ラリー・アブシャー

Larry Allen Abshier

ラリー・アレン・アブシャー
ラリー・アブシャー(1962年)
生誕 1943年
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州アーバナ
死没 1983年7月11日 (40歳)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮平壌直轄市
住居 平壌直轄市寺洞(- 1965年
平壌直轄市万景台(1965年 - 1967年
平壌直轄市太陽里(1967年 - 1969年
平壌直轄市貨泉(1969年 - 1972年
平壌直轄市勝湖(1972年 - 1983年
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮1972年 - )
職業 軍人( - 1962年
英語教師(1981年 - )
配偶者 アノーチャ・パンジョイ
子供 なし
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ラリー・アレン・アブシャー
Larry Allen Abshier
所属組織 アメリカ合衆国陸軍の旗 アメリカ陸軍
軍歴 不明 - 1962年
最終階級 Private(二等兵
戦闘 朝鮮戦争(休戦中)
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ラリー・アレン・アブシャー英語: Larry Allen Abshier1943年1983年7月11日)は、朝鮮戦争後に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に逃亡した6人のアメリカ兵のうちの1人[1]アメリカ合衆国中西部イリノイ州アーバナ生まれ。

亡命[編集]

アレン・アブシャー二等兵は、アメリカ合衆国陸軍第1騎兵師団第9騎兵連隊、第1偵察中隊に所属していた[2]。アブシャーは1962年5月28日、在韓米軍基地をひそかに脱出、DMZ(南北軍事境界線)に忍び寄ってこれを越え、北朝鮮に潜入して韓国での地位と身分を放棄した。当時19歳であった。ジェームズ・ジョセフ・ドレスノクがこの年の8月に亡命するまで、彼は3か月間、朝鮮民主主義人民共和国における唯一のアメリカ人であった。

2006年ドキュメンタリー映画クロッシング・ザ・ライン英語版(青い目の平壌市民)』で、ジェームズ・ドレスノクは白い顔が彼に向けられているのに気づいて目を覚ましたことを振り返っている。「目を開けた。自分が信じられなかった。また閉じた。夢を見ているに違いない。もう一度目を開けて相手を見て 『一体誰なのか』と尋ねた。相手は『自分はアブシャーだ』と答えた。『アブシャー? 私はアブシャーなる人を知らない』」[1]

ラリー・アブシャーと他の3人のアメリカ人、ジェームズ・ドレスノク、チャールズ・ロバート・ジェンキンスジェリー・ウェイン・パリッシュは、『名もなき英雄("Unsung Heroes")』のような他のいくつかの映画にも出演し、邪悪なアメリカ人の役を演じた[注釈 1]。これらの映画への出演は彼らを即席の有名人に仕立てた。アブシャーと他の3人はプロパガンダで大当たりし、「地上の楽園」(北朝鮮)に住む4人の写真が国外に流出した。彼らはいつでも成功者のように見え、屈託なく、また、幸せそうに見えた[1]

北朝鮮での生活[編集]

チャールズ・ジェンキンスは、彼の著書『望まないなかでの共産主義者』(The Reluctant Communist)の中で、アブシャーは朝鮮語での会話は難しいが、その言語には魅了されており、新聞から高レベルの語彙を勉強するのには何時間も費やすだろうと書いた。ジェンキンスによれば、逃亡兵4人は、最初寺洞区域で同居し、1965年年6月には万景台区域の1部屋の家に移され、1967年秋には太陽里、1969年には貨泉の家に移された[4][注釈 2]。4人は数年にわたって共同生活を送り、金日成の書いた文章を読まされ、暗記させられた[6]。ジェンキンスによれば、万景台で暮らしていたとき、ドレスノクはたとえば部屋を散らかしてアブシャーにそれを片付けるよう命じるなどの行動で彼をいじめた[7]。アブシャーは、ジェンキンスによって「単純で、優しく、善良な魂の持ち主だが、少し頭が鈍くて簡単に付け込まれる人物」として同情をもって描かれた[8]

しばらくの間、ドレスノクとパリッシュは、ジョン・スタインベックの小説『二十日鼠と人間』に登場する、頭が弱くておめでたい「レニー」という登場人物にちなんで、アブシャーを「レニー」と呼んで馬鹿にした[7][8]。アブシャーは、ジェンキンスによってそうしなければならないと確信するまで、いじめに立ち向かおうとはしなかった[7]。ドレスノクがいつものようにアブシャーを小突き回そうとしたとき、アブシャーがついに彼を拒み、ジェンキンスが、ドレスノクがアブシャーに襲いかかろうとしたところでドレスノクを打ち負かしたことで彼を守った[7]。その後ドレスノクは、敵意の対象をジェンキンスに移した[7]

