フィリップ・グラス

フィリップ・グラス
Philip Glass
2007年12月12日、WNYCスタジオにて
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基本情報
生誕 (1937-01-31) 1937年1月31日(87歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ボルチモア
職業 作曲家

フィリップ・グラスPhilip Glass, 1937年1月31日 - )は、アメリカ合衆国作曲家

略歴[編集]

グラスはメリーランド州ボルチモアリトアニアユダヤ系一家に生まれ、子供の頃からピーボディ音楽院フルートを習った。15歳でシカゴ大学に入学[1]。卒業後、ジュリアード音楽院に進み、そこで鍵盤楽器を主に弾くようになった。卒業後、フランスでナディア・ブーランジェに師事し、ラヴィ・シャンカールとともに働いた後、グラスは主に宗教的な動機から北インドへ旅行し、そこでチベット難民と出会った。1972年、グラスは仏教徒となり、ダライ・ラマ14世に面会した。グラスはチベット問題に強い関心を持ち、チベット難民を強力に支援している。

アメリカに帰国したグラスは、ニューヨークタクシー運転手をしながらラヴィ・シャンカールとともに仕事をし、インド音楽の徹底して加算的なリズムに影響を受けた。このことで彼は以前のミヨーコープランド風の構成を離れ、附加的なリズムとサミュエル・ベケットの影響を受けた時間構成に基づく簡素で禁欲的な作品を書きはじめた。ベケットの作品に対してグラスは実験的演劇のための作品を書いている。伝統的な演奏家と演奏会場に共感を見いださなくなったグラスは、フィリップ・グラス・アンサンブルを結成し、主に画廊で演奏活動を行うようになった。こうした画廊はミニマル・ミュージックと美術運動であるミニマル・アートが実際に出会う唯一の場所であった。

グラスの作品は禁欲的な構成から、次第に複雑なものになっていった。そしてグラス自身の見解ではまったくミニマル・ミュージックとはいえないものになっていった。こうした傾向は「12部からなる音楽」Music in Twelve Parts で頂点に達した。グラスは、三部作のオペラの第1作である「浜辺のアインシュタインEinstein on the Beachロバート・ウィルソンとともに制作した。三部作はマハトマ・ガンジーの前半生とその南アフリカでの経験を描く「サチャグラハ(サティアグラハ)」 (Satyagraha)、アッカド語タナフヘブライ語、古代エジプト語および聴衆の言語による力強い歌唱とオーケストラが競演する「アクナーテン」(イクナートンAkhnaten)へと続いていく。

その他の活動[編集]

演劇作品へのグラスの作曲には、グラスも参加して1970年に結成された演劇集団マブー・マインズのために書いた作品が含まれる。デヴィッド・ボウイのアルバム『Low』および『Heroes』に収録されたインストルメント作品を自身の Low Symphony および Heroes Symphony でオーケストラ化している。またエイフェックス・ツインとも共同で仕事をしている。詩人アレン・ギンズバーグ生誕90周年を記念して行われる『THE POET SPEAKS ギンズバーグへのオマージュ』にてパティ・スミスと共演している。

また、グラスは多くの映画音楽を書いている。その中にはゴッドフリー・レシオの実験的なドキュメンタリー映画であるカッツィ三部作コヤニスカッツィKoyaanisqatsi、『ポワカッツィPowaqqatsi、『ナコイカッツィNaqoyqatsiエロール・モリスの『時間の短い歴史A Short History of Time, (スティーヴン・ホーキングの『ホーキング、宇宙を語る』をもとにしている)、『キャンディマンCandymanクライヴ・バーカー原作)また、マーティン・スコセッシの『クンドゥン』 Kundunめぐりあう時間たちThe Hours がある。

作品[編集]

詳しくはフィリップ・グラスの楽曲一覧英語版を参照。

オペラ・舞台作品[編集]

交響曲[編集]

協奏曲[編集]

室内楽[編集]

弦楽四重奏曲[編集]

映画音楽[編集]

テレビ作品[編集]

歌曲[編集]

エピソード[編集]

その音楽はしばしばミニマル・ミュージックと呼ばれるが、グラス自身はこの呼び名を歓迎していない[3]

脚注[編集]

  1. ^ 高松宮記念世界文化賞受賞時の略歴
  2. ^ 映画自体が製作されたのは1931年でオリジナルはサイレント映画。グラスが新しく映画音楽を制作した。
  3. ^ 久石譲 LSPX-S2 音楽本来の感動を大切にするスピーカー(2019年11月)

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]