ノート:先代旧事本紀

中立性について[編集]

本項には広く偽書と認められている「先代旧事本紀」について、その史料的価値を自明とした出典を多用して記述を増補していくことによって、本書の史料性に問題がないかのような偏った観点から記述されていると思われます。--Ryo 625会話2018年12月2日 (日) 19:29 (UTC)[返信]

学説は変化するもので、江戸時代、特に明治維新以降先代旧事本紀が偽書と認識されてきたのはRyo 625様ご指摘の通り真実ですが、非常に強く偽書説を唱えられてきた津田博幸氏の文献研究によって逆に偽書であると認定されてきた序文が後世の付け足しであると論証可能となり、偽書である根拠が消滅した経緯がございます。
今後もしかするとまた新たに偽書であると論証する発見が出てくるかもしれませんが、偽書であると本居宣長らが指摘していたその根拠が崩れた今は偽書説は過去のものとなったとする認識が広いといえます。逆にRyo 625様が偽書とお考えになられるその根拠を今現在の学者の偽書と証明する説、または引用させていただいた鎌田純一氏達の説を覆す論考などがあれば、拝読させていただきたく伏してお願い申し上げる次第でございます。--Yoko Ai会話) 2018年12月2日 (日) 23:10 (UTC)--Yoko Ai会話2018年12月2日 (日) 23:24 (UTC)[返信]
偽書性を否定する学者を列挙するだけでは「偽書である根拠が消滅した経緯が」あるとは断定できず、また「偽書説は過去のものとなったとする認識が広いといえ」るかどうかは、二次資料(諸学説)を総括的に扱った資料が必要です。--Ryo 625会話2018年12月3日 (月) 20:40 (UTC)[返信]
「偽書説への反証」への現代の専門家による反論を出典するだけで解決するので、是非出典してください。それが無いなら、複数の専門家が支持している鎌田達の「偽書説への反証」は"刊行本"と"脚注"の間へと移動させるべきつまらない矮小な説であると考えているあなたの意見に過ぎなくなってしまいます。そういう個人的な気持ちではなく、なにがしかの学問的根拠があって、それらは"刊行本"と"脚注"の間へと移動させるべき学説であるとお考えなのでしょう??二次資料(諸学説)を総括的に扱った博士を持つ専門家の文献はあなたが"刊行本"と"脚注"の間へと移動させた箇所の引用文献なので、是非一度お読みの上それらへの真の専門家による反論を出典されてみてください。私も是非知りたいです。--Yoko Ai会話) 2018年12月3日 (月) 23:25 (UTC)--Yoko Ai会話2018年12月3日 (月) 23:37 (UTC)[返信]

論文掲載誌について[編集]

高校の紀要や歴史読本だけを論文掲載誌としてピックアップした理由はなんでしょう?国文学論文目録データベースでも、国立国会図書館データベースでも、先代旧事本紀の学術論文は多数登場しています。--Yoko Ai会話2018年12月3日 (月) 00:25 (UTC)[返信]

先代旧事本紀の論文について[編集]

なぜ「言語学」の学会である日本語学会(旧「国語学会」)で古い史書である先代旧事本紀の論文が存在しないことがなにがしかの証拠になりえると考えるのか、意味不明です。 国立国会図書館でも、英文論文でも、日本語学会のジャーナルのデータベースを提供していた国立国語研究所日本語研究・日本語教育文献データベースでも先代旧事本紀の論文は多数・複数登録されています。

ここから日本語学会HPより引用「日本語学会(旧「国語学会」)は,日本語関連では最大規模の学会として,また唯一の日本語の言語研究に関する総合的な学会として,70年を越える歴史を刻んで参りました」以上引用終わり https://www.jpling.gr.jp/gaiyo/aboutsjl/ --Yoko Ai会話2018年12月2日 (日) 23:22 (UTC)[返信]