1972年6月30日、他の3人の脱走者とともに彼に北朝鮮の市民権が与えられた[4]。4人の米国脱走兵はばらばらになり、ジェンキンスとドレスノクは勝湖区域立石里に、アブシャーとパリッシュは数キロメートル離れたところに家が与えられた[4][9]。アブシャー、そしてドレスノク、パリッシュ、ジェンキンスもであるが、彼らには、料理人であり「世話係」であり、ときに性的パートナーともなりうる北朝鮮の女性が「与えられた」[9]。彼女たちは不妊症であると考えられており、結婚した後、何年にもわたって子供がいなかったので離婚させられた女性たちであった[10]。しかし、アブシャーの料理人は思いがけず妊娠し、そのことが判明してすぐに彼の元から消え去った[10][11]

その後、アブシャーは別の女性と結婚した[10]。『クロッシング・ザ・ライン』において、ドレスノクは女性は朝鮮人であるとしているが、ジェンキンスは『望まないなかでの共産主義者』のなかで、アブシャーの妻となった女性は北朝鮮政府が彼に与えたアノーチャ・パンジョイというタイ人女性であると述べている。ジェンキンスによれば、彼女はマカオマッサージ師として働いていたところを北朝鮮工作員拉致されて北朝鮮に連行され、まもなく1978年にアブシャーに「与えられた」女性である[10]。拉致に関するジェンキンス証言は、彼が北朝鮮で彼女の写真を撮影していたこともあって信じ難いほどに歓迎された。これは、北朝鮮拉致問題について、北朝鮮が日本ばかりではなく、それ以外の国の市民も拉致した可能性があることを示したものであった[10]

アブシャー夫妻には子供がいなかった[12]。アブシャー死後の1984年11月、立石里に米国人用のアパートが完成し、4世帯がそこに入居した[13][注釈 3]。アノーチャは1989年東ドイツの実業家と再婚させるためアパートから連れ去られた[11]

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アブシャーたちアメリカ人脱走兵4人は、1981年より士官学校で英語を教える職に就いていた[13]1983年7月11日の真夜中過ぎ、平壌直轄市心臓発作によって40歳で突然亡くなった[13]。ジェンキンスによれば、アブシャー夫妻とジェンキンス・曽我ひとみ夫妻は当時隣人同士であり、アブシャーの妻アノーチャ・パンジョイはアブシャーの容態の急変に際して隣人に助けを求めた[13]。ジェンキンスがアブシャーの家に着いてほどなくしてアブシャーは息を引き取り、医師の到着は間に合わなかった[13]。彼の葬式は北朝鮮国家によって資金提供がなされ、比較的体裁よく執り行われた[13]。参列者たちはおおいに飲み食いした[13]。アブシャーの墓石に刻された死亡日や出身地は間違っており、ジェンキンスはそのことを当局に伝えたが、無視された[13]。墓は、横田めぐみが自殺したとされる病院から約1キロメートルのところにあり[13]1998年に死去したジェリー・パリッシュの遺体は彼の横に葬られた[14]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『名もなき英雄』は実在の女スパイ李善実をモデルとする20巻の長編映画で、北朝鮮では繰り返し上映される人気の高い作品である[3]
  2. ^ ジェンキンスが最初に寺洞の家に連れていかれたとき、アブシャーは大腸炎で入院していて不在であった[5]
  3. ^ 他の脱走兵たちには次々と子供ができた[12]。アブシャーの未亡人となったアノーチャ・パンジョイの棟の1室が幼児教育の場となり、アノーチャが子どもたちのおばさんのような役回りとなった[12]

出典[編集]

  1. ^ a b c Larry Allen Abshier”. Larry-allen-abshier.co.tv. 2016年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月25日閲覧。
  2. ^ Lowell Sun Newspaper Archives, Jun 3, 1962” (英語). newspaperarchive.com. 2022年4月8日閲覧。
  3. ^ 高世(2006)pp.212-213
  4. ^ a b c ジェンキンス(2006)pp.292-298
  5. ^ ジェンキンス(2006)pp.57-60
  6. ^ ジェンキンス(2006)pp.60-66
  7. ^ a b c d e ジェンキンス(2006)pp.76-78
  8. ^ a b Jenkins(2008)"The Reluctant Communist"
  9. ^ a b ジェンキンス(2006)pp.97-98
  10. ^ a b c d e ジェンキンス(2006)pp.111-117
  11. ^ a b Frederick, Jim (2005年11月14日). “North Korea: Prisoner of Pyongyang?”. TIME. 2008年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月25日閲覧。
  12. ^ a b c ジェンキンス(2006)pp.163-168
  13. ^ a b c d e f g h i ジェンキンス(2006)pp.156-163
  14. ^ ジェンキンス(2006)p.200

参考文献[編集]

  • チャールズ・R・ジェンキンス『告白』角川書店角川文庫〉、2006年9月(原著2005年)。ISBN 978-4042962014 
  • 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0 
  • Jenkins, Charles Robert; Frederick, Jim (2008). The Reluctant Communist: My Desertion, Court-Martial, and Forty-Year Imprisonment in North Korea. カリフォルニア大学出版局 (University of California Press). ISBN 978-0-520-25333-9. https://archive.org/details/reluctantcommuni00jenk 2022年4月8日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]