ノート:名古屋電気鉄道

譲り受けた免許線(尾張・一宮・覚王山)の日付[編集]

確認した資料 : 『名古屋鉄道社史』、名古屋鉄道社史の『年表』、井戸田弘 著『東海地方の鉄道敷設史 II』、『名古屋鉄道百年史』中村隆義 著『鉄路風雪の百年』ほか

  • 尾張電車鉄道の事業譲り受け (現状/尾張電車軌道・明治40年2月15日)
    • 尾張電車鉄道・明治40年2月15日 (社史年表724頁/百年史72頁/百年史年表924頁
    • 尾張電車鉄道・明治40年3月 (社史42頁/風雪67頁
    • 尾張電車鉄道・明治40年12月2月 (敷設史II 91頁)
  • 一宮電気鉄道の事業譲り受け (現状/明治40年3月8日)
    • 同(明治40)年5月一宮電気鉄道とも合同し事業譲渡 (敷設史II 91頁)
    • 同(明治40)年6月一宮電気鉄道 (社史42頁/風雪67頁
    • 明治40年6月24日 (社史年表724頁/百年史72頁/百年史年表924頁
  • 覚王山電気軌道の特許取得日 (現状/明治42年9月29日)
    • 明治41年6月 (社史44頁) ※覚王山電気軌道合名会社
    • 明治42年9月 (鉄道ジャーナルNo.141 青木栄一「中京圏の鉄道網の形成」21頁
    • 明治42年9月29日 (『鉄道院年報. 明治42年度』
    • 明治43年2月15日 (敷設史II 234頁) ※申請日が明治42年6月23日
  • 覚王山電気軌道の事業譲り受け (現状/明治43年9月13日)
    • 明治43年9月買収 (社史52頁/百年史69頁) ※明治44年8月開通
    • 明治43年9月13日授受 (百年史年表926頁
    • 明治43年11月9日譲渡許可 (敷設史II 234頁)
    • 明治44年8月7日 (社史年表730頁、百年史年表では8月7日の記載削除) ※同年8月19日 川畑~月見坂間開通 

一宮電気鉄道、尾張電車道(現状尾張電車軌道となっているが誤りの可能性大)、覚王山電気軌道に関わる年月日について、少なくとも私が確認した資料間でばらつきがあり、どうすべきか迷っています(基本的に社史を根拠にしようと思っていたら本文と年表で異なっていて困惑しています)。何か情報があれば募集します。--ButuCC+Mtp 2014年12月27日 (土) 14:00 (UTC)[返信]

資料少し追加しました。百年史では本文と年表の差異が解消されていて、社史本文または年表のいずれかの期日を記しているようです(暫定ですが社史→百年史で継承されている日付がこの中では一番信頼が置けるのかなと思っています。--ButuCC+Mtp 2014年12月28日 (日) 08:01 (UTC)[返信]
こんなのありました『電気事業要覧. 第〔5〕回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー) 覚王山電気軌道の事業譲受 43年12月--Tamrono157会話2014年12月30日 (火) 07:25 (UTC)[返信]
情報提供ありがとうございます(合名会社であったことを示す典拠が増えて助かりました)。しかし譲受日については新説が出てきましたね…--ButuCC+Mtp 2014年12月31日 (水) 11:18 (UTC)[返信]

(名古屋鉄道)社史の説明を補記すると意味が気になります

  •  尾張電車鉄道・明治40年2月15日 株主総会で尾張電車鉄道を譲受けを…可決 (社史年表724頁)(百年史年表924頁)
  •  尾張電車鉄道・明治40年3月 傘下に収める (社史42頁)
  •  尾張電車鉄道・明治40年12月 (敷設史II 91頁)

鉄道省文書(国立公文書館デジタルアーカイブ)で両備鉄道から神高鉄道への譲渡例をみると

  • 昭和8年6月27日両備鉄道定時株主総会において他会社譲渡の件決議
  • 昭和8年7月11日鉄道売買契約締結 甲両備鉄道、乙神高鉄道(但し鉄道省に於いて認可無き時は本契約は無効とす)
  • 昭和8年8月26日鉄道省より譲渡許可
  • 昭和8年8月31日鉄道譲渡
  • No.1「両備鉄道所属神辺、高屋間鉄道ヲ神高鉄道ニ譲渡ノ件」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・井笠鉄道(元神高鉄道)・昭和八年~昭和十四年』
  • No2.「鉄道譲渡実施並会社設立登記ノ件」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・井笠鉄道(元神高鉄道)・昭和八年~昭和十四年』

つまり明治40年2月15日株主総会で譲渡を決議、明治40年3月傘下に収める→譲渡契約書もしくは許可日、明治40年12月譲渡実施という推測がたちます。国立公文書館デジタルアーカイブで検索してみましたけどそれらしいのが見当たらず、営業報告書を雄松堂書店企業史データーベースで検索してもなさそうで、これを証明するのは難しいです。そうなると敷設史IIは何をもとにしているのか気になります。名鉄資料館かな。--Tamrono157会話2014年12月31日 (水) 13:50 (UTC)[返信]

