ノート:阿含宗

オームですか[編集]

もう何年たつのでしょうね。 あの当時は日本中がいわばヒステリー状態でしたね。多少でも松本チズオに関連のあるものには、ヒステリックに対応してました。日本人の精神の構造ですかね。 ずいぶん迷惑した人がいるんじゃないでしょうか、 同郷だとうことで歌手のYさん、一度たずねたことがるということで、ダライ・ラマにまで批判が及んでいましたね。 その後、ダライ・ラマは誤解がとけたようでよかったですが。

あの騒動の、一つの要因は、日本人の宗教にたいする未熟さにあると思いますね。さわらぬ神になとか、あるいは学校教育で基礎的な知識さえあたえられていない。せめて、世界の主な宗教の論理、現状などを学ぶ機会があれば、良かったのでしょうね。 オームをさかんいもちあげていたマスコミ、学者は今はどうしているのでしょうね。



管長の桐山靖雄の名が無いのに、麻原の名前だけはあるというのは本末転倒というべきではないか?この記事を書くにあたっての動機や如何に


あれだけいろいろ話題になったことが見事にスッポ抜けているのに驚きました。ああ、昭和も遠くなりにけり……。Kadzuwo 05:45 2004年3月17日 (UTC)


誤記とは思えません。阿含宗公式サイトや管長自身の著書で阿含宗の成立理由として後生の経典を扱うことの意味を 解いた上で大乗経典や後期大乗仏教の密教儀式、挙げ句に日本の神を扱っているのは間違いのない事実ですから。

誤記というのはどういうことでしょうか。 阿含経ではない大乗仏教の経典を阿含宗は扱っていないとでもいうのですか? それとも、阿含宗にて大乗仏教の経典や日本の神を扱うことが正しいということですか? 後者に付いては公式サイトにおいても批判している中身のはずですが。

注意[編集]

ここは個人の意見を書く場ではございません。 様々な解釈は当然あるでしょうが、ウィキペディアはそれらの意見をだらだら2ちゃんねるのように投稿する場ではありません。 阿含宗とはなんぞやということを知りたい方への道しるべであり、個人的意見の押しつけの場ではありません。


事実関係のみを述べているはずですが。どこが意見なのでしょうか。

「大乗経点を論拠にするのがおかしい」と言うのは阿含宗公式サイトから引用しています。 「大乗経典を根拠にしている」というのが意見というのですか?これに付いては教祖自身の著書に大日経や般若心経と 大乗経典として名立たる経典を扱っているのが見て取れます。

それとも、大日経や般若心経が阿含経経典だというように見解がわかれていて「意見」だとでもいうのなら、 その論拠をお願いします。

「阿含宗が阿含経を依経としている」と言うのも明らかに疑念があるものである以上。 そこは阿含宗、ならびにあなたの意見に過ぎないといいえる訳ですが、


大乗仏典にもよい物があるというのは「阿含宗の見解、あるいは阿含宗の説明」ですか? 阿含宗の見解としては「大乗仏教の否定」が公式サイトにあるはずですが。 「しかし、それは全くの誤りであって、シャカがほんとうに説いた経典は、 阿含経ただ一つであるということに、桐山管長は気がついたのです。」 「(大乗仏典が誤りである説明の後)そして、この誤りは真実の仏教のために正さなければならぬ、と桐山管長は心に決めたのでした。」 「大乗仏教の経典には、内容的にも致命的な欠陥があることを桐山管長は発見しました。」 と強い論調で公式サイトでは否定しておりの内容と矛盾しています。 このページは「阿含宗」の説明であり、公式見解とまったく違う見解を阿含宗の見解と読み取れるような形で述べるべきではないでしょう。。

また、阿含経の説明のページではないため、阿含経の経緯に付いてはそちらのページで行うのが適当であるため、その点も削除しました。そもそも大乗小乗の時代の流れは仏教に書いてあることであり、そちらへリンクを張ればわかることです。アーガマ 2006年10月10日 (火) 15:10 (UTC)[返信]


仏教共通の因縁論については因縁で扱うべきなのでそちらに転記。 32の運命論は阿含宗特有のものなので、それはこちらに残した。 主観の域をでないものは削除した。 また、阿含宗が御身伺い書の提出をもとめ、霊障の仏の主張を行っているのも事実であり、 また因縁解脱を目標にしているのも事実であるので、その分の再掲を行った。アーガマ 2007年1月5日 (金) 22:20 (UTC)[返信]

