プリカット

プリカットタミル語:பழவேற்காடு、英語:Pulicat)は、インドタミル・ナードゥ州ティルヴァッルール県の都市。現地ではパズヴェールカードゥ(Pazverkadu)あるいはパラヴェールカードゥ(Palaverkadu)と呼ばれる。

歴史[編集]

プリカットの城塞
城塞の地図

プリカットの歴史は非常に古く、紀元前3世紀頃からすでにその存在が確認されている。

プリカットはヴィジャヤナガル王国の統治下で繁栄し、16世紀初頭のクリシュナ・デーヴァ・ラーヤの治世ではインドデカン地方のみならず、セイロンペグーとも貿易を行っていた。その時の人口はおよそ5万人であったという。

1569年ティルマラ・デーヴァ・ラーヤが王国を三分割した際、プリカットを含む地域は息子シュリーランガ・デーヴァ・ラーヤに任された。

1608年オランダ東インド会社はヴィジャヤナガル王ヴェンカタ2世の許可を得て、1609年にはプリカットに商館を建設した。また、1613年にはヘルドリア要塞が建設され、1616年にはオランダ領コロマンデルの首府と定められた。

1690年、オランダ領コロマンデルの首府がプリカットからナーガパッティナムへと移され、1760年カルナータカ太守はこの地をイギリス東インド会社ジャーギールとして与えた。

参考文献[編集]

  • 辛島昇『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』山川出版社、2007年。 

関連項目[編集]