーリを発明し、実作する。なお、イントナルモーリという名は、「調律」と「騒音」の合成語で、「調律された騒音機械」といったほどの意味である。不幸にしてイントナルモーリのオリジナルは、第二次世界大戦によって失われ、現存しない(1986年秋山邦晴により残されていた特許資料などを基に8種が復元された[1])。ルッソロを最初のノイズ・アーティストとする見方もある[1][2]

1941年から1942年まで画業に復帰し、「古典的モダニズム」と称する画風で描いた。1947年、ヴァレーゼ県チェッロ・ディ・ラヴェノにて他界。

ヴァレーゼ県のルッソロ=プラテッラ財団により、ルッソロを記念して、電子音楽作曲コンクールが毎年開催されている。ルイージ・ルッソロ電子音楽賞は、電子楽器の分野において最も栄えある賞の一つである。


関連項目[編集]

音源[編集]

脚注[編集]

  1. ^ In Futurism and Musical Notes, Daniele Lombardi discusses the French composer Louis Carol-Bérard (1881–1942); a pupil of Isaac Albéniz, Carol-Bérard is said to have composed a Symphony of Mechanical Forces in 1910 – but little evidence as emerged thus far to establish this assertion.
  2. ^ Luigi Russolo, "The Art of Noises" 2023年6月29日閲覧

外部リンク[編集]