Wikipedia:記事の分割と統合こういうのを見てからやってくれないか...。--ゆきち 2007年1月5日 (金) 22:45 (UTC)[返信]


失礼しました。 阿含宗特有とは言えない仏教共通の因縁論についての部分は因縁に転記するべきだと考えます。アーガマ 2007年1月5日 (金) 23:06 (UTC)[返信]


分割大賛成 Wikipedia:記事の分割と統合阿含経に関しての項目も阿含宗というより阿含経という項目であろう。すでに観点がずれている。--利用者:wtool 2007年1月7日


たしかに、大乗非仏説と言う項目が既にありますし、どこの見解を元にしたのかわからない文ですからね。 阿含宗の説明に必要な部分を残して簡略化し、越えるものはそちらに移すのが適当でしょう。 もっとも、阿含宗が大乗仏教についてどういう見解を取っており、実際はどう行動しているかと言うのは 阿含宗を説明すると言う観点から見て必要ですが。アーガマ 2007年1月8日 (月) 08:34 (UTC)[返信]



文中で、阿含宗に関して、大乗仏教、神道との関連に対して、批判をのせている以上。大乗仏教と阿含経の関係性ののべるのは、論点がずれいているとはいえないと考える。

しかし、因縁に関しては分割移動はよろしいのではないか、と考える。

「因縁についての阿含宗の教学」とタイトルをつけてしまった以上、あるていど詳しく記述する必要があるかもしれない。 因縁について、記述したのは、「縁を変えれば因も変わる」との記載を受けてのことである。 これは一面として間違いではないが、因縁論にたいして、言葉が足りない面がある。

このサイトの性質上、一つの事象に対して、賛否両論を載せるのが、ユーザーの利益になると考える。


2007.1.25 修験道は後期密教が由来ですかね。最低でもウィキで「修験道」の項目見たら。そんなこと書いていないよ。読んでて、はすかすい〜。 なにか別な意図を感じるのは私だけかしらん。


阿含宗という宗教は仏教教団ではあるが、純粋に原始仏教を守っているわけではなく、南伝仏教もチベット密教も大乗仏教もありで、更には神仏両界なんだから、素戔嗚尊もあるしで、阿含宗管長の著書を見るとそれらを包含した教学になっているので、部分的なことをさして阿含宗の説明とするのは、個人的見解以外でここの趣旨は少なくとも正しい事をみんなに知ってもらうべきだろう。 少なくとも中心となるお経が「阿含経」だからといって大乗仏教全否定しているわけではないのに全部否定しているかのような表現も間違っている。 「阿含宗」の項目には正しくない部分が多すぎる。


修験道は仏教学より民俗学の範疇に入る宗教的習俗であり、その定義は簡単ではないのですが、最も簡単に表現するならば「仏教側からの神仏習合」とでも なりましょうか。ここでいう「仏教」は天台・真言系の所謂密教(=後期大乗仏教)が主体でありましたので、本文には特に問題はなかろうかと思います。 因みに「後期密教」とはチベット仏教で言う所の「無上ユガタントラ」となります。この極めて性的表現に富んだ聖典群は文化の相違もあって極少数の それも不完全な漢訳があるのみで、わが国にもほとんど伝わっておりません。


護摩儀式が結局のところ後期大乗仏教である密教由来だと言うことです。 そこがwtoolさんの2007年1月8日 (月) 08:51の版「修験道に由来する」に変更されていたので 中立的な観点によりそれを包括するかたちで変えたまでです。 護摩については大乗仏教(密教)→修験道→阿含宗という流れでしょう そもそも「後期大乗仏教」である「密教」由来であって、「後期密教」ではありませんが。

また、大乗仏教批判の内容は阿含宗ホームページからの引用をもとに事実を述べただけですが。 中立的な観点から「ただし、大乗仏教経典を釈迦直説とすることを誤りとすることと」以降の内容は正直なところ「意見」としか見えないのですが残してあります。 これも検証可能性を満たすかたちで出典をお願いします。

後、アンゴロモアの大王(恐怖の大王)については自身の著書で書いていた中身ですし、出典も恐怖の大王の方に乗っています。アーガマ 2007年1月28日 (日) 02:37 (UTC)[返信]

阿含経と密教形式について BSフジの番組内で、桐山師のインタビューにおいて、その点について、述べておりましたので、追記します。