ボーイ・ジョージ

ボーイ・ジョージ
2013年
基本情報
生誕 (1961-06-14) 1961年6月14日(62歳)
出身地 イングランドの旗 イングランドベクスリー・ロンドン特別区
ジャンル ニューロマンティック[1]レゲエ[2]

ボーイ・ジョージ(Boy George、1961年6月14日 - )は、ロンドン生まれのアイルランド系イギリス人ミュージシャン[3]。本名はジョージ・アラン・オダウド(George Alan O'Dowd)。ブルーアイド・ソウルのカルチャー・クラブヴォーカリストとして知られる。

略歴[編集]

1982年カルチャー・クラブのヴォーカリストとしてデビューした。奇抜なメイク、深みのある低音ボイスを特徴とした歌声でヒットを連発。1980年代第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを牽引した。代表曲に「君は完璧さ[注釈 1]「タイム」[注釈 2]カーマは気まぐれ」「ポイズン・マインド」[注釈 3]ミス・ミー・ブラインド」「戦争のうた[注釈 4]などがある。 1984年バンド・エイドに当時の人気スターの一人として参加した[注釈 5]。この時期、ギネスブックの「最高のコマーシャル出演料」の項目において、日本のテレビで放映されるコマーシャルの出演料の150万ドルが世界一と認定されていたことがある[4]。しかし、1986年ドラッグ禍が発生し、カルチャー・クラブは活動休止になってしまう。ソロ活動を開始し、1987年にアルバム『ソールド』をリリースしたが声はボロボロになっていた。彼はその後ニュー・ジャック・スウィングの曲を発表し、再注目された[注釈 6]1990年には「Jesus Loves You」名義で活動(同名義ではアルバム「The Matir Mantra」一作のみリリース)。1992年に、アカデミー賞脚本賞を受賞した同名映画の主題歌となったカバー曲「ザ・クライング・ゲーム」(プロデュースはペット・ショップ・ボーイズ)がヒット。このころには声の艶が復活していた。

1995年カルチャー・クラブでの栄光と挫折を中心に描いた自伝「Take it like a man」を発表(未邦訳)。のちにジョージの自伝とリー・バウリーの本を元にした、ミュージカル「Taboo」がロンドンとブロードウエイで上演された(ロンドン版とブロードウエイ版では、舞台の内容が多少異なっている)。また英国では自伝を脚色して、2010年にTVドラマ化(「Worried About the Boy」)もされている。

カルチャー・クラブは、1998年11月に活動を再開するが、翌1999年12月には再び活動を休止する。その後2014年活動を再開した。2014年1月、ソロの音楽活動を再開。アルバムと2曲のシングルを発表。またUKツアーとUSAツアーも行われた。

私生活とセクシャリティ[編集]

「ミス・ミー・ブラインド」などのミュージック・ビデオでは漢字日本人女性が登場している。また、「戦争のうた」の一部で“戦争反対”と日本語で歌っている。また、イギリスのテレビ番組ではコメンテーターとしても活躍し、歯に衣着せぬ切れ味鋭い発言をしている。

日本のテレビ番組におけるインタビューでは、ジョージの発言に関する日本語訳の字幕オネエ言葉になっていた。料理好きで、料理の写真やレシピがTwitterなどで紹介されている。

ボーイ・ジョージがカルチャークラブにいたとき、彼の両性具有の外見から、彼のセクシュアリティについての様々な憶測があった。ジョーン・リバーズはインタビューで「あなたは、男性を好むの、それとも女性を好むの?」と質問すると、ジョージは「ああ、両方さ。」と答えた。1985年、バーバラ・ウォルターズから性的指向について尋ねられたとき、ジョージは彼がバイセクシュアルであり、過去にはさまざまなガールフレンドやボーイフレンドがいたと述べた。彼はインタビュアーに、セックスよりも「素敵なお茶」を好むという有名な、よく引用される返答をした。

ジョージは1995年の自伝『Take It Like a Man』で、彼は実際にはバイセクシュアルではなく「ゲイ」であり、パンク・ロック歌手のカーク・ブランドンやカルチャークラブのドラマーであるジョン・モスと秘密の関係にあったと述べた。彼は、カルチャークラブのために書いた曲の多くは「モスとの関係について」であると証言している。

