ヒグマ

ヒグマ
生息年代: 更新世中期–現世, 0.5–0 Ma
保全状況評価[1][2]
LEAST CONCERN
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: 食肉目 Carnivora
: クマ科 Ursidae
亜科 : クマ亜科 Ursinae
: クマ属 Ursus
: ヒグマ U. arctos
学名
Ursus arctos
Linnaeus1758
英名
Brown bear
Grizzly bear
ヒグマの生息域
巨大なコディアックヒグマ
白い毛のエゾヒグマ。俗に「袈裟掛け」(けさがけ)という。
道路を渡るヒグマの仔(北海道
ヒマラヤヒグマ[3]

ヒグマ緋熊樋熊、学名:Ursus arctos[4])は、クマ科に属する哺乳類である。ホッキョクグマと並びクマ科では最大の体長を誇る。また、日本に生息する陸棲哺乳類(草食獣を含む)でも最大の種である。

学名Ursus arctos(ウルスス・アルクトス)のUrsusラテン語でクマ、arctosギリシャ語でクマを意味するἄρκτοςをラテン化したものである。

分布

ヨーロッパからアジアにかけてのユーラシア大陸北アメリカ大陸に幅広く生息している。その生息地は温帯からツンドラ気候の地域(北極海沿岸など)にまで及ぶ。現存するクマ属の中では最も広く分布する。

亜寒帯・冷温帯など寒地に生息するイメージが強いとされ実際にその傾向があるが、過去には地中海沿岸やメキシコ湾岸など南方の温暖な地域にまで及んでいて、人間による開発や乱獲によって減少し、人口密度の低い北方のみに生息するようになったとされる。個体群や亜種の絶滅は過去150年間に集中し、アラスカを除く北米大陸と西欧で著しい。

日本列島では後期更新世まで、本州にも生息していた[4]

分類

亜種

亜種ユーラシアヒグマ英語版 (U. a. arctos)。ヨーロッパヒグマともいう。ヨーロッパから西シベリアにかけて生息するが、主要な生息域はロシアである。イギリス絶滅など、ロシア以外の多くの国では個体数が激減している。

他に、

など、計15程度の亜種がある。

絶滅した亜種としては、メキシコハイイログマU. a. nelsoni)、カリフォルニアハイイログマU. a. californicus)、19世紀のアフリカ大陸北部の地中海沿いのアトラス山脈周辺に生息したアトラスヒグマU. a. crowtheri)、20世紀初頭には最大級の体躯を誇っていたカムチャッカオオヒグマU. a. piscator)という亜種がいた。

エゾヒグマ

日本では、エゾヒグマが北海道のみに生息する。

2009年10月には国後島で白い個体の撮影に成功しており、同島に生息する推定300頭の1割が白色個体とみられ引き続き調査が行われている[5]。2012年のには北海道西興部村でもアルビノと見られる個体が目撃されている[6]

雑種

ホッキョクグマはヒグマの近縁種であり、生殖的隔離が存在しない。通常北極圏ではヒグマは陸、ホッキョクグマは海と生息域がことなり混血の機会はないが、自然環境でも両者の混血の発生事例が報告されており、地球温暖化の影響が懸念されている。

形態

オスの成獣で体長2.0-2.8mで体重は250-500kg程度に達する。メスは一回り小さく体長1.8-2.2mで体重は100-300kgほど。がっしりとした頑丈な体格を誇り、頭骨が大きく肩も瘤のように盛り上がっている。

個体群によって体毛の毛色に差異が見られる場合があり、たとえば千島列島には部分的に白や銀に変色した体毛を持つ個体が散見され、ごく稀に北海道でもその様な事例がある[7][8]。この現象の厳密な原因は不明だが、各個体群が受け継いでいる染色体の中の遺伝子座が作用している可能性がある[8]。また、千島列島における白や銀の体毛を持つ個体は、通常の個体よりも狂暴性が低い傾向があるという意見も存在する[8]

