プレスコード

プレスコード(英:Press Code for Japan[1][2])とは、太平洋戦争終結後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた、新聞などの報道機関統制するために発せられた規則である。これにより検閲が実行された。

正式名称はSCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則[2]昭和20年(1945年9月19日に発令、9月21日に発布された。「日本新聞遵則[1]」また「日本出版法[1]」ともいう。「プレス・コード」と表記されることもある[3]

概要[編集]

このプレスコードに基づいて、主にGHQ批判、原爆に対する記事などが発禁処分に処された。占領開始前からの計画に従い、占領開始後間もなく個人的な手紙などにも検閲の手が回った[4][5]。この事実は当時の一般の大衆には知らされず、出版・報道関係者(学校の同窓会誌・村の青年会誌などのミニ・メディア関係者なども含む)以外に存在が広く認知されたのはのちの事である。

1945年9月22日に出されたSCAPIN-43「日本放送遵則(Radio Code for Japan)」[6] と一対のものである[1]。新聞遵則は、この放送遵則と映画遵則もこれに準拠した[7]

昭和27年(1952年4月28日サンフランシスコ講和条約発効により失効。

プレスコードなどの検閲を主に担当したCCDが収集した資料(領域内の全刊行物を含む)は、メリーランド大学プランゲ文庫に保管されている[8]

経緯[編集]

新聞報道取締方針(SCAPIN-16)[編集]

プレスコード通達に先立って昭和20年(1945年9月10日に「新聞報道取締方針[9]」「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16) [10] が発せられ、言論の自由はGHQ及び連合国批判にならずまた大東亜戦争の被害に言及しない制限付きで奨励された、GHQ及び連合国批判にならず世界の平和愛好的なるものは奨励とされた。

朝日新聞1945年9月15日付記事と9月17日付の2つの記事について[11]、9月18日に朝日新聞社は2日間の業務停止命令 (SCAPIN-34) [12] を受けた。これはGHQによる検閲、言論統制の始まりであった。9月15日付記事では「“正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」といった鳩山一郎の談話が掲載され、9月17日付記事では「求めたい軍の釈明・“比島の暴行”発表へ国民の声」の見出しで「ほとんど全部の日本人が異口同音にいってゐる事は、かかる暴虐は信じられないといふ言葉である」という内容の記事[13] が掲載されていた[14]

プレスコード(日本に与うる新聞遵則)(SCAPIN-33)[編集]

昭和20年(1945年9月19日に、SCAPIN-33(最高司令官指令第33号)「Press Code For Japan(日本に与うる新聞遵則)」が最高司令官(D.MacArthur)の名前で通達された。実施者は米太平洋陸軍総司令部民事検閲部。

検閲連合国軍最高司令官総司令部参謀部のうち情報担当のG-2(参謀2部)所管下の民間検閲支隊(CCD。Civil Censorship Detachment)によって実施された。

1948(昭和23)年には、GHQの検閲スタッフは370名、日本人嘱託5700名がいた[15]。8000人を超えていたとする説もある[16]。新聞記事の紙面すべてがチェックされ、その数は新聞記事だけで一日約5000本以上であった[15][17]

内容[編集]

連合軍最高司令官は日本に言論の自由を確立せんが為茲に日本出版法を発布す。本出版法は言論を拘束するものに非ず寧ろ日本の諸刊行物に対し言論の自由に関し其の責任と意義とを育成せんとするを目的とす。特に報道の真実と宣伝の除去とを以て其の趣旨とす。本出版法は啻(ただ)に日本に於ける凡ゆる新聞の報道論説及び広告のみならず、その他諸般の刊行物にも亦之を適用す。

  1. 報道は絶対に真実に即すること
  2. 直接又は間接に公安を害するようなものを掲載してはならない
  3. 連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加えてはならない
  4. 連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、又は軍に対し不信又は憤激を招くような記事は一切掲載してはならない
  5. 連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載し又は論議してはならない
  6. 報道記事は事実に即し、筆者の意見は一切加えてはならない
  7. 報道記事は宣伝目的の色を着けてはならない
  8. 宣伝の強化拡大のために報道記事中の些細な事項を強調してはならない
  9. 報道記事は関係事項や細目を省略する事で内容を歪曲してはならない
  10. 新聞の編輯に当り、何らかの宣伝方針を確立し若しくは発展させる為の目的で、記事を不当に軽く扱ってはならない

削除および発行禁止対象のカテゴリー(30項目)[編集]

江藤淳は、アメリカ国立公文書館分室の資料番号RG331,Box No.8568にA Brief Explanation of the Categories of Deletions and Suppressions,dated 25 November,1946が保管されていたことがわかったと述べている[18][19]。この「削除と発行禁止のカテゴリーに関する解説」において次のような具体的な検閲の対象カテゴリーが30項目も規定されていた[18]。検閲では以下に該当しているか否かが調べられた。

  1. SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2. 極東国際軍事裁判批判
  3. GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判《修正:2018年4月26日、江藤氏原訳「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」を英文原文に従い修正。修正根拠は記載のアメリカ国立公文書館の典拠文書の記述に拠る。(細谷清)》
  4. 検閲制度への言及
  5. アメリカ合衆国への批判
  6. ロシア(ソ連邦)への批判
  7. 英国への批判
  8. 朝鮮人への批判
  9. 中国への批判
  10. その他の連合国への批判
  11. 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
  12. 満州における日本人取り扱いについての批判
  13. 連合国の戦前の政策に対する批判
  14. 第三次世界大戦への言及
  15. 冷戦に関する言及
  16. 戦争擁護の宣伝
  17. 神国日本の宣伝
  18. 軍国主義の宣伝
  19. ナショナリズムの宣伝
  20. 大東亜共栄圏の宣伝
  21. その他の宣伝
  22. 戦争犯罪人の正当化および擁護
  23. 占領軍兵士と日本女性との交渉
  24. 闇市の状況
  25. 占領軍軍隊に対する批判
  26. 飢餓の誇張
  27. 暴力と不穏の行動の煽動
  28. 虚偽の報道
  29. GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
  30. 解禁されていない報道の公表

