マリーン・オッティ

マリーン・オッティ Portal:陸上競技
マリーン・オッティ (2016年)
選手情報
フルネーム マリーン・ジョイス・オッティ
国籍 ジャマイカの旗 ジャマイカスロベニアの旗 スロベニア
種目 短距離走
生年月日 (1960-05-10) 1960年5月10日(63歳)
生誕地 ジャマイカハノーバー教区
身長 173cm
体重 59kg
成績
オリンピック 100m 2位 (1996年
200m 2位 (1996年)
400mR 2位 (2000年
世界選手権 100m 2位 (1993年, 1995年
200m 優勝 (1993年, 1995年)
400mR 優勝 (1991年
地域大会決勝 コモンウェルスゲームズ
100m 優勝 (1990年
200m 優勝 (1982年
400mR 3位 (1982年)
自己ベスト
60m 6秒96 (1992年)
100m 10秒74 (1996年)
200m 21秒64 (1991年)
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
1996 アトランタ 100m
1996 アトランタ 200m
2000 シドニー 4×100mリレー
1980 モスクワ 200m
1984 ロサンゼルス 100m
1984 ロサンゼルス 200m
1992 バルセロナ 200m
1996 アトランタ 4×100mリレー
2000 シドニー 100m
世界陸上競技選手権大会
1991 東京 4×100mリレー
1993 シュトゥットガルト 200m
1995 イェーテボリ 200m
1983 ヘルシンキ 200m
1993 シュトゥットガルト 100m
1995 イェーテボリ 100m
1995 イェーテボリ 4×100mリレー
1983 ヘルシンキ 4×100mリレー
1987 ローマ 100m
1987 ローマ 200m
1991 東京 100m
1991 東京 200m
1993 シュトゥットガルト 4×100mリレー
1997 アテネ 200m
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マリーン・オッティMerlene Ottey, 1960年5月10日 - )は、ジャマイカの出身でスロベニアに移住した陸上競技選手オリンピックに7大会連続出場。オリンピック、世界陸上競技選手権大会において、決勝まで進み、優勝候補にあげられながら、優勝できず3位入賞が多かったことから、ブロンズコレクター・ブロンズの女王というネーミングまで与えられたが、1993年の世界選手権でようやく金メダルを獲得した。

2000年シドニーオリンピックには40歳で出場したが、その後に若返りを図ったジャマイカ陸上競技連盟と対立[1][2]。スロベニア人のコーチから指導を受けていたこともあり、ジャマイカを離れてスロベニアのリュブリャナに移住した。2002年にスロベニアに国籍を移し、2004年アテネオリンピックにはスロベニア代表として出場。2007年世界選手権大阪大会でも47歳という年齢で出場している。2012年ヨーロッパ選手権ヘルシンキ大会には52歳(と51日)という年齢で4×100mリレーに出場した。これは全ての種目を通じて、ヨーロッパ選手権における最年長出場記録である。

モットーは「生涯現役」。

自己記録[編集]

種目 記録 風速 場所 日付 世界歴代順位
50m
6秒00
(室内) モスクワロシア 1994年2月4日
2位
60m
6秒96
(室内) マドリードスペイン 1992年2月14日
4位
100m
10秒74
+1.3
ミラノイタリア 1996年9月7日
6位
200m
21秒64
+0.8
ブリュッセルベルギー 1991年9月13日
3位
200m
21秒87
(室内) リエヴァン(フランス 1993年2月13日
1位

主な成績[編集]

