マヌエル・ノイアー

マヌエル・ノイアー
ドイツ代表でのノイアー (2018年)
名前
本名 マヌエル・ペーター・ノイアー
Manuel Peter Neuer
愛称 マヌ
ラテン文字 Manuel Neuer
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1986-03-27) 1986年3月27日(38歳)
出身地 ゲルゼンキルヒェン
身長 193cm
体重 93kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 FCバイエルン・ミュンヘン
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2006 ドイツの旗 シャルケ04 II 29 (0)
2006-2011 ドイツの旗 シャルケ04 156 (0)
2011- ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 530 (0)
代表歴2
2004  ドイツ U-18 1 (0)
2004–2005  ドイツ U-19 11 (0)
2005–2006  ドイツ U-20 4 (0)
2006–2009  ドイツ U-21 20 (0)
2009- ドイツの旗 ドイツ 113 (0)
獲得メダル
男子サッカー
 ドイツ
FIFAワールドカップ
2010 南アフリカ
2014 ブラジル
UEFA EURO
2012ポーランド・ウクライナ
2016 フランス
UEFA U-21欧州選手権
2009 スウェーデン
UEFA U-19欧州選手権
2005 北アイルランド
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月22日現在。
2. 2022年11月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マヌエル・ペーター・ノイアーManuel Peter Neuer, 1986年3月27日 - )は、西ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェン出身のサッカー選手ブンデスリーガFCバイエルン・ミュンヘン所属。ドイツ代表。ポジションはゴールキーパー

クラブと代表でキャプテンを務めている。 カバー範囲の広い「スイーパー=キーパー」の第一人者としてポジションの概念を変えたと称される現代ゴールキーパーの象徴的選手[1]FIFAワールドカップUEFAチャンピオンズリーグFIFAクラブワールドカップブンデスリーガなどの主要タイトルを制した同時代の世界最高のGKにして、史上最高のGKの1人に数えられる[2]

クラブ経歴[編集]

シャルケ[編集]

シャルケでのノイアー(2005年)

地元ゲルゼンキルヒェンのクラブであるシャルケ04のユース出身。14歳まではサッカーと並行してテニスもプレーしていた[3]。2006年8月19日のアレマニア・アーヘン戦でブンデスリーガデビューを果たすと、フランク・ロストに代わり正GKの座を手にした。冬にロストはハンブルガーSVへと移籍した。

2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦のポルト戦のPK戦でブルーノ・アルヴェスリサンドロ・ロペスのシュートを止め、シャルケのクラブ初となるベスト8進出に貢献した。またこのシーズンはブンデスリーガの全試合にフル出場を果たした(ノイアーの他には2人のみ)。この活躍もありUEFA最優秀GK賞にドイツから唯一ノミネートされた。

ハンブルガーSVへ移籍したハイコ・ヴェスターマンに変わり主将として臨んだ2010-11シーズンは好セーブを連発。チャンピオンズリーグではグループリーグ6試合で3失点に抑え、首位通過に貢献。決勝トーナメントでも活躍し、シャルケ初のベスト4入りに貢献した。

ベスト4進出決定後の2011年4月20日にシャルケとの契約を更新せず、シーズン終了後に移籍する方針であることを発表[4][5]バイエルン・ミュンヘンマンチェスター・ユナイテッドFCなどの多数の関心が報じられていたが、ユナイテッドからのオファーは否定した[6]。チャンピオンズリーグ準決勝1stレグではそのユナイテッドに0-2で敗戦したもののビッグセーブを連発し、敵将のアレックス・ファーガソンから「対戦してきた選手の中で最も良いプレーをした一人」と賞賛し、またノイアーがユナイテッドに来る望みがないことも話した[7]。また本人も試合後、改めてユナイテッド移籍の可能性を否定した[8]

バイエルン・ミュンヘン[編集]

6月1日、移籍金1800万ユーロと出来高700万ユーロの5年契約で、バイエルン・ミュンヘンへの移籍が決定した[9]。すぐさま、ハンス=イェルク・ブットから背番号1番を譲り受けて定位置を確保。だが、8月7日のボルシア・メンヒェングラートバッハとの開幕戦ではジェローム・ボアテングとの連携ミスによりイゴール・デ・カマルゴに決勝点を決められ、0-1で敗れた。

しかし、8月13日のVfLヴォルフスブルク戦(1-0)以降リーグ戦では10月23日のハノーファー96戦(1-2)に敗北するまでリーグ戦8試合・770分間連続無失点を記録した。さらに、10月18日のUEFAチャンピオンズリーグSSCナポリ戦(1-1)にてホルガー・バトシュトゥバーのオウンゴールで失点するまで公式戦12試合・1140分間連続無失点も同時に記録した[10]