検閲の結果[編集]

民間検閲支隊(CCD)はさらに10月1日には「進駐米軍の暴行・世界の平和建設を妨げん」という論説を掲載した東洋経済新報9月29日号を押収した[20]。この記事は石橋湛山によって執筆されたものだった[21]村上義人は、これ以降、プレスコードの規定のため、占領軍将兵の犯罪自体が報道されず、各メディアは「大きな男」と暗に仄めかさざるを得なかったと発言している[22]

江藤淳はGHQによる言論統制についての著書『閉ざされた言語空間』のなかで次のように述べている[23]

検閲を受け、それを秘匿するという行為を重ねているうちに、被検閲者は次第にこの網の目にからみとられ、自ら新しいタブーを受容し、「邪悪」な日本の「共同体」を成立させて来た伝統的な価値体系を破壊すべき「新たな危険の源泉」に変質させられていく。この自己破壊による新しいタブーの自己増殖という相互作用は、戦後日本の言語空間のなかで、おそらく依然として現在もなおつづけられているのである。

日本映画では、戦後に制作された新作については民間情報教育局(CIE)によるシナリオ検閲が行われたほか、戦前・戦中の旧作を含めフィルムが現存する作品全てについてCCDによる検閲が行われた。1945年10月からの1年間を例に取ると、CCDによる検閲が行われた作品は計1,516本に上り、うち一部削除が268本、公開不許可が374本であった[24]。公開が許可された映画にはCCDによる認証番号が付与され、上映時にはその番号が焼き込まれたプリントを使用することとされた[24]

削除・発禁処分の事例[編集]

戦前・戦中の欧米の植民地支配についての研究書など7769冊に及ぶ書物が官公庁、図書館、書店などから「没収宣伝用刊行物」として没収され、廃棄された[25][26]。約7000冊とすることや[27]、「個人宅と図書館を除くあらゆる場所から、秘密裏に没収し、紙パルプに再利用するという名目で、事実上の廃棄処分にした。」とされることもある[28]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 江藤淳 1994, p. 193
  2. ^ a b c SCAPIN-33: PRESS CODE FOR JAPAN 1945/09/19 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ) 小学館[要文献特定詳細情報]
  4. ^ モニカ・ブラウ 繁沢敦子訳. 新版 検閲 原爆報道はどう禁じられたか. pp. 32-43. ISBN 978-4-7887-1168-6 
  5. ^ 堀場清子 (1995). 原爆 表現と検閲 日本人はどう対応したか. pp. 31-59. ISBN 4-02-259634-1 
  6. ^ SCAPIN-43: RADIO CODE FOR JAPAN 1945/09/22 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 江藤淳 1994, p. 195
  8. ^ 山本武利 (2021). 検閲官 発見されたGHQ名簿. pp. 240〜250. ISBN 978-4-10-610894-5 
  9. ^ 江藤淳 1994, p. 171
  10. ^ SCAPIN-16: FREEDOM OF PRESS AND SPEECH 1945/09/10 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 江藤淳 1994, p. 187
  12. ^ SCAPIN-34: SUSPENSION OF TOKYO NEWSPAPER ASAHI SHIMBUN 1945/09/18 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 原爆報道・宣伝・検閲関連資料”. 日本ジャーナリスト会議広島支部. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月29日閲覧。
  14. ^ 江藤淳 1994, pp. 187–188
  15. ^ a b 前坂俊之 著「第13章 メディアと検閲」、山口功二、岡満男、渡辺武達編 編『(新版)メディア学の現在』世界思想社、2001年4月20日。ISBN 9784790708674 
  16. ^ 原爆をどう伝えたか 長崎新聞の平和報道 第2部「プレスコード」 1 | 長崎新聞ホームページ:長崎のニュース、話題、スポーツ”. 長崎新聞社. 2022年5月25日閲覧。
  17. ^ 高桑幸吉『マッカーサーの新聞検閲』読売新聞社、1984年、p10
  18. ^ a b 江藤淳 1994, pp. 237–241
  19. ^ 江藤淳 1994, p. 243 注31
  20. ^ 江藤淳 1994, p. 189
  21. ^ 江藤淳 1994, p. 192
  22. ^ 村上義人「手拭いの旗 暁の風に翻る」福音館日曜日文庫より 著者の見聞に基づく
  23. ^ 江藤淳 1994, pp. 241–242
  24. ^ a b 占領期におけるGHQのフィルム検閲 - 東京国立近代美術館リポジトリ
  25. ^ 西尾幹二『GHQ焚書図書開封』徳間書店 2008。p.17
  26. ^ 占領史研究会・澤龍 編『GHQに没収された本―総目録』サワズ出版 2005、増補版2010
  27. ^ 皇室と日本精神”. ダイレクト出版株式会社. 2023年12月12日閲覧。
  28. ^ [解禁戦前日本人は中国の何を見抜いたのか?]”. ダイレクト出版株式会社公式サイト. 2022年9月27日閲覧。
  29. ^ 吉田満『戦艦大和』角川文庫 改版2002
  30. ^ 江藤淳『一九四六年憲法-その拘束』文春文庫 1995

参考文献[編集]

番組[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]