大会 場所 種目 結果 記録
1980 オリンピック モスクワロシア 200m 3位 22秒20
1983 世界陸上競技選手権大会 ヘルシンキフィンランド 100m 4位 11秒19
1983 世界陸上競技選手権大会 ヘルシンキ(フィンランド) 200m 2位 22秒19
1984 オリンピック ロサンゼルスアメリカ合衆国 100m 3位 11秒16
1984 オリンピック ロサンゼルス(アメリカ合衆国) 200m 3位 22秒09
1987 世界室内陸上競技選手権大会 インディアナポリスアメリカ合衆国 60m 4位 7秒13
1987 世界室内陸上競技選手権大会 インディアナポリス(アメリカ合衆国) 200m 2位 22秒66
1987 世界陸上競技選手権大会 ローマイタリア 100m 3位 11秒04
1987 世界陸上競技選手権大会 ローマ(イタリア) 200m 3位 22秒06
1988 オリンピック ソウル大韓民国 200m 4位 21秒99
1989 世界室内陸上競技選手権大会 ブダペストハンガリー 60m 3位 7秒10
1989 世界室内陸上競技選手権大会 ブダペスト(ハンガリー) 200m 1位 22秒34
1990 IAAFグランプリファイナル アテネギリシャ 200m 1位 21秒88
1991 世界室内陸上競技選手権大会 セビリアスペイン 60m 2位 7秒08
1991 世界室内陸上競技選手権大会 セビリア(スペイン) 200m 1位 22秒24
1991 世界陸上競技選手権大会 東京日本 100m 3位 11秒06
1991 世界陸上競技選手権大会 東京(日本) 200m 3位 22秒21
1992 オリンピック バルセロナスペイン 200m 3位 22秒09
1993 世界陸上競技選手権大会 シュトゥットガルトドイツ 100m 2位 10秒82
1993 世界陸上競技選手権大会 シュトゥットガルト(ドイツ) 200m 1位 21秒98
1994 IAAFグランプリファイナル パリフランス 100m 1位 10秒78
1995 世界室内陸上競技選手権大会 バルセロナスペイン 60m 1位 6秒97
1995 世界陸上競技選手権大会 イェーテボリスウェーデン 100m 2位 10秒94
1995 世界陸上競技選手権大会 イェーテボリ(スウェーデン) 200m 1位 22秒12
1996 オリンピック アトランタアメリカ合衆国 100m 2位 10秒94
1996 オリンピック アトランタ(アメリカ合衆国) 200m 2位 22秒24
1996 IAAFグランプリファイナル ミラノイタリア 100m 1位 10秒74
1997 世界陸上競技選手権大会 アテネギリシャ 100m 7位 11秒29
1997 世界陸上競技選手権大会 アテネ(ギリシャ) 200m 3位 22秒40
1997 IAAFグランプリファイナル 福岡市日本 200m 2位 21秒92
2000 IAAFパーミット テッサロニキギリシャ 100m 1位 10秒99
2000 オリンピック シドニーオーストラリア 100m 3位[3] 11秒19
2003 世界室内陸上競技選手権大会 バーミンガムイギリス 60m 4位 7秒20
  • 2000年8月30日のIAAFパーミットで、向かい風1.2m/sの中でマークした10秒99は、40歳以上の世界記録であり、自身67度目の10秒台となった。
  • 2010年7月13日にノヴォ・メストで11秒67を記録し、世界マスターズ陸上記録のW 50(50歳~54歳)クラスの100mの世界記録をマーク。(マスターズ陸上のW 50(50歳~54歳)クラスより若いクラスの100m、200mの世界記録はすべてオッティのものである)

その他[編集]

  • 2015年5月13日放映の「マツコ&有吉の怒り新党」のコーナー「新・3大○○調査会」で、「オリンピックに執念を燃やす女性スプリンター」として、「新・3大マリーン・オッティの“執念のスプリント”」と題し、1996年アトランタオリンピック女子100m、2004年アテネオリンピック女子100m、2012年スロベニア代表選考レース女子100mの3レースが紹介された。

脚注[編集]

  1. ^ 52歳、8度目五輪なるか オッティ、陸上欧州選手権へ”. 朝日新聞 (2012年6月26日). 2015年2月20日閲覧。
  2. ^ 52歳オッティ、8度目の五輪届かず 陸上・欧州選手権”. 朝日新聞 (2012年6月30日). 2015年2月20日閲覧。
  3. ^ マリオン・ジョーンズ(米)のドーピング違反による金メダル剥奪で、4位から繰り上げ。

外部リンク[編集]