申し訳ありません。敷設史II 91頁の件は私の方のタイプミスで正しくは2月でした(「敷設史II 91頁」には“…合同することになり事業譲渡され…”と記されています。なお敷設史II自体に個々の出典は示されていませんが、続巻敷設史IIIの未成線一覧にある同鉄道の項目(178-179頁)によると、愛知県史、明治運輸史、新愛知「明治39年8月14日号」がソースだそうです。新聞は日付からして今問題としていることは書かれてないでしょうが…)。
後はTamrono157さんが指摘されるように2月は株主総会で決議した月、3月は傘下に収めた月と考えるのが妥当かもしれません。年表の整合性を確かめるため熱田電気軌道や尾北鉄道等の記載を調べたら確かに決議と実施が別々に記載されていました(尾張・一宮は決議日のみ、覚王山は譲受日のみ記載)。
同様に覚王山電気鉄道(敷設史II・IIIはなぜかこの表記。他に「覚王山…」の事業者はないし名電に免許を譲渡しているので単なる誤植だと思いますが…)関連のソースについても「敷設史III 194頁」に記載されていて、新愛知「明治42年6月25日号」「同年11月25日号」および名古屋新聞「明治43年6月23日号」「同年12月1日号」だそうですが、こちらでは譲渡許可日ではなく特許日が11月9日になっています(敷設史IIでは5月中旬に工事着手とあるので11月9日特許取得では矛盾します)。覚王山電軌は譲受前に特許を取得しているはずなので、社史等にあるように9月買収説が正しいなら11月9日取得という敷設史IIIの記載が間違っている可能性がありますが、Tamrono157さんが示された「12月譲受」説なら問題ないことになります。今確認できる資料を組み合わせることによって複数のパターンが考えられますね。--ButuCC+Mtp 2015年1月1日 (木) 11:05 (UTC)[返信]
別件で愛知県史 資料編を利用しましたが県庁文書や会社資料が掲載されているので可能性は高いとおもいます。愛知県史 資料編31 近代8 流通・金融・交通あたりだと--Tamrono157会話2015年1月1日 (木) 13:34 (UTC)[返信]

(近く名古屋市電覚王山線を作成予定なので一応報告) 愛知県史資料編にはそれらしき記述が見当たりませんでしたが、名古屋市史資料編近代2にて「覚王山電気軌道事業の継承」の項があり、譲受および対価として27,739円42銭5厘を交付する契約を(明治43年)9月8日に締結とありました。日付レベルの違いがあるとはいえ、社史の9月買収説で問題なさそうです。なおこの内容は明治43年12月の「第三十三回報告書」の一部であり、9月の契約を12月に報告したという形になっています。『電気事業要覧. 第〔5〕回』の43年12月というのが報告書の日付ということなら12月買収説は消えるのですが、そこまでは分かりませんね…。締結日、譲渡許可日、実施日が別の可能性が排除できていません。--ButuCC+Mtp 2016年8月13日 (土) 19:49 (UTC)[返信]

営業報告書に明治43年9月8日契約締結とあるからそれでいいでしょう。営業報告書には監督官庁への申請(報告)記録なども記述されているのでみたいところですが名古屋市市政資料館ですか。
覚王山電気軌道についてあまり情報はないですが『日本全国諸会社役員録. 明治43年』、社長の吉田禄在は『人事興信録. 3版(明44.4刊)』『名古屋百人物評論』なんてのが見つかりました--Tamrono157会話2016年8月17日 (水) 12:10 (UTC)[返信]

名古屋電気鉄道解散日[編集]

(ファイル‐ノート:Company history of Nagoya Railroad (railway operator).svg#名古屋電気鉄道解散日より転記)

「市内線を名古屋市へ引渡しを終わり、8月1日解散するにあたり」(社史97頁)、「明治27. 6. 25 会社設立 大正11. 8. 1.会社解散」(同625頁)とあるので解散日は市内線譲渡と同日ですね。では9月27日は何の日かというと「臨時株主総会において会社解散事項報告の件を承認可決」(同742頁)だそうで、(会社制度に詳しくないのでググったりして確認しただけですが)これは解散した後に行われる清算手続の一つという事でしょうか。なので記事の方は解散日とは別に9月27日のことを書いても良いと思いますが、こちらの図は譲渡日と同一という事で記載割愛ということになりそうです。--ButuCC+Mtp 2020年5月18日 (月) 12:19 (UTC)[返信]

