マイク・シュミット

マイク・シュミット
Mike Schmidt
現役時代のシュミット(1983年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州デイトン
生年月日 (1949-09-27) 1949年9月27日(74歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1971年 ドラフト2巡目でフィラデルフィア・フィリーズから指名
初出場 1972年9月12日
最終出場 1989年5月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1995年
得票率 96.52%
選出方法 BBWAA[:en]選出

マイケル・ジャック・シュミットMichael Jack Schmidt, 1949年9月27日 - )はアメリカ合衆国オハイオ州デイトン出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

キャリアの全てをフィラデルフィア・フィリーズで過ごしたフランチャイズ・プレイヤーである。通算548本塁打は三塁手として歴代最多。またナ・リーグ最多の本塁打王8回、エディ・マシューズに並びナ・リーグ歴代最長タイとなる9年連続30本塁打といった記録も残している。守備も堅実でゴールドグラブ賞を10回受賞。史上最高の三塁手とも称される[1][2]

経歴[編集]

1971年ドラフト2巡目(全体30位)でフィラデルフィア・フィリーズに入団。1972年9月12日にメジャーデビューを果たし、同年13試合に出場。翌1973年には132試合に出場し、三塁手のレギュラーに定着。しかし、打率.196の低打率に終わり、シーズン終了後にプエルトリコウィンターリーグで、当時フィリーズの監督だったダニー・オザークや打撃コーチのボビー・ワインからのアドバイスもあり、ゆったり構えていた打撃フォームを投手に背中が見えるくらいにねじり、背中をゆすりタイミングを合わせるという打撃フォームへ変更[1]

1974年6月10日、アストロドームで行われた対アストロズ戦では打球が本塁から329フィート(約100m)、地上35フィート(約10m)の天井からつるしてあったスピーカーに直撃。ボールはフィールドに落下し、グラウンドルールによりインプレーとなった[1]。36本塁打を放ち初のナショナルリーグ本塁打王となり、以後、1976年まで3年連続でナ・リーグ本塁打王となった。1975年4月には当時のMLBタイ記録に並ぶ11本塁打を記録[3]1976年4月17日のカブス戦では1試合4本塁打を記録。シュミットに本塁打を打たれた投手の内訳を見ると、最初の2本がリック・ラッシェル、3本目はマイク・ガーマン、そして4本目はポール・ラッシェルと、リックとポールのラッシェル兄弟から3本の本塁打を放っている。試合は3回終了時に13-1でカブスがリードしていたが、延長10回にシュミットの本塁打で、18-16でフィリーズの勝利となった[4]

1980年には、打率.286、48本塁打、121打点で二冠王となりフィリーズの地区優勝に大きく貢献。満票で初のナ・リーグMVPに選出される。同年のワールドシリーズでもフィリーズ初の世界一に貢献し、シリーズMVPにも輝いた。1981年50日間に及ぶストライキのためシーズンが短くなったが、102試合出場で、打率.316、31本塁打、91打点で昨年に続き二冠王となり、ナ・リーグMVPに選出された。1983年は、打率.255、40本塁打、109打点を記録し、3年ぶりに40本塁打・100打点を達成。ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは20打数1安打に終わり、チームは1勝4敗で敗れた。シーズン終了後には年俸210万ドルの4年契約に合意。リック・シューが三塁手、シュミットは一塁手として1985年は出場したが、1986年からは再び三塁手として出場。1986年は、打率.290、37本塁打、119打点で二冠王となり、5年ぶり3回目のナ・リーグMVPに選出された。

1988年、右肩を痛め、打率.249、12本塁打、62打点の成績に終わり、シーズン終了後に右肩の手術を受けた[2]。しかし、肩の回復が思わしくなく、1989年5月29日、涙ながらに現役引退を表明[2]。同年のMLBオールスターゲームのファン投票でナ・リーグ三塁手として最多票を集めた。規定により出場はできなかったが、史上初めて引退選手がオールスターに選出された[2]

シュミットの背番号「20」。
フィラデルフィア・フィリーズの永久欠番1990年指定。

1990年5月26日、フィリーズはシュミットの在籍時の背番号20』を永久欠番に指定した。1995年、資格取得1年目でかつてのフィリーズの先輩であるリッチー・アシュバーンとともにアメリカ野球殿堂入り。

引退後は解説者活動を主に行うが、2002年よりフィリーズのスプリング・トレーニングでのアドバイザースタッフとして後進の指導を行うほか、2003年より2シーズン、フィリーズ傘下のA級マイナーリーグチーム、クリアウォーター・スレッシャーズで監督を務め、2009年ワールド・ベースボール・クラシックのアメリカ代表チームでもコーチを務めた。