2006年、サイモン・ジョージ監督のエピソードドキュメンタリー「少年ジョージの狂気」で、ジョージはカメラに「同性愛者」であると宣言した。2008年のドキュメンタリー 『Living with Boy George』で、彼はゲイであることを最初に両親に話したときの様子などを語っている[5]2007年4月、彼はノルウェー人の男性を手錠を使って監禁し、で殴打した容疑で逮捕された。ジョージは手錠をかけたことは認めたものの、他の容疑については否認した(共同通信社2008年12月5日付)。だが、被害者のヌード写真の所有などを根拠に、2008年12月陪審員は有罪の評決を出した。弁護士はボーイ・ジョージの長年の薬物使用が原因と弁護したが、2009年1月裁判官禁固15ヶ月の実刑判決を言い渡した。2008年7月、アメリカでののツアーと、ニューヨーク市衛生局主催の無料コンサートでの演奏を計画していたが監禁事件で本国イギリスで起訴されていることを理由に、アメリカ入国を拒否された。2009年5月、所内での真摯で勤勉な態度を理由に4か月での出所が認められ出所した。

ディスコグラフィ[編集]

カルチャー・クラブでの活動は除く
タイトル 概要
1987 Sold オリジナルアルバム
1988 Tense Nervous Headache オリジナルアルバム
Live My Life オリジナルシングル
1989 Boyfriend オリジナルアルバム
High Hat ベスト盤
1991 The Martyr Mantras オリジナルアルバム
1992 Spin Dazzle – The Best of Boy George and Culture Club ベスト盤
The Crying Game サントラ・テーマ曲
1993 At Worst... The Best of Boy George and Culture Club ベスト?盤
More Than Likely P.M. Dawn提供曲
1994 Human Beings Gaurangi提供曲
The Devil in Sister George EP EP盤
1995 Cheapness and Beauty オリジナルアルバム
1996 Everything I Own ベスト盤
Love Is Leaving オリジナルシングル
1997 Police and Thieves Dubversive and Mica Paris提供曲
1998 The Unrecoupable One Man Bandit オリジナルアルバム
When Will You Learn オリジナルシングル
1999 Why Go? Faithless提供曲
Galaxy Mix DJ盤
2001 Essential Mix DJ盤
BoyGeorgeDj.com DJ盤
Lucky for Some DJ盤
2002 Classic Masters ベスト盤
Something Old, Something New – A More Protein Compilation DJ盤
A Night Out with Boy George – A DJ Mix DJ盤
A Night In with Boy George – A Chillout Mix DJ盤
U Can Never B2 Straight オリジナルアルバム
Taboo - Original London Cast サントラ
Run Sash!提供曲
Auto-Erotic Dark Globe提供曲
2003 Psychology of the Dreamer Eddie Lock提供曲
Out of Fashion Hi-Gate提供曲
2005 Straight EP盤
2006 You Are My Sister Antony and the Johnsons提供曲
2007 You're Not the One Loverush UK!提供曲
Time Machine Amanda Ghost提供曲
Atoms Dark Globe提供曲
2009 American Heart Bliss提供曲
White Xmas オリジナルシングル
2010 Ordinary Alien オリジナルアルバム
Someone Else's Eyes Amanda Lear and Deadstar提供曲
Take Us to the Disco Bylli Crayone提供曲
Somebody to Love Me Mark Ronson and Andrew Wyatt提供曲
2012 Happy DJ Yoda提供曲
King of Queens EP盤
2013 Coming Home Dharma Protocol提供曲
This Is What I Do オリジナルアルバム
2018 Life オリジナルアルバム

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ポップ・レゲエの曲で大ヒットした
  2. ^ シンセベースを強調したダンサブルな曲
  3. ^ オリジナルはモータウンのマーサ&ザ・ヴァンデラス
  4. ^ 戦争は愚かだと歌う反戦歌である
  5. ^ ヒットした「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」では、ボーイ・ジョージの深みのある歌声を確認することができる
  6. ^ テディ・ライリーが制作にかかわった

出典[編集]

  1. ^ カルチャー・クラブ・バイオ ユニヴァーサルMJ 2022年6月2日閲覧
  2. ^ カルチャー・クラブ レゲエ BBC 2022年6月2日閲覧
  3. ^ Power, Vicki (2018年7月30日). “CURIOUS GEORGE - Boy George investigates his traumatic family history and Irish roots” (英語). Express.co.uk. https://www.express.co.uk/showbiz/tv-radio/996034/boy-george-investigates-family-history-who-do-you-think-you-are-the-troubles 2018年10月31日閲覧。 
  4. ^ アラン・ラッセル, ed (1986). 世界記録事典 ギネスブック'87. 大出健. 講談社. p. 361. ISBN 4-06-202948-0 
  5. ^ Living with... Boy George (TV 2008), IMDb

関連項目[編集]

外部リンク[編集]