メキシコ帝国

メキシコ帝国
Imperio Mexicano
ヌエバ・エスパーニャ副王領 1821年 - 1823年 メキシコ臨時政府 (1823年 - 1824年)
中央アメリカ連邦共和国
メヒコ第一帝国の国旗 メヒコ第一帝国の国章
(メキシコの国旗) (メキシコの国章)
メヒコ第一帝国の位置
公用語 スペイン語
首都 メキシコシティ
皇帝
1822年 - 1823年 アグスティン1世
変遷
イグアラ綱領 1821年2月24日
メキシコの独立1821年8月24日
帝政開始1822年7月21日
イトゥルビデ失脚、帝国崩壊。1823年3月13日
メキシコ帝国
Imperio Mexicano
メキシコ合衆国 (19世紀) 1864年 - 1867年 メキシコ合衆国
メヒコ第二帝国の国旗 メヒコ第二帝国の国章
(メキシコの国旗) (メキシコの国章)
国の標語: Equidad en la Justicia
メヒコ第二帝国の位置
公用語 スペイン語
首都 メキシコシティ
皇帝
1864年 - 1867年 マクシミリアーノ1世
変遷
フランス第二帝政によるメキシコ出兵 1861年
皇帝マクシミリアーノ1世の即位1864年4月10日
ベニート・フアレスのメキシコ市入城1867年9月15日

メキシコ帝国(メキシコていこく、スペイン語:Imperio Mexicano)は、19世紀メキシコが独立した後、皇帝を君主とした際に用いた国号である。2度にわたり国号として制定されているが、双方の間に連続性はない。なお、メキシコでは第2次メキシコ帝国は傀儡国家として否定されており、学校教育での歴史教科書でも「メキシコ帝国は歴史上一つだけ存在した」ことになっている。

メキシコ第一帝政(1821年-1823年)[編集]

概要[編集]

スペイン植民地ヌエバ・エスパーニャが独立した後、 1822年7月21日から1823年3月19日にかけて存続した国家。独立運動の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝アグスティン1世を名乗り、絶対君主として統治した。その領土は現在のメキシコの2倍に匹敵するほど広大なものであった。

しかし、成立して間もなく、強権的な皇帝に対する国民の不満が急速に高まり、帝国は1年と経たずに崩壊し、メキシコ合衆国が誕生した。

なお、人口は600万人、面積は4,925,283km²であった。

皇帝[編集]

国旗[編集]

メキシコ第二帝政(1864年-1867年)[編集]

概要[編集]

1864年から1867年にかけて存続した国家。

皇帝はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟マクシミリアンで、フランス帝国フランス第二帝政)のナポレオン3世によって樹立された傀儡政権であった。

マクシミリアンは精力的に皇帝としての役目を果たそうとしたが、外国出身でさらにフランス軍を伴ってきたマクシミリアンを、メキシコ国民は支持しなかった。国民の支持のないままマクシミリアンは皇帝となった。

1866年民主主義勢力のベニート・フアレスの反抗に遭ってフランス軍が撤退すると、マクシミリアンは捕らえられて処刑され、ベニート・フアレス大統領の下でメキシコ合衆国が復活した。

なお、人口は8,264,213人、面積は1,972,550km²であった。

皇帝[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]