マーティン・リット

マーティン・リット
Martin Ritt
生年月日 (1914-03-02) 1914年3月2日
没年月日 (1990-12-08) 1990年12月8日(76歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタモニカ
 
受賞
カンヌ国際映画祭
フランス映画高等技術委員会賞
1979年ノーマ・レイ
その他の賞
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マーティン・リット(Martin Ritt, 1914年3月2日 - 1990年12月8日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の映画監督。

略歴[編集]

大学在学中から演劇に携わり、舞台俳優として活躍。エロン大学、セント・ジョーンズ大学で学ぶ。大恐慌の際には公共事業促進局で働き、連邦劇場計画のために戯曲を執筆したり、演出家としても多くの作品を手がけるようになる。また、テレビ業界でも活躍するようになる。しかし、1950年代はじめ、若い頃にアメリカ共産党に関わっていた(党員ではなかった)ために赤狩りにあい、テレビ業界で働くことができなくなり、一時期舞台に戻る。しばらくして赤狩りの影響力が弱まってきたため、1957年の『暴力波止場』で監督デビューした。1963年の『ハッド』でアカデミー監督賞にノミネートされている。

主な監督作品[編集]

寒い国から帰ったスパイ』(1965年)

外部リンク[編集]