2012年4月25日、チャンピオンズリーグ準決勝のレアル・マドリード戦2ndレグは延長戦でも決着がつかずPK戦に突入。ここでクリスティアーノ・ロナウドカカのPKを止めて3-1で勝利し、決勝に進出した。5月20日のチェルシーFCとの決勝戦はバイエルンの本拠地フースバル・アレナ・ミュンヘン[11]で行われた。トーマス・ミュラーのゴールで先制するが終了間際に追いつかれて、レアル戦同様延長でも決着がつかずPK戦に突入。1人目フアン・マタのPKを止め、さらには自らもPK戦を拒否したアリエン・ロッベンに変わってキッカーを務め、ペトル・チェフの守るゴールを破ったが、結局イヴィツァ・オリッチバスティアン・シュヴァインシュタイガーが失敗して最後はディディエ・ドログバに決められて4-3で敗北。ホームで11季ぶりの優勝はならなかった。

大型補強を敢行した2012-13シーズンは開幕8連勝を飾るなど首位を独走。リーグ戦ではバイエル・レバークーゼンに、チャンピオンズリーグではGLでBATEボリソフ、決勝トーナメントではアーセナルに敗れたが安定した成績を残した。リーグ戦では14連勝を含む25戦連続無敗もあって新記録となる勝ち点91を叩き出してボルシア・ドルトムントから3季ぶりのリーグ優勝を果たし、チャンピオンズリーグ決勝でもドルトムントとの同国対決を制して12季ぶり5回目の優勝を果たした。さらにDFBポカール決勝でもVfBシュトゥットガルトに勝利してドイツでは史上初となる三冠を達成した。自身は31試合出場でわずか18失点[12] に抑え、ダンテハビ・マルティネスなど新加入選手の多いDFラインを支えた。

2014-15シーズン、ドイツ最優秀選手賞に選ばれ[13]、UEFAのベストイレブンにも選ばれた[14]。バロンドールの投票では第3位となった[15]

2016年4月20日、バイエルン・ミュンヘンと2019年の夏まで契約を結んでいたが、期限を待たずに2年間の延長を決断し、契約期間は2021年6月30日までとなった[16]。2017年2月25日、第22節のハンブルガーSVではリーグ通算100回目のクリーンシートを史上最速で記録した。4月に左中足骨を骨折した。

翌シーズンはフィリップ・ラームの跡を継ぎチームキャプテンに就任する。しかし2017年9月に、再び中足骨骨折のため2018年1月まで離脱することが発表され[17]、結局復帰は3月まで待つこととなった。

2019-20シーズン開幕前にCL優勝を目指して移籍も噂されたが残留した[18]。チャンピオンズリーグ決勝のパリ・サンジェルマン戦ではいくつかの決定機を防ぐ活躍で、チームに優勝をもたらした[19][20]

2020-21シーズン、第18節のシャルケ戦で、これまでオリバー・カーンが保持していた記録を破り、リーグの新記録となる197回目の無失点を達成した[21]。21節RBライプツィヒとの対戦で勝利し、GKとしてはカーンに並ぶ通算310勝を挙げたが、手術を受けることによりしばらくの間プレー出来ないこととなった[22]

2022-23シーズンも開幕戦からレギュラーとしてプレーし、2022 FIFAワールドカップにおいても全3試合に先発フル出場をした。大会終了後の12月10日、訪れていた国内のスキー場で転倒して右足の下腿部を骨折し、シーズンを棒にふる大怪我を負った[23]

代表経歴[編集]

2014 FIFAワールドカップでのノイアー。

2009年に開催されたUEFA U-21欧州選手権では5試合で失点を4に抑え、ドイツの優勝に貢献した。

ドイツ代表としては2009年6月2日に行われたUAE代表との国際親善試合でデビュー[24]

正GKとしてに臨んだ南アフリカW杯では3位決定戦以外の全試合にフル出場。出場した6試合を2失点に抑え、4度の完封を記録しドイツの2大会連続となる3位入賞に貢献した。決勝トーナメント1回戦のイングランド戦ではミロスラフ・クローゼのゴールをアシストした。W杯後は不動の正GKとして活躍している。

ブラジルW杯では決勝までの7試合で喫したのはわずかに4失点で、4試合で完封した。さらに、大会通算で86.2%という高いセーブ率を記録して大会の最優秀GKに選ばれドイツの優勝に貢献した[25]