2006年、フィリーズの後輩にあたるライアン・ハワードが、58本塁打、149打点で二冠王に輝いた。それについてシュミットは、地元紙のインタビューに「ハワードの大ファンになってしまった」と公言している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1972 PHI 13 40 34 2 7 0 0 1 10 3 0 0 0 0 5 0 1 15 0 .206 .325 .294 .619
1973 132 443 367 43 72 11 0 18 137 52 8 2 1 4 62 3 9 136 8 .196 .324 .373 .697
1974 162 686 568 108 160 28 7 36 310 116 23 12 3 5 106 14 4 138 4 .282 .395 .546 .941
1975 158 674 562 93 140 34 3 38 294 95 29 12 6 1 101 10 4 180 7 .249 .367 .523 .890
1976 160 705 584 112 153 31 4 38 306 107 14 9 3 7 100 8 11 149 7 .262 .376 .524 .900
1977 154 667 544 114 149 27 11 38 312 101 15 8 1 9 104 4 9 122 10 .274 .393 .574 .967
1978 145 616 513 93 129 27 2 21 223 78 19 6 0 8 91 12 4 103 4 .251 .364 .435 .799
1979 160 675 541 109 137 25 4 45 305 114 9 5 2 9 120 12 3 115 13 .253 .386 .564 .950
1980 150 652 548 104 157 25 8 48 342 121 12 5 0 13 89 10 2 119 6 .286 .380 .624 1.004
1981 102 434 354 78 112 19 2 31 228 91 12 4 0 3 73 18 4 71 9 .316 .435 .644 1.079
1982 148 631 514 108 144 26 3 35 281 87 14 7 0 7 107 17 3 131 11 .280 .403 .547 .950
1983 154 669 534 104 136 16 4 40 280 109 7 8 0 4 128 17 3 148 10 .255 .399 .524 .923
1984 151 632 528 93 146 23 3 36 283 106 5 7 0 8 92 14 4 116 15 .277 .383 .536 .919
1985 158 645 549 89 152 31 5 33 292 93 1 3 0 6 87 8 3 117 10 .277 .375 .532 .907
1986 160 657 552 97 160 29 1 37 302 119 1 2 0 9 89 25 7 84 8 .290 .390 .547 .937
1987 147 613 522 88 153 28 0 35 286 113 2 1 0 6 83 15 2 80 17 .293 .388 .548 .936
1988 108 451 390 52 97 21 2 12 158 62 3 0 0 6 49 10 6 42 11 .249 .337 .405 .742
1989 42 172 148 19 30 7 0 6 55 28 0 1 0 3 21 4 0 17 6 .203 .297 .372 .669
MLB:18年 2404 10062 8352 1506 2234 408 59 548 4404 1595 174 92 16 108 1507 201 79 1883 156 .267 .380 .527 .907
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



三塁(3B) 一塁(1B) 二塁(2B) 遊撃(SS)
















































1972 PHI 11 6 21 1 3 .964 - 1 4 4 1 0 .889 -
1973 125 101 251 17 30 .954 2 14 4 1 2 .947 4 4 0 0 0 1.000 2 0 1 0 0 1.000
1974 162 134 404 26 40 .954 - - -
1975 151 132 368 24 30 .954 - - 10 7 22 2 2 .935
1976 160 139 377 21 29 .961 - - -
1977 149 106 396 19 33 .964 - 1 1 1 1 0 .667 2 2 4 0 1 1.000
1978 139 98 324 16 34 .963 - - 1 0 1 0 0 1.000
1979 157 114 361 23 36 .954 - - 2 1 2 0 2 1.000
1980 149 98 372 27 31 .946 - - -
1981 101 74 249 15 20 .956 - - -
1982 148 110 324 23 28 .950 - - -
1983 153 107 332 19 29 .959 - - 2 1 1 0 0 1.000
1984 145 85 329 26 19 .941 2 8 1 0 1 1.000 - 1 0 0 0 0 ----
1985 54 31 109 11 8 .927 106 880 83 7 89 .993 - 1 0 1 0 0 1.000
1986 124 78 220 6 27 .980 35 269 18 2 26 .993 - -
1987 138 87 315 12 28 .971 9 51 3 1 7 .982 - 3 0 1 0 0 1.000
1988 104 73 222 19 17 .939 3 3 1 0 0 1.000 - -
1989 42 18 71 8 8 .918 - - -
MLB 2212 1591 5045 313 450 .955 157 1225 110 11 125 .992 6 9 5 2 0 .875 24 11 33 2 5 .957

タイトル[編集]

  • 本塁打王:8回(1974年 - 1976年、1980年、1981年、1983年、1984年、1986年)※8回は歴代2位。ナショナルリーグでは歴代1位[注 1]
  • 打点王:4回(1980年、1981年、1984年、1986年)※4回は歴代4位タイ[注 2]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 22(1972年)
  • 20(1973年 - 1989年)

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 芝山幹郎 「誇り高き歴史を築いた男たち/マイク・シュミット 長打と好守で鳴らしたフィラデルフィアの鉄人」『月刊メジャー・リーグ』 2006年11月号、ベースボールマガジン社、2006年、雑誌 08625-11、84 - 85頁。
  2. ^ a b c d 藤澤文洋『メジャーリーグ・スーパースター名鑑』研究社、2003年、80 - 83頁頁。ISBN 4-327-37689-2 
  3. ^ Mike Schmidt from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年7月4日閲覧。
  4. ^ April 17, 1976 Philadelphia Phillies at Chicago Cubs Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年7月4日閲覧。

外部リンク[編集]