マルティン・クッタ

Martin Kutta
Martin Kutta (1867–1944)
生誕 (1867-11-03) 1867年11月3日
Upper SilesiaPitschen
死没 1944年12月25日(1944-12-25)(77歳)
Fürstenfeldbruck
居住 ドイツ
国籍 ドイツ
研究分野 数学者
研究機関 シュトゥットガルト大学
アーヘン工科大学
フリードリヒ・シラー大学イェーナ
出身校 ブレスラウ大学
ミュンヘン大学
博士課程
指導教員
フェルディナント・フォン・リンデマン
Gustav A. Bauer
他の指導教員 Walther Franz Anton von Dyck
主な業績 ルンゲ=クッタ法
en:Zhukovsky–Kutta aerofoil
クッタ・ジュコーフスキーの定理
クッタの条件
プロジェクト:人物伝
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マルティン・ヴィルヘルム・クッタ(Martin Wilhelm Kutta、ドイツ語: [ˈkʊta]1867年11月3日 - 1944年12月25日)は、ドイツ数学者

上部シレジア、ピチェン(現ビチナポーランド)出身。1885年から1890年までブレスラウ大学に通い、1894年までミュンヘンで勉強を続けそこでWalther Franz Anton von Dyckの助手となった。1898年から半年間ケンブリッジ大学で過ごした[1]。1899年から1909年までも再度ミュンヘンのvon Dyckの助手として働き、1909年から1910年までフリードリヒ・シラー大学イェーナの非常勤教授であった。1910年から1912年までアーヘン工科大学の教授であり、1912年からシュトゥットガルト大学の教授になり、1935年の退官までその職にあった。

1901年、常微分方程式を数値的に解くのに使われるルンゲ=クッタ法を共同開発した。空気力学におけるジュコーフスキー・クッタの翼英語版クッタ・ジュコーフスキーの定理クッタの条件でも知られる。1944年、ドイツのFürstenfeldbruckで亡くなった。

脚注[編集]

  1. ^ "Kutta, Wilhelm Martin (KT899WM)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.

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