代表を引退したバスティアン・シュヴァインシュタイガーの後任として、新キャプテンに任命された。ドイツ代表チームでGKがキャプテンを務めるのはオリバー・カーン以来、2人目[26]

ロシアW杯のグループリーグ第3戦の韓国代表戦において、試合終了直前に相手陣内に上がった所、相手選手にボールを奪われ、それが前線にいたソン・フンミンに繋がりそのまま決められるなどとして韓国代表に2点を奪われドイツ代表のグループリーグ敗退が決定してしまった。

UEFA EURO 2020予選のエストニア戦で、これまでゼップ・マイヤーが持っていた最多クリーンシート数を37に更新した[27]。2021年6月7日、UEFA EURO 2020直前に開催された親善試合、ラトビア戦でドイツ代表史上初の代表通算100試合出場を達成した[28]

2022 FIFAワールドカップのグループリーグ初戦の日本戦ではスタメン入りするも後半に南野拓実のシュートを一度はじくもこぼれた球を堂安律に決められ同点にされ、その8分後にも浅野拓磨に角度のないシュートを打たれるとそのニアサイドを撃ち抜かれ2大会連続の黒星スタートに。その黒星スタートが尾を引き、グループリーグ最終戦でコスタリカに4-2で勝利するもスペインに得失点差で及ばず、ドイツ代表の2大会連続のグループリーグ敗退が決定してしまった。

プレースタイル[編集]

最終ラインの裏へ出されたボールに反応してペナルティーエリア外へ果敢に飛び出すカバー範囲とビルドアップ参加を特徴とし[29]、ゴールキーパーながらリベロ的な役割も担う「スイーパー=キーパー」と呼ばれるポジションを確立・進化させた第一人者[30][31]。2013年から2016年までバイエルン・ミュンヘンの監督を務めたジョゼップ・グアルディオラにハイラインディフェンスの後方スペースのカバーを任せられたことでノイアーの役割が「スイーパー=キーパー」と呼ばれるようになった[30]。また、足元の技術やパスセンスが評価され、ビルドアップへの参加等の攻撃への関与も多く見られるようになり、これらのノイアーの特徴が現代的GKの要素とされるようになった[1]

また、至近距離からのシュートへの鋭い反応や[30]、強肩を生かした素早いフィード等の従来のゴールキーパーとして求められる能力も持ち味の一つである[32]

エピソード[編集]

  • 憧れの選手はシャルケの正GKであったイェンス・レーマンである[33]
  • 2011年3月12日、ブンデスリーガの第26節アイントラハト・フランクフルトとの試合前に、ノイアーのチームメイトである内田篤人が前日に日本で起きた東日本大震災の被災地に向けメッセージを送るためにメッセージ入りのユニフォームを持っているのを見て「日本へのメッセージか。今日それを見せるのか」と問いかけたところ、内田が「勝ったら見せようと思う。負けたら見せない」と答えたので「じゃあ勝つ。僕が守るから今日は勝てる」と声をかけた。試合はノイアーのアシストもあり宣言通りシャルケは4試合ぶりに勝利した。試合終了後チームはサポーターの前で喜びを分かち合っていたが内田はメッセージを書いたユニフォームを着てたたずみ、しばらくしてチームメイトと共に控室に戻ろうとしたところ、ノイアーがそれに気付き再び内田をファンの前へエスコートしてメッセージを披露させた[5][34]
  • シャルケからバイエルンへ移籍する直前には内田をドライブに誘い、オービスの位置やお気に入りのアイスクリーム屋を案内した[35]。なお、ノイアーと内田は同じ3月27日生まれである。
  • 長年愛したシャルケを去る決断の理由は「最高レベルでプレーするために一歩踏み出したい」とし、会見では目に涙を浮かべた[6]。また移籍先にバイエルンを選択した理由は「ドイツから出たくはなかった。ブンデスリーガは魅力的なリーグだし、ドイツで最高のクラブといったらバイエルン。僕はドイツで最高のクラブでプレーしたかったんだ」と述べた[36]
  • ただバイエルン移籍後のノイアーは、開幕前の練習試合でバイエルンサポーターから「僕らが君を受け入れることはない」という横断幕を掲げられ[37]、さらに9月18日の古巣シャルケ戦ではシャルケサポーターに「裏切り者」「馬鹿野郎」と罵声を浴び、さらに「マヌエル・ノイアーの死をここに偲ぶ。2005-2011」[38] という横断幕を掲げられるという屈辱を味わい、船出は決して良好なものとは言えなかった。
  • ドイツ代表に定着してからはメスト・エジルなどの他の代表選手と共にヌテラのCMも出演している。
  • サッカーの他にバスケットボールの腕前も高い。
  • 2013年に公開されるピクサーの映画「モンスターズ・ユニバーシティ」のドイツ語版で、ゲスト声優としてフランク・マッケイ役を務めた[39]
  • 2017年5月、ESPN世界で最も有名なアスリート100人を発表し、97位に選出された。サッカー選手としては37位[40]
  • 2013年から2016年までバイエルン・ミュンヘンの監督を務めたジョゼップ・グアルディオラからは足元の技術を非常に評価されており、ゴールキーパーだけでなくミッドフィールダーとしての起用が真剣に考えられていたことがカール=ハインツ・ルンメニゲ元CEOによって明かされている[41]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

