ムーサ

『パルナッソス山にあるアポローンとムーサたち』 (サミュエル・ウッドフォード作、1804年)

ムーサ古代ギリシア語: Μοῦσα〔Mousa〕 ラテン語: Musa)またはムサは、技芸[1]文芸学術音楽舞踏などを司るギリシア神話女神[2]

ムーサが司る技芸は古代ギリシア語でムーシケー(古希: μουσική〔mousikē〕[1])と言い、そこに含まれているのは科学音楽理論に関連する芸術全般[3]・さまざまなリズムによる時間芸術音芸術朗誦芸術舞踊など)[1]総合芸術である[3]。ムーシケー(技芸)は、英語ミュージック(music)の語源[1][注釈 1]

「ムーサ」の複数形はムーサイ[4](Mousai[4], 古希: Μοῦσαι, : Musae)。英語・フランス語のミューズ (英語・フランス語単数形: Muse、フランス語複数形 Muses) やミューゼス (英語複数形: Muses) としても知られる。ドイツ語ではムーズ (Muse)、イタリア語ではムーザ (Musa) などとなる。

ムーサたちはパルナッソス山に住むとされており、またヘリコーン山との関係が深い。ヘリコーン山にあるアガニッペーの泉とヒッポクレーネーの泉を主宰する場合にローマ神話の泉の女神「カメーナエ」と同一視された(詳しくはペーガソスを参照のこと)。ムーサたちを主宰するのは芸術の神・アポローン(「アポローン・ムーサゲテース (Apollon Mousagetēs)」という別名を持つ)である。しばしば叙事詩の冒頭でムーサたちに対する呼びかけ(インヴォケイション)が行われる。なお『ホメーロス風讃歌』にはムーサたちに捧げる詩がある。

ムーサたちの一覧[編集]

ヘーシオドスの『神統記』によれば、大神ゼウスムネーモシュネーの娘で9柱いるとされており、「黄金のリボンをつけたムーサたち」と形容することがある。別伝ではハルモニアーの娘とする説や、ウーラノスガイアの娘とする説もある。ピーエリア王ピーエロスの娘・ピーエリスたち(ピーエリデス)とも同一視された。

古くはその人数は定まっておらず、ヘリコーン山で崇められた最初のムーサたちではウーラノスとガイアの娘であるアオイデー(歌唱 (Aoide))、ムネーメー(記憶 (Mneme))、メレテー(実践 (Melete))の3柱、それをムネーメーを除くテルクシノエー(魅惑 (Thelxinoe))とアルケー(始源 (Arche))を加えたゼウスネダーの娘である4柱、レスボス島シシリア島ではネイローNeilo)、トリトーネTritone)、アソポーAsopo)、ヘプタポラーHeptapora)、アケロイースAchelois)、ティポプローTipoplo)、ローディアRhodia)の7柱とされていたが、ヘーシオドスによって9柱にまとめられた。その他、シキュオーンデルポイではネテーNete)、メセーMese)、ヒュパテーHypate)の3柱で、竪琴の3本の弦の化身であった。また、アポローンの娘であるケフィソーKephiso)、アポローニスApollonis)、ボリュステーニスBorysthenis)の3柱とする説もある。

アルクマーンによる3柱[編集]

アルクマーンによると、ウーラノスガイアの娘。主に詩歌の形式と技巧を司る。

ムーサ el la 名前の意味
アオイデー Αοιδή Aoide 歌唱
ムネーメー Μνήμη Mneme 記憶
メレテー Μελέτη Melete 実践

キケローによる4柱[編集]

キケローによると、ゼウスネダー(またはプルシアー(Plusia))の娘。主に曲芸の形式と技巧を司る。

ムーサ el la 名前の意味
テルクシノエー Θελξινόη Thelxinoe 魅惑
アオイデー Αοιδή Aoide 歌唱
アルケー Αρχή Arche 始源
メレテー Μελέτη Melete 実践

