マルセリーヌ・ロリダン=イヴェンス

マルセリーヌ・ロリダン=イヴェンス
Marceline Loridan-Ivens
マルセリーヌ・ロリダン=イヴェンス Marceline Loridan-Ivens
マルセリーヌ・ロリダン=イヴェンス(右)、夫のヨリス・イヴェンス(中)と共に。左はベアトリクス元女王
生年月日 (1928-03-19) 1928年3月19日
没年月日 (2018-09-18) 2018年9月18日(90歳没)
出生地 フランスの旗 フランス共和国エピナル
国籍 フランスの旗 フランス
職業 映画監督
配偶者 ヨリス・イヴェンス
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マルセリーヌ・ロリダン=イヴェンスMarceline Loridan-Ivens, 1928年3月19日 - 2018年9月18日[1])は、フランス女優映画監督ホロコースト生還者。マルセリーヌ・ロリダン名義で、ヌーヴェルヴァーグの代表作のひとつ『ある夏の記録』(監督ジャン・ルーシュエドガール・モラン1960年)に主演していることで知られる。

来歴・人物[編集]

1928年3月19日、フランスのヴォージュ県の県庁所在地エピナルで、1919年にフランスに移住したユダヤ系ポーランド人の両親のもとに、マルセリーヌ・ローゼンベルク(Marceline Rosenberg)として生まれる。第二次世界大戦の初めに、一家でヴォクリューズ県に移り住み、そこで彼女はレジスタンス運動に参加する。父とともにゲシュタポに捕らえられ、1944年3月にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、次にベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られ、ついにはテレージエンシュタット強制収容所へ送られ、そこで彼女は、1945年5月の収容所解放により自由を回復する。

1960年、32歳の夏、ジャン・ルーシュとエドガール・モランが共同監督したドキュメンタリー映画『ある夏の記録』にマルセリーヌ・ロリダン名義で主演、一躍知られるようになる。ドキュメンタリー映画監督ヨリス・イヴェンスと出逢って結婚、ヨリスとともにドキュメンタリー集団を結成し[2]、『Comment Yukong déplaça les montagnes』(1976年)などいくつかの作品で共同監督および共同脚本を手がけた。1989年6月28日、51歳のときに、夫ヨリス(90歳没)と死別。夫の遺作『風の物語』には共同で脚本を執筆した。

2003年アヌーク・エーメを主演にした長編劇映画『La Petite Prairie aux bouleaux』を単独で演出している。同作は自身の収容所での経験にとてもインスパイアされている。タイトルはポーランド語「Brezinka」の意味のフランス語訳で、この語をドイツ語化すると「ビルケナウ Birkenau」となる。脚本を女優のジャンヌ・モロー、ヨリスの監督作『Le Peuple et ses fusils』(ドキュメンタリー、1970年)で脚本の共同作業をしたジャン=ピエール・セルジャンらとともに執筆した。

フィルモグラフィ[編集]

監督[編集]

脚本[編集]

  • 人民とその銃 Le Peuple et ses fusils ドキュメンタリー 1970年 脚本・出演 監督・脚本ヨリス・イヴェンス、ジャン=ピエール・セルジャン ※ラオスについて
  • 風の物語 Une histoire de vent ドキュメンタリー 1989年 マルセリーヌ・ロリダン名義 監督・共同脚本ヨリス・イヴェンス ※ヨリスの遺作

出演[編集]

関連事項[編集]

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  1. ^ “Filmmaker Loridan-Ivens, Auschwitz companion of Simone Veil, dies” (英語). France24. (2018年9月19日). https://www.france24.com/en/20180919-filmmaker-loridan-ivens-auschwitz-companion-simone-veil-dies 2018年9月21日閲覧。 
  2. ^ ヨリス・イヴェンスとドキュメンタリーの発展を参照。

外部リンク[編集]