解散登記後に解散について決議することはありませんから、最も重要な「何をした」を想像で補って記載することは不適当です。今後資料が増えていけばわかりませんが、現時点では単純に不採用とせざるを得ません。--210.48.133.123 2020年5月18日 (月) 23:39 (UTC)[返信]
9月27日は解散決議ではありません。文字通り「会社解散事項報告の件を承認可決」であって、解散決議は1921年(大正10年)10月8日です(「臨時株主総会において譲渡契約書承認と会社の解散を決議(740頁)」、本文編では8日の総会の紛糾について2頁を割いて言及)。8月1日解散と解散登記日について特に異論はなかったので解散決議については先日時点では確認していませんでした。言葉足らずですみません。
  • 9月27日「臨時株主総会において会社解散事項報告の件を承認可決」(742頁)
  • 11月20日「臨時株主総会において名古屋電気鉄道株主に対し名古屋市公債及び交付金を交付の件可決」(742頁)
  • 「清算事務が全く完了したのは、昭和10年4月30日であった」(98頁)
8月1日以降の上記の出来事はすべて清算の一環と考えています。企業史的側面は百年史の方が内容が濃かった気がするので、図書館が再開したらそちらも確認してみたいと思います。--ButuCC+Mtp 2020年5月19日 (火) 09:10 (UTC)[返信]

この件に限ったことではないのですが、本文に事実として「~があった。ref○○」と記載するためにはその出典がその内容に対して直接合理的な説明を与えられるものでなければいけません。「~と○○に記述されている」であれば記述そのものを事実として記載の対象にしていることがわかりますので、合理性を読者が判断することができます。両者の使い分けが必要です。それから小垣江駅の鬼瓦の件でもそうなのですが、出典に記載された記述の一部分を生かす形にする場合、必ず採用しなかった部分について注釈すべきと考えています(出典の合成を避けるため)。例えば三河鉄道合併の件では、債権者保護公告の文面上の日付が本文と異なること、官報の登記原因日が本文と異なることを注釈しています。本件について仮に清算の一環という結論を出した場合、「~と社史に記述されている(注釈:清算云々)」方式にするか、「清算の一環として○○が決議(注釈:社史には「会社解散事項報告の件を承認可決」とある)」方式にするか、いずれかでお願いしたいです。年表に記載する場合は後者一択ですね。--210.48.133.123 2020年5月20日 (水) 01:46 (UTC)[返信]

各種資料間ですり合わせができず複数の説が生じている場合は本文や注釈に文献名(出典元)を登場させ、それぞれ何に依る説なのかを説明する必要があると思いますが、本件の場合は社史内で「前年10月8日解散決議→8月1日解散→9月27日に総会」という一連の流れが記載されているので複数出典の合成ではありませんし、そこに官報の「8月1日解散、9月22日登記」が入り込んでも矛盾は生じないことからそのような弁明をしなければならない場面とも思いません。解散しても清算手続きがあるので解散日以後に株主総会が開催されていること自体は問題ありませんし、解散決議が解散日よりも前に行われたことも同一文献上で明記されている(740頁ほか)のですから、「会社解散事項報告の件(742頁)」というのが矛盾の原因となる解散決議ではないことは明らかでしょう(社史97-98頁に8月1日以降の残務について言及されているので解散時に清算結了していないのも確実です)。もちろん、内容をはっきりさせるために百年史など他文献の確認作業には努めようと思いますし、本文への反映はその後にしようと思いますが…。
とりあえず解散後の記述については今後の課題として、解散日が8月1日であることに問題はなさそうですから、画像の方は修正します。--ButuCC+Mtp 2020年5月20日 (水) 13:39 (UTC)[返信]

私は解散登記後の「会社解散事項報告の件を承認可決」が単体で意味が通じない内容と考えており、ゆえにそのような弁明が必要と考えています。そもそも取締役会設置会社において株主総会の決議が必要なのは法律か定款で定められた場合だけです。平行線なので必要に応じて第三者の意見を求めることになるでしょう。--210.48.133.123 2020年5月20日 (水) 23:38 (UTC)[返信]

私は承認可決というのは形式的なもので単純に(9月22日に解散登記した直後なので)清算人が解散を実施したことを総会で株主に報告しただけと読みました。とりあえず本筋の画像変更は解決しましたので、この件については他文献での言及を確認してからノート:名古屋電気鉄道の方で改めて纏め要と思います。先に述べた通り私は会社制度に精通しているわけではないので第三者のコメント募集は大歓迎です。--ButuCC+Mtp 2020年5月21日 (木) 10:34 (UTC)[返信]

百年史を確認してきました。社史よりも本文で詳細な解説がありましたが、1922年9月27日の出来事に関しては同様の表現でした。載せる載せないを別として個人的な意見を述べればButuCCさんと同じで、例えば清算人の選任とか(遅すぎますが、選任登記が未確認であるため)、裁判所に提出する財産目録の承認とか(可能性としては一番高い。会社法施行直前には規定が形骸化していたと言われていますが、80年も先のことなのでいつからそうなのかはわかりません)、そういったものの決議が行われた可能性が高いと考えていますが、直接の根拠を示すことができません。--210.48.133.123 2020年5月27日 (水) 00:19 (UTC)[返信]

ところで、社史・百年史ともに郡部線について現物出資としているようです。記事中「譲渡」とある部分について、鉄道省側の手続きと一致しないことについては特に問題はない(商法上の現物出資は財産債務で、鉄道省側は免許なので)のですが、記事上の表現について検討が必要と思われます。--210.48.133.123 2020年5月27日 (水) 00:19 (UTC)[返信]