マニフェスト・デスティニー

1872年に描かれた「アメリカの進歩」。女神の右手には書物と電信線が抱えられており、合衆国が西部を「文明化」という名の下に征服しようとする様子を象徴している。背後には1869年に開通した大陸横断鉄道も見える。
A New Map of Texas, Oregon, and California, Samuel Augustus Mitchell, 1846

マニフェスト・デスティニー英語: Manifest Destiny)とは、元々はアメリカ合衆国西部開拓を正当化する標語であった。「明白なる使命」や「明白なる運命」、「明白な天命」、「明白なる大命」などと訳出される。「文明は、古代ギリシアローマからイギリスへ移動し、そして大西洋を渡ってアメリカ大陸へと移り、さらに西に向かいアジア大陸へと地球を一周する」という、いわゆる「文明の西漸説」に基づいたアメリカ的文明観である[1]

概要[編集]

1845年ジョン・オサリヴァンが用いたのが初出である。この際は、合衆国のテキサス共和国の併合を支持する表現として用いられ、のちに合衆国の膨張を「文明化」・「天命」とみなしてインディアン虐殺、西部侵略を正当化する標語となっていった。19世紀末に「フロンティア」が事実上消滅すると、米西戦争米墨戦争米比戦争ハワイ諸島併合など、合衆国の帝国主義的な領土拡大や、覇権主義を正当化するための言葉となった。

イギリスの帝国主義政治家ジョゼフ・チェンバレンも「マニフェスト・デスティニー」の語を使用し、「アングロ・サクソン民族は最も植民地経営に適した民族であり、アフリカに文明をもたらす義務を負っている」と語っている[2]

出典[編集]

  1. ^ 戦後日米関係とアメリカの文化外交松田武、『国際問題』No. 578、2009年2月
  2. ^ 坂井(1967) p.173

参考文献[編集]

関連項目[編集]