2022年11月21日現在
クラブ シーズン リーグ リーグ 国内カップ その他 UEFA 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
シャルケ04 2005–06 ブンデスリーガ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
2006-07 27 0 0 0 0 0 0 0 27 0
2007-08 34 0 3 0 2 0 10 0 49 0
2008-09 27 0 2 0 0 0 5 0 34 0
2009-10 34 0 5 0 0 0 0 0 39 0
2010-11 34 0 6 0 1 0 12 0 52 0
通算 156 0 16 0 3 0 29 0 194 0
バイエルン・ミュンヘン 2011–12 ブンデスリーガ 33 0 5 0 2 0 12 0 57 0
2012-13 31 0 5 0 1 0 13 0 60 0
2013-14 31 0 5 0 1 0 12 0 49 0
2014-15 32 0 5 0 1 0 12 0 50 0
2015-16 34 0 5 0 1 0 11 0 51 0
2016-17 26 0 4 0 1 0 9 0 40 0
2017-18 3 0 0 0 1 0 1 0 4 0
2018-19 26 0 3 0 8 0 1 0 38 0
2019-20 33 0 6 0 11 0 1 0 51 0
2020-21 33 0 1 0 3 0 9 0 46 0
2021-22 28 0 1 0 1 0 9 0 39 0
2022-23 12 0 0 0 1 0 3 0 16 0
通算 322 0 40 0 111 0 16 0 489 0
総通算 503 0 56 0 138 0 20 0 717 0

代表[編集]

2022年12月1日現在

国際Aマッチ 117試合 0得点(2009年-)


ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
2009 2 0
2010 13 0
2011 10 0
2012 11 0
2013 8 0
2014 13 0
2015 6 0
2016 11 0
2017 0 0
2018 10 0
2019 8 0
2020 4 0
2021 12 0
2022 9 0
通算 113 0

タイトル[編集]

シャルケ時代のノイアー(2010年)

クラブ[編集]

シャルケ04
バイエルン・ミュンヘン

代表[編集]

U-21ドイツ代表
ドイツ代表

個人[編集]

代表歴[編集]