ヒグマは栄養状態によって生じる個体差が顕著で、溯上するサケ・マス類を豊富に食べられる環境にいるヒグマは大きい。中でも有名なのが、アラスカ沿岸のコディアック島、南西部のカトマイ国立公園と、極東ロシアカムチャツカ半島に生息するヒグマで、共に500キログラム以上の個体が記録されている。野生のヒグマで最大の記録はコディアック島で捕らえられた個体で1,134kg(2,500ポンド)以上[9][要検証]。エゾヒグマでも、1980年羽幌町で射殺された体重450kgの通称「北海太郎」や、1982年古多糠の牧場で子牛3頭を襲った500kgの雄(6歳)、2007年11月にえりも町猿留川さけ・ます孵化場の箱罠にかかった推定年齢17歳・520kgのオスなど大型の個体もおり、近年大型化しているとの指摘もある。このます孵化場の箱罠では、300kgの個体も捕獲されている。三毛別羆事件を引き起こした通称「袈裟懸け」は340kgであった[10]

生態

針葉樹林を中心とした森林地帯に生息する。

食性は雑食だが、同じクマ科のツキノワグマに比べると肉食の傾向が大きい。シカイノシシネズミなどの大小哺乳類、サケやマスなどの魚類、果実などを主に食べる。トラオオカミなど、他の肉食獣が殺した獲物を盗むことも近年の研究で明らかとなった。家畜はヒグマにとって格好の獲物ではあり襲撃も増加している[11]。まれにを食することもあり、一度でも人を食べたヒグマは求めて人間を襲う傾向があり、極めて危険である[12]。また自分が捕獲した獲物に対して強い執着心を示すため、ヒグマに奪われた物を取り返す行為は危険である。地上を走行する時の確認された最高時速は48kmである[13][14][15]

川を遡上するサケを待ち伏せして捕食することも有名である。ただし、ヒグマの栄養源のうちサケが占める割合は北米沿岸部の個体群では栄養源全体の30%以上であるのに対し、知床半島に生息するヒグマでは栄養源全体の5%にすぎなくなっているとされ、遡上減による生態系への影響が懸念されている[16]

冬季には巣穴で冬眠をする。冬眠中には脈拍、呼吸数が大幅に減少する。この間(通常2月)に出産するが、出産したばかりの子供の体は非常に小さい。冬眠しない個体もあり、人を襲う場合もある。

成獣には武器を所持したヒトとトラが天敵となる。シベリアでは生息域が重なるためトラとは敵対関係にある。 トラとヒグマが遭遇し対立した44の事例の内、これらの22例でヒグマが殺され、12例でトラが殺され、10例で互いに生き残り別れた[17]。ロシアから中国の太平溝自然保護区にトラが入って来た時、この地域でのヒグマの出没頻度が著しく減少したという報告がある[18]

イノシシロバ等の家畜、ワピチヘラジカアメリカバイソン等の中・大型の動物はヒグマの成獣を殺すことがあり、健康で成熟した大型種(ワピチの雄、ヘラジカ、アメリカバイソン)はヒグマの捕食対象になることは無い[19][20][21][22][23][24]

人間との関わり

日本

アイヌの祭壇「ヌサ」。熊の頭骨が祀られている。明治時代後期。
ヒグマの出没に注意を喚起する看板(札幌市
和漢三才図会』に描かれたヒグマ(右頁)

ヒグマの毛皮は古くから交易品であり、『日本書紀斉明5年(659年)条には、次のような記述が見られる。「来日した高句麗使人がヒグマの皮一枚を綿60で売ろうとしたが、日本側の市司(いちのつかさ)は笑って相手にしなかった。その後、使人は、高麗画師子麻呂の家を訪ねるが、官から借りたヒグマの皮70枚を敷き詰められて接待を受けたため、高値で売ろうとした事を恥じ、不思議に思った」。7世紀において、列島北方との交流をうかがわせるものであり、半島からの交易物による文化的優位性に対抗した話とみられる[25]