ヘーシオドスによる九姉妹[編集]

9柱それぞれの名前と司る分野、および持ち物は以下の通り。

ムーサ el la 分野 持ち物 名前の意味
カリオペー
(カリオペイア)
Καλλιόπη Calliope 叙事詩 書板鉄筆 美声
クレイオー
(クリーオー)
Κλ(ε)ιώ Clio 歴史 巻物または巻物入れ 讃美する女
エウテルペー Εὐτέρπη Euterpe 抒情詩 喜ばしい女
タレイア Θάλεια Thalia 喜劇牧歌 喜劇用の仮面羊飼いの杖英語版 豊かさ
メルポメネー Μελπομένη Melpomene 悲劇挽歌 悲劇用の仮面・葡萄の冠・悲劇の靴英語版 女性歌手
テルプシコラー Τερψιχόρα Terpsichore 合唱舞踊 竪琴 踊りの楽しみ
エラトー Ἐρατώ Erato 独唱歌 竪琴 愛らしい女
ポリュムニアー
(ポリュヒュムニアー)
Πολυ(υ)μνία Poly(hy)mnia 讃歌物語 - 多くの讃歌
ウーラニアー Οὐρανία Urania 天文 渾天儀コンパス 天上の女

当初は特定の分野が割り当てられず、音楽・詩作・言語活動一般を司る知の女神たちであったようだが、古典期を通じてローマ時代の後期には各ムーサがつかさどる学芸の分野が定められ、現在広く知られる形が出来上がった。またツェツェース(Tzetzes, およそ1110年 - 1180年)による著作ではカリコレKallichore)、ヘリケ (ヘリケー、Helike)、エウニケ (エウニーケー、Eunike)、テルクシノエ (テルクシノエー、Thelxinoe)、テルプシコラ (テルプシコラー、Terpsichore)、エウテルペ (エウテルペー、Euterpe)、エウケラデEukelade)、ディア (ディーア、Dia)、エノペEnope)といった9柱のムーサが述べられている。

神話には、音楽の競技の場合に登場することが多い。アポローンとマルシュアースの音楽合戦の審判役をつとめたほか、タミュリスセイレーンたちやピーエリスたちなどが、ムーサたちと歌比べの勝負を挑んだが敗北した神話が残っている。

文化への影響[編集]

ヨーロッパの多くの言語では、下記のとおり「音楽」を意味する語、また「美術館/博物館」を意味する語がこの名前から派生した。

ラテン語 イタリア語 フランス語 ドイツ語 英語
音楽 Musica Musica Musique Musik Music
美術館/博物館 Museum Museo Musée Museum Museum

古典古代の学堂であったムセイオンは、もとは文芸の女神ムーサを祀る神殿であったが、後に文芸・学問を研究する場にも使われるようになった。ルネサンス以降に西洋に博物館が成立した際に、ムセイオンの名が復活している。

ルネサンス期以降、ムーサたちにちなんで、Gradus ad Parnassum 『パルナッソスへの階梯』という名の詩学・音楽教本が多く書かれた。ドビュッシーのピアノ組曲「子供の領分」に含まれる第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」は、これにちなんだ題名で、これから始まる組曲の開始曲として配置されている。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 出典原文:
    英語のミュージックmusic … フランス語のミュジックmusique … などの語の共通の語源とされるのは,ギリシア語の〈ムシケmousikē〉であるが,それはそもそも〈ムーサMousa〉(英語でミューズMuse)として知られる女神たちのつかさどる技芸を意味し,その中には狭義の音芸術のほか,朗誦されるものとしての詩の芸術,舞踊など,リズムによって統合される各種の時間芸術が包含されていた[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 平凡社 2022, p. 音楽(ミューズ).
  2. ^ 松村 2022, p. ミューズ.
  3. ^ a b 中山 2022, p. ギリシア音楽.
  4. ^ a b 世界大百科事典内のムーサイの言及

参考資料[編集]

関連項目[編集]