出場大会[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b サッカー さあ開幕 集まるぞ世界の至宝 11人目のフィールドプレーヤー マヌエル・ノイアー=ドイツ”. 毎日新聞 (2022年11月20日). 2022年11月22日閲覧。
  2. ^ ノイアーが“世界最高のGK”と呼ばれる5つの理由”. BUNDESLIGA (2019年1月21日). 2020年9月8日閲覧。
  3. ^ 独代表GKノイアーは気弱な少年だった…地元メディアが生い立ちを紹介”. サッカーキング (2017年1月12日). 2022年11月22日閲覧。
  4. ^ ノイアー、シャルケと契約更新せず=ドイツ代表GK-サッカー 時事通信 2011年4月20日
  5. ^ a b 内田の最大の理解者ノイアーがシャルケとの契約延長を拒否…今夏に移籍濃厚 SOCCER KING 2011年4月20日
  6. ^ a b 移籍決断の理由を明かすノイアー Goal.com 2011年4月21日
  7. ^ ファギー、ノイアーを絶賛も… Goal.com 2011年4月27日
  8. ^ ノイアー:「マン・Uは選択肢になかった」 Goal.com 2011年4月27日
  9. ^ ノイアー、バイエルンの新守護神 バイエルン・ミュンヘン公式サイト2011年6月1日
  10. ^ バイエルンの公式戦無失点記録、オウンゴールにより1147分でストップ SOKKER KING 2011年10月19日
  11. ^ UEFA主催試合では命名権名称であるアリアンツ・アレーナの名称は使用できない。
  12. ^ これはこのシーズンのバイエルンの全ての失点数であり、ブンデスリーガ最少記録でもある
  13. ^ “Manuel Neuer named German Footballer of the Year”. Deutsche Welle. (2014年8月10日). http://www.dw.de/manuel-neuer-named-german-footballer-of-the-year/a-17844354 2015年1月12日閲覧。 
  14. ^ “Bayern dominate UEFA Team of the Year poll”. Deutsche Welle. (2015年1月9日). http://www.dw.de/bayern-dominate-uefa-team-of-the-year-poll/a-18182680 2015年1月12日閲覧。 
  15. ^ “Cristiano Ronaldo wins Ballon d'Or over Lionel Messi & Manuel Neuer”. BBC Sport. (2015年1月12日). http://www.bbc.com/sport/0/football/30783885 2015年1月12日閲覧。 
  16. ^ “バイエルン、守護神ノイアーと2021年まで契約延長「3冠が大きな目標」”. サッカーキング SOCCERKING. http://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20160421/433168.html 2016年4月21日閲覧。 
  17. ^ バイエルンGKノイアーが“またも”中足骨を骨折、クラブは「来年1月復帰」と発表ゲキサカ 2017年9月17日
  18. ^ バイエルン守護神ノイアー、退団の可能性も。代理人「新しい事に挑戦も検討」フットボールチャンネル 2019年7月9日
  19. ^ ノイアーが好守連発 ネイマールらを止める 欧州CL決勝”. www.sankei.com (2020年8月24日). 2020年8月24日閲覧。
  20. ^ 「ゴール前に置くことは反則」トゥヘル、冗談を交えてノイアーを称賛”. sport-japanese.com (2020年8月24日). 2020年8月24日閲覧。
  21. ^ ノイアーがブンデス新記録を樹立! カーン氏を超え歴代最多クリーンシート数に”. www.soccer-king.jp (2021年1月25日). 2021年1月25日閲覧。
  22. ^ バイエルン守護神ノイアー、右膝手術 CL欠場へ”. コリー (2022年2月7日). 2022年2月8日閲覧。
  23. ^ ノイアー、スキーでの負傷に罪悪感…一方で親しいGKコーチの解任には「大きな失望」”. サッカーキング. 2023年2月6日閲覧。
  24. ^ Die Mannschaft - Manuel Neuer”. Deutscher Fußball-Bund. 2016年10月26日閲覧。
  25. ^ その存在感はベッケンバウアー級。ノイアーが示した「リベロGK」の衝撃。 NumberWeb 2014年7月19日
  26. ^ ドイツ代表、新キャプテンはノイアー bundesliga.com/jp 2017年7月23日
  27. ^ Neuer breaks Germany clean sheet record”. Goal.com. 2019年6月11日閲覧。
  28. ^ ノイアー、ドイツ代表通算100試合出場! 同国代表GKでは史上初の快挙”. サッカーキング. 2021年6月7日閲覧。
  29. ^ 育成のエキスパートによるGK解説②マヌエル・ノイアー”. bundesliga.com (2020年5月14日). 2022年11月22日閲覧。
  30. ^ a b c 【注目選手】ドイツ代表の守護神マヌエル・ノイアー”. DAZN (2020年5月8日). 2022年11月22日閲覧。
  31. ^ ノイアーというケーススタディ。現代サッカーのスイーパーはGKである”. footballista (2017年8月19日). 2022年11月22日閲覧。
  32. ^ 『10-11 世界サッカー選手名鑑』学研パブリッシング、2010年、87頁。ISBN 978-4-05-606112-3 
  33. ^ Neuer - so gut wie sein Idol Lehmann RP-Online.de. 2008年3月7日
  34. ^ スポーツ報知2011年3月14日記事より。
  35. ^ 男の履歴書 内田篤人編|インライフ
  36. ^ ノイアー:「移籍する必要はなかったけど…」 Goal.com 2011年6月3日
  37. ^ ノイアーに「お前を受け入れない」横断幕 日刊スポーツ 2011年7月7日
  38. ^ 「ノイアーあなたはばか野郎だ」/ブンデス 日刊スポーツ 2011年9月19日
  39. ^ ノイアーが映画『モンスターズ・インク』の続編で声優に初挑戦 Qoly.jp 2013年6月13日
  40. ^ ESPN World Fame 100 ESPN.com 2017年6月10日閲覧。
  41. ^ GKノイアー、ペップ時代に中盤コンバートのプランがあった”. ゲキサカ (2020年2月5日). 2022年11月22日閲覧。
  42. ^ Yachine 1er, le classement des meilleurs gardiens de l'histoire France Football 2020年12月21日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]