アイヌは、ヒグマやエゾタヌキなど狩猟の対象となる生き物を、「カムイが人間のために肉と毛皮を土産に持ち、この世に現れた姿」と解釈していた。その中でも特にヒグマをキムンカムイ(山の神)として崇め、猟で捕えた際は「自分を選んでたずねてきた」ことを感謝して祈りを捧げ、解体した後は頭骨にイナウを飾り付けて祀った。さらに春先の穴熊狩りで小熊を捕獲した際は、コタン(村)に連れ帰って一年間大切に育てることで「人間界の素晴らしさ」を伝え、毎秋にはイオマンテ熊送り)と呼ばれる祭を催し、ヒグマの仔を殺すことで天に返した。人間に大切にもてなされた熊の霊に天上界で「人間界の素晴らしさ」を広めてもらい、それによって更に多くのカムイが人間界へ「肉と毛皮の土産」を携えて訪問することを期待するのである。人間を傷つけたヒグマはウェンカムイ(悪い神)とみなされる。熊狩りの際に重傷を負わされた場合、そのヒグマの肉や毛皮を利用はするものの、頭骨を祀ることはしない。人間を食い殺したヒグマを捕えた場合は、その場で切り刻んで放置し、腐り果てるにまかせる。アイヌの伝承において、エゾタヌキはヒグマの巣の近くに巣を作るが、なぜか捕食されないことから、ユーカラではヒグマの世話役として描かれる[26][27][28]

現代ではヒグマはキタキツネとともに、北海道観光の象徴的なマスコットとされ、アイヌが儀礼用の道具に彫るものから木彫りの熊まで幅広い商品がある。登別温泉などにあるクマ牧場のように観光用のヒグマ飼育施設まで存在する。そこではヒグマに芸を仕込んでいることもある。

同時に、野生ヒグマによる人や農漁業への被害、鉄道線路への侵入や列車との衝突事故も深刻であり、2021年度の死傷者数は12月時点で12人と、北海道庁が1962年度に集計を開始して以来の記録であった8人(1964年度)を上回り最悪となった[29]。駆除の優先度も、エゾシカなどに比べて高い。その被害も農作物への被害(夕張メロンなど)から、家畜畜産物、人的被害にまで及ぶ。明治時代には北海道で多数の人間が襲撃されており、苫前三毛別羆事件のように小規模な天災に匹敵する死者(7人死亡、3人重傷)を出すことすらある。また近年になって増加傾向にあり、遭遇事故だけでも年々増加してきている[30][31][32]

世界遺産となった知床半島において、観光客やカメラマンがヒグマを撮影しに多数訪れるようになり、ヒグマを至近距離から多人数で取り囲んだりするなどの行為が報告されるようになり、環境省や学識経験者などは、いずれは人身事故が起こりかねないとして、こうした危険行為を慎むよう警告している[33]

日本に限ったことではないが、人間が山中にごみポイ捨てしたり、あまつさえ(攻撃性をあまり示さない)個体に餌を与えたりなどすることで、クマがヒトの食物の味を学習し、人に興味を持ったり人里に出ようとする事案が後を絶たない。保護団体ではエアソフトガン等で痛めつけてヒトの恐ろしさを学習させるなどして、山に帰るよう促しているが、それでも治らない個体は、自治体がハンター団体に依頼して殺処分される。そのような個体はいずれヒトを襲うようになる恐れがあるからである。北海道は道内のヒグマ生息数(平成24年度)を10,600頭±6,700頭と推定している[34]OSO18と呼ばれる個体は2019年から数年にわたって放牧された牛を捕食している[35]。「山で一番怖いもの」「山の主人」との意味で、北海道では野性のヒグマは「山親爺」とも呼ばれる[36]

2022年4月、北海道庁は新たにヒグマ対策室を新設[37]。ヒグマによる被害や出没状況に応じて「警報」や「注意報」を発出、住民に注意を呼びかける制度を始めた[38]

北米

北米先住民にとって、ヒグマをはじめとするクマは畏敬と信仰の対象であった。プエブロ・インディアンの焼き物や宝飾品、ズニ族のフェティッシュと呼ばれる動物をかたどったお守りには、クマのモチーフが好んで用いられる。

北米では、絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律をはじめとする保護法の発効以来ヒグマの個体群数は回復の傾向にあるが、放牧業を営む畜農家との軋轢、拡大する住宅地、国立公園などでの観光客との接触、ハンターとの接触、交通事故など、人とヒグマとの共存は容易ではない。

