ヘドリー・ドイル・ステップレス・ストリートカー

ヘドリー・ドイル・ステップレス・ストリートカー
Hedly-Doyle Stepless Streetcar
ブリスベン路面電車英語版に導入された車両"ビッグ・リジー"
基本情報
製造所 ブリル
製造年 1912年 - 1914年[1]
運用開始 1912年
主要諸元
車両定員 89人(座席51人)
車両重量 6.23 t(13,740 lbs)[注釈 1]
車体長 12,395 mm(40 ft 8 in)
車体幅 2,489 mm(8 ft 2 in)
車体高 2,743 mm(8 ft 7 in)
床面高さ 254 mm(10 in)
台車 マキシム・トラクション台車
備考 主要な数値はニューヨーク鉄道英語版5000形の諸元に基づくもの[2][3]
テンプレートを表示

ヘドリー・ドイル・ステップレス・ストリートカー英語: Hedly-Doyle Stepless Streetcar)は、かつてアメリカに存在した鉄道車両メーカーであるブリルが製造した路面電車車両の愛称。床面高さを254mm(10 in)にまで低くし乗降性を向上させた、20世紀初頭の超低床電車である[1][4]

概要[編集]

女性の社会進出が本格的に進み始めた20世紀初頭、都市の公共交通機関の主役は街中に敷かれた路面電車であった。しかし、当時各都市に導入されていた路面電車は床面高さが762mm - 1,016mm(30in - 40in)と高く、乗降扉から客室までの間には数段の高いステップを登る必要があり、乗降に時間がかかる他転倒事故の危険性が高かった。また当時は女性の衣装として歩幅を狭めるほど窮屈な裾を持つホブルスカートが流行しており、そのような衣装でステップを上がるのは困難であった。そこで、当時ニューヨークマンハッタン島で路面電車を運行していたニューヨーク鉄道英語版からの要望に基づき、これらの問題を解決すべく開発されたのがヘドリー・ドイル・ステップレス・ストリートカーと呼ばれる一連の電車である[5][4]

両端に設置された運転台を除き床面高さを254mm(10 in)まで下げる事で客室の超低床化が実現した。それに伴い、台車は運転台側に設置された動輪の直径が大きいマキシム・トラクション台車を採用している。またそれまでの路面電車車両は車体の前後に乗降扉を設置する場合が多かったが、この車両は中央の1箇所に乗降扉を設置しており、乗客の移動時間短縮や乗降時の検札の簡素化に貢献した。座席配置は2+2人掛け×2の固定式クロスシート(一部ボックスシート)で、両端は運転台側の壁面にも座席が設置されていた。そのため運転台は客席から隔離されており、前面部には安全のためアンチクライマーが設置されていた[2][3]

なお、愛称の「ヘドリー・ドイル」(Hedly-Doyle)は、この車両の開発に携わった2人の技師にちなんだものである。またこの電車は他にも以下の愛称で呼ばれていた[3]

  • ホブルスカート・カー(Hobbleskirt Car) - ホブルスカートでも支障なく乗降可能な事から名づけられた愛称。
  • ドラゴン(Dragon) - パシフィック電鉄などアメリカ西海岸の路面電車に導入された車両の愛称。
  • ビッグ・リジー(Big Lizzie) - ブリスベン路面電車英語版に導入された車両の愛称。

運用[編集]

ニューヨーク鉄道へ向け最初に導入された車両は5000形という形式名が与えられ、1912年から翌1913年までに176両が製造・導入された[6][7]。以降はアメリカ各地の路面電車路線へ向けての生産が行われたのに加えカナダオーストラリアなど国外の路面電車にも輸出され、特にオーストラリア向けの車両の多くはアメリカ向け車両よりも前面を含めた窓の面積が広いのが特徴であった[8]

しかし、他の路面電車車両と車体構造が大きく異なるこれらの超低床電車は保守や運行において不利であり、それが要因となってほとんどの都市では導入から10年程で引退に追い込まれた。ただしオーストラリア・パースに導入された車両については第二次世界大戦中の需要増加などの要因で以降も営業運転に用いられ、末期は廃車された他の車両から部品が供給される形で整備が実施され、1950年代まで現役であった。そのうち最後まで用いられた車両(63号)については車体のみ公園で保存されたのち、1983年にバース路面電車協会(The Perth Electric Tramway Society)によって回収され、以降は復元を最終目標に保管されている[1][9]

関連形式[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 電気機器を全て取り外した場合の重量。

出典[編集]

  1. ^ a b c The Hedley-Doyle "stepless" car 2019年5月1日閲覧
  2. ^ a b J.G. Brill and Company 1912, p. 73-84.
  3. ^ a b c d Debra Brill 2001, p. 116-118.
  4. ^ a b Debra Brill 2001, p. 116-117.
  5. ^ J.G. Brill and Company 1912, p. 73.
  6. ^ J.G. Brill and Company 1912, p. 84.
  7. ^ San Diego Electric Railway San Diego Class I Electric Streetcar Bodies No. 126, 128 & 138”. pp. 24–25. 2012年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月17日閲覧。
  8. ^ Debra Brill 2001, p. 116.
  9. ^ COTMA Sydney 2014 Perth Electric Tramway Society2014年作成 2019年5月1日閲覧

参考文献[編集]

  • Debra Brill (2001). History of the J.G. Brill Company. Bloomington: Indiana University Press. ISBN 0253339499. OCLC 45827904. https://books.google.com/books?id=eqKKrMi3FIIC 2019年5月1日閲覧。