ムハマド・ユヌス

Muhammad Yunus
ムハマド・ユヌス
ムハマド・ユヌス(2013)
生誕 (1940-06-28) 1940年6月28日(83歳)
イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国
ベンガル管区英語版 チッタゴン 
国籍 バングラデシュの旗 バングラデシュ
研究分野 マイクロクレジット 
研究機関 ミドルテネシー州立大学
出身校 ダッカ大学
ヴァンダービルト大学
主な受賞歴 ノーベル平和賞(2006)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2006年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:貧困層の経済的・社会的基盤の構築に対する貢献

ムハマド・ユヌスベンガル語: মুহাম্মদ ইউনুস Muhammad Yunus、1940年6月28日 - )は、バングラデシュの経済学者、実業家。同国にあるグラミン銀行の創設者、またそこを起源とするマイクロクレジットの創始者として知られる。2006年にはノーベル平和賞受賞。学位経済学博士ヴァンダービルト大学)。また、国連SDG Advocates の一人である[1]

人物[編集]

2010年、菅直人首相(当時・左)と握手する

英国統治下にあったバングラデシュの南部チッタゴンの宝石店の二男として生まれる。チッタゴンカレッジを経て、ダッカ大学で修士号を取得し卒業。フルブライト奨学金を得て渡米し、1969年ヴァンダービルト大学で経済学の博士号を取得した。テネシー州で同郷の友人とともに「バングラデシュ市民委員会」を組織、祖国の独立を支援した。 1969年から1972年までミドルテネシー州立大学で経済学の助教授を務める。その後、バングラデシュ独立の翌年の1972年に帰国し、チッタゴン大学経済学部長に就任した。1976年に貧困救済プロジェクトをジョブラ村にて開始し、銀行に融資するように働きかけ自ら村民の保証人にまでなったが、銀行の融資は受けられず、1983年に同プロジェクトはバングラデシュ政府の法律により独立銀行(政府認可の特殊銀行)となる。無担保で少額の資金を貸し出すマイクロ・クレジットでは、8万4000村で558万人ほどの貧しい女性を主対象に貸し出している。このマイクロ・クレジットは貧困対策の新方策として国際的に注目され、主に第三世界へ広がっている。 グラミン銀行は多分野で事業を展開し、「グラミン・ファミリー」と呼ばれるグループへと成長をとげた。2006年のノーベル平和賞が授与された。2007年2月、新党「市民の力」を発足。2011年3月2日、バングラデシュ中央銀行は商業銀行総裁の60歳定年を定めた法律を違反して、ユヌスが総裁を続けているとして、グラミン銀行総裁を解任したと発表した。その際グラミン銀行側は役員会から永久総裁として認められていると反論し[2]、撤回を求めて提訴したが、バングラデシュ最高裁に棄却され解任が決定になった[3]。原因は二大政党制に批判的なユヌスが政党を立ち上げようとしたことで、首相と対立したためとも言われている[3]

2013年、ユヌスは日本人グラフィックデザイナー稲吉紘実のデザインによる「ユヌス・ソーシャル・ビジネス マーク」を発表した。[要出典]

思想[編集]

資本主義

ユヌスは、現在の資本主義が、人間について利益の最大化のみを目指す一次元的な存在であると見なしているとする。これに対して人間は多元的な存在であり、ビジネスは利益の最大化のみを目的とするわけではないとユヌスは主張する[4]

ソーシャル・ビジネス

ユヌスは、利益の最大化を目指すビジネス(PMB)とは異なるビジネスモデルとして、「ソーシャル・ビジネス」を提唱した。ソーシャル・ビジネスとは、特定の社会的目標を追求するために行なわれ、その目標を達成する間に総費用の回収を目指すと定義している。また、ユヌスは2種類のソーシャル・ビジネスの可能性をあげている。一つ目は社会的利益を追求する企業であり、二つ目は貧しい人々により所有され、最大限の利益を追求して彼らの貧困を軽減するビジネスである[5]

不祥事[編集]

ユヌスは、グラミン・ファミリーの一つであるグラミン・コミュニケーションズにて会長職を務めている。このグラミン・コミュニケーションズで、労働法に違反した事が発覚している。ユヌスは2020年3月11日に他の会社幹部3人とともにバングラデシュの労働裁判所に公式に謝罪し、罰金として7500タカを支払った[6]。またユヌスが設立した非営利法人で給与未払いなどの労働法違反があったとして起訴され、ユヌス自身は違法性を否定したが2024年1月1日に禁錮6カ月の有罪判決を受け、即時釈放が認められた。この逮捕にはユヌスの政治的な人気の高さを警戒した政権側の意向もあったと見る向きもあった[7]

著書[編集]

  • Banker to the Poor (1998) 邦訳『ムハマド・ユヌス自伝 : 貧困なき世界をめざす銀行家』 ムハマド・ユヌス、アラン・ジョリ著、猪熊弘子訳、早川書房、1998年 ISBN 4152081899
  • A World Without Poverty (2008) 邦訳『貧困のない世界を創る : ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義』 ムハマド・ユヌス著、猪熊弘子訳、早川書房、2008年 ISBN 415208944X
  • A World of Three Zeros (2018) 邦訳『3つのゼロの世界――貧困0・失業0・CO2排出0の新たな経済』 ムハマド・ユヌス著、山田文訳、早川書房、2018年 ISBN 978-4152097446

受賞歴[編集]

など多数にのぼる(List of awards received by Muhammad Yunusも参照)。

備考[編集]

  • 高校2年英語教科書『Genius』(大修館)のレッスン4に彼の活躍が英文となっている。
  • 高校3年生用英語教科書『CROWN English Reading』(三省堂)レッスン6で、グラミン銀行とユヌスが教材となっている。
  • 中澤幸夫『テーマ別英単語 ACADEMIC [初級]』(Z会) 第1章 経済・ビジネス
  • 高3用英語教科書 MAINSTREAM EC Ⅲ (増進堂)チャプター2で彼の活躍が書かれている。

脚注[編集]

  1. ^ Martin. “Sustainable Development Goals Advocates” (英語). United Nations Sustainable Development. 2018年12月21日閲覧。
  2. ^ ノーベル平和賞のユヌス・グラミン銀総裁、バングラ中銀が解任(2011年3月3日 Thomson Reuters)
  3. ^ a b グラミン銀、ユヌス氏解任決定的に 撤回の訴え棄却”. 日本経済新聞 (2011年4月5日). 2017年9月30日閲覧。
  4. ^ 『貧困のない世界を創る』 猪熊弘子訳、51頁
  5. ^ 『貧困のない世界を創る』 猪熊弘子訳、54頁、65頁
  6. ^ “ノーベル平和賞のユヌス氏、労働法違反認め謝罪 バングラデシュ”. AFPBB News. (2020年3月13日). https://www.afpbb.com/articles/-/3273043 2020年3月13日閲覧。 
  7. ^ “ユヌス氏に禁錮刑=労働法違反、06年にノーベル賞―バングラデシュ”. 時事ドットコム. 時事通信. (2024年1月1日). https://sp.m.jiji.com/article/show/3133182 2024年1月1日閲覧。 

外部リンク[編集]

動画[編集]