ハイイログマ個体群は、アメリカ合衆国では絶滅危惧特別個体群(Threatened Distinct Population Segment)、カナダでは絶滅危機特別個体群(Endangered Distinct Population Segment)に指定され、連邦法と州法で保護されている。

  • U. a. isabellinus

ワシントン条約附属書I類[1]

ヒグマが登場する作品

映画

ドラマ

小説

エッセイ

漫画

その他

  • 舞台公演『羆嵐(くまあらし)』倉本聰 脚本。1986年
  • 書籍『慟哭の谷―The devil’s valley』木村盛武共同文化社

脚注

注釈

  1. ^ 中華人民共和国、ブータン、メキシコ、モンゴルの個体群に限る。他地域の個体群はワシントン条約附属書II類。

出典

  1. ^ a b Appendices I, II and III
  2. ^ McLellan, B.N., Servheen, C. & Huber, D. (IUCN SSC Bear Specialist Group) (2008). "Ursus arctos". IUCN Red List of Threatened Species. Version 2014.3. International Union for Conservation of Nature.[リンク切れ]
  3. ^ “ヒマラヤの雪男の謎を解明する/根深誠さんの手記”. Web東奥 (東奥日報). オリジナルの2004年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040515024658/http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/higuma/nebukanote/note16.html 
  4. ^ a b 本州にかつて生息していたヒグマの起源の解明 山梨大学国立科学博物館山形大学(2021年8月4日)2021年12月29日閲覧
  5. ^ “国後に「白いヒグマ」…日本人調査団、撮影成功”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009年10月30日). オリジナルの2009年11月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091102065819/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091030-OYT1T00235.htm 
    “白ヒグマ 国後で確認 ビザなし交流 北大名誉教授ら調査隊が初撮影”. どうしんウェブ (北海道新聞社). (2009年10月30日). オリジナルの2009年11月2日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20091102065819/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/environment/197291.html 
    “白いヒグマを確認/調査団が帰港、会見”. 釧路新聞 (釧路新聞社). (2009年10月30日). オリジナルの2012年5月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120528103318/http://www.news-kushiro.jp/news/20091030/200910306.html 
  6. ^ “北海道で白いヒグマの写真撮影 西興部村の職員”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2012年8月3日). オリジナルの2012年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120805043304/http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012080301003004.html 
  7. ^ Yoshikazu Sato, Hidetsugu Nakamura, Yuka Ishifune, Noriyuki Ohtaishi, 2011年,『The white-colored brown bears of the Southern Kurils』, Ursus(英語版), Vol.22, No.1, 84-90頁, 国際クマ協会(英語版
  8. ^ a b c Ksenia Zubacheva, 2018年, Why do brown bears on the Kuril Islands have an odd silver tint?, ロシア・ビヨンド
  9. ^ Dodson S. (2009) Bear-ology:Fascinating Bear Facts, Tales & Trivia. PixyJack Press, Masonville, p.31 (Google ブックス)
  10. ^ 木村盛武『慟哭の谷』(第五刷)共同文化社、2008-03-01(初版1994-12-09)、84頁。ISBN 978-4-905664-89-5 
  11. ^ Grisly outlook: Bears kill more and more livestock as their population grows by Trinity Lewis, 2018
  12. ^ A.G.Yudakof Archived 2010年12月30日, at the Wayback Machine.
  13. ^ YELLOWSTONE NATURE NOTES. “THE SPEED OF GRIZZLY BEARS”. 2022年8月15日閲覧。
  14. ^ 北海道渡島総合振興局保健環境部環境生活課自然環境係. “ヒグマの行動”. 2016年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月15日閲覧。
  15. ^ National Geographic. “Brown Bear”. 2022年8月15日閲覧。
  16. ^ “知床ヒグマ“サケ離れ” 開発で遡上減響く 栄養源のわずか5% 京大院生ら実態解明”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2014年7月20日). オリジナルの2014年7月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140722064651/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/552322.html 
  17. ^ 20th International Conference onBear Research & Managementlformat=PDF”. 2021年4月24日閲覧。
  18. ^ 中国小康网 (2020年10月27日). “小兴安岭首次找到东北虎吃熊证据!东北虎吃熊珍贵影像曝光 黑熊腹部颈前部被吃掉现场存有虎的卧迹”. 2022年5月30日閲覧。
  19. ^ International Bear News. Quarterly Newsletter of the International Association for Bear Research and Management (IBA) and the IUCN/SSC Bear Specialist Group. (2002), 第7頁, vol. 11, no. 2
  20. ^ Larry Kaniut, 2001, Bear Tales for the Ages: From Alaska and Beyond, 第26頁, ISBN 0970953704
  21. ^ Mary Ann Franke, 2005, To Save the Wild Bison: Life on the Edge in Yellowstone, 第201頁, University of Oklahoma Press
  22. ^ Tom McHugh, 1979, The Time of the Buffalo, 第213頁, University of Nebraska Press
  23. ^ A BOAR KILLS A BEAR IN A CANE BRAKE by S. C. Tumbo
  24. ^ A Grizzly Bear Kicked To Death By A Donkey
  25. ^ 田中史生 『越境の古代史』角川ソフィア文庫 2017年 p.129.
  26. ^ 萱野志朗アイヌ語を普及するには
  27. ^ Hidaka no dōbutsuki. Kuwahara, Yasuaki, 1937-, 桑原, 康彰, 1937-. 南雲堂. (1993). ISBN 4-523-26196-2. OCLC 674824796. https://www.worldcat.org/oclc/674824796 
  28. ^ Kuwahara, Yasuaki.; 桑原康彰 (2004). Hokkaidō no dōbutsuki : Kansatsu.. Tōkyō: Shinsei Shuppan. ISBN 4-86128-029-X. OCLC 169931285. https://www.worldcat.org/oclc/169931285 
  29. ^ 「人家にヒグマ相次ぐ 今年度 死傷者数最多 線路侵入も」「猟友会進む高齢化」『読売新聞』朝刊2021年12月29日(北海道面)
  30. ^ ヒグマの保護管理 北海道庁(最終更新日:2016年12月12日)2017年3月28日閲覧
  31. ^ ヒグマによる人身事故の防止について - 北海道庁(最終更新日:更新日2016年10月07日)2017年3月28日閲覧
  32. ^ ヒグマ出没情報【市町村のヒグマ関連情報ホームページ】 北海道庁(最終更新日:2016年7月06日)2017年3月28日閲覧
  33. ^ “知床:「ヒグマ撮影、危険行為やめて」学識経験者ら自重求め声明”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2013年10月19日). オリジナルの2013年10月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131021081740/http://mainichi.jp/select/news/20131019dde041040044000c.html 
  34. ^ ヒグマ生息数の推定について - 北海道環境生活部環境局生物多様性保全課 平成27年12月2日 (PDF) (2015年12月10日時点のアーカイブ
  35. ^ 川畑直也「牛を襲うヒグマ「OSO18」と酪農地帯の環境変化」『日本放送協会』、2021年10月15日。2022年9月21日閲覧。オリジナルの2021年11月18日時点におけるアーカイブ。
  36. ^ 日本国語大辞典』 13巻(第2版)、小学館、2002年1月、199頁。ISBN 978-4-09-521013-1https://kotobank.jp/word/山親爺-7440842023年5月12日閲覧 
  37. ^ 北海道が「ヒグマ対策室」を設置…対策強化へ”. 読売新聞 (2022年4月1日). 2023年9月22日閲覧。
  38. ^ ヒグマ被害発生時に「警報」「注意報」 道が運用開始”. 朝日新聞DIGITAL (2022年5月8日). 2023年9月22日閲覧。

参考文献

  • Servheen, C. 1989. Status of the World's Bears, 2nd International Conference of Bear Research and Management, Monograph 2.
  • S.ヘレロ 『ベア・アタックス - クマはなぜ人を襲うか』 嶋田みどり・大山卓悠訳、北海道大学出版会、2000年 ISBN 4-8329-7301-0 / ISBN 4-8329-7302-9

外部リンク