コメント ・1910年明治43年竹内文書天津教(1900年~)の竹内巨麿が発表。
・1670年代後半の江戸時代、偽書・先代旧事本紀大成経を潮音道海達が発表。
・807~868年平安時代先代旧事本紀十巻成立。
初代日本語学会(旧国語学会)会長の橋本進吉氏が1942年第二次天津教弾圧事件で皇室への不敬罪に問われた竹内巨麿氏の裁判にて、橋本進吉氏の上代特殊仮名遣説から否定したのは明治時代発表の「竹内文書内の神代文字」であり、その竹内文書の元ネタの一つは江戸時代の偽書「先代旧事本紀大成経」であって、西暦807~868年に成立したと考えられている「先代旧事本紀」ではありませんので混同されないでいただきたいと思います。江戸時代の偽書「先代旧事本紀大成経」の元ネタの一つは平安時代成立の「先代旧事本紀」でしょうけれど、念のために。--Yoko Ai会話2019年1月19日 (土) 09:33 (UTC)[返信]
コメント 「言語学」の学会誌で用いられないと言うことは上代特殊仮名遣#文献学への影響にマッチしないということですね。推古朝に遡ると言えるかどうかなどにも影響します。「言語学」の学会誌で用いられないと言うことの重要性がそもそもご理解できないようでしたら、記事をお書きになる程の見識がそもそもあるのかという点にも疑問が付くと言うことです。
また、他のデータベースでも「先代旧事本紀の論文は多数・複数登録されてい」るということと、それぞれの論文で偽書だ/偽書でない、どちらの立場で論じているかは別問題ですね?確認が必要かと思います。
もちろん、多数決で「(歴史的な)真実」が決まるものではありませんが、学界の多数説では偽書とする意見が多い(or少ない)の指標にはなるでしょう。
歴史研究では参照必須の国史大辞典 (昭和時代)(巻末の3冊分くらいが索引なので、それを使って徹底的に関連部分を読み込むのを推奨します)を(少なくとも記事中では)参照していないように見えるのも気になります。
そして、それら学界の多数説をきちんと「学界の多数説だ」として記述するのが中立性のある正しい姿勢では?
更に「研究試料として」と、(仮にうっかりであったとしても、)書いてしまう辺りにも執筆者としての資質面で疑問が付きます。
歴史学者は必ず「史料」と書きます。文学者は「資料」と書くこともあるでしょう。「試料」は放射性炭素年代測定ならあり得るでしょう。ですが、歴史や文学ではあり得ません。
そのほか「といわれている」という記述があるようですが[Wikipedia:言葉を濁さない]に反しますね。
更に、法学者や心理学者は法学や心理学の専門家なのであって、専門分野の中でさえも更に細かく専門が分かれているほどなのですから、ましてや専門外の分野ことについて何か言っても、それを以て権威付けや、論の正しさの根拠にはできないと思います。
例えば精神科医が執刀する心臓外科手術を受ける気になる人はあまりいないでしょう?
結局、「学界の多数説では偽書説を採るものが多いが、そうではないとする意見も最近見られる。」という程度の両論併記に留め、「このように成立年代には様々な意見があるが、中世の神道では『神道五部書』のように重要視される文献であった。」という程度の記述が穏やかなのではないでしょうか。
『ムー』で扱われるような、日文伝や竹内文書などと一緒くたにして全否定できないのは、中世の神道で重視されたという部分にかかっているわけですから、古ければ偉いという発想を抜けて、中世で重視されたという所に力点を置いてみてはどうかなぁと存じました。 --2019年1月9日 (水) 16:12 (UTC)
コメント 1670年代に作られた偽書・先代旧事本紀大成経と混同されていませんか?
近年序文のみが偽作であると反証されるまで偽書説が定着していた(今も昨今の学説を知らない一般の人は偽書だと思っている)資料が、言語学者による研究資料として採用されてこなかったのはごく自然だと思われます。
竹内文書という偽書の元ネタの一つが偽書・先代旧事本紀大成経だったそうですが、その1670年代に作られた偽書・先代旧事本紀大成経は先代旧事本紀を元ネタに書かれた偽書なので無関係です。--Yoko Ai会話2019年1月13日 (日) 06:40 (UTC)[返信]
コメント おっしゃられる通りこのページの古い記述に心理学者や法学者2名の方が引用されていますが、
宮内庁侍従職御用掛の鎌田純一皇學館大学名誉教授、
上田正昭京都大学名誉教授、
古事記学会理事・菅野雅雄博士、
嵐義人國學院大学名誉教授、
荊木美行皇學館大学教授、
水田義一和歌山大学名誉教授、
工藤浩博士、
古相正美教授、
松本弘毅博士、
伊藤剣博士、
渡邉卓博士、
津田博幸教授他専門家が多数引用されているのに、なぜあえて無視をされるのか?と大変強く疑問に思う次第です。--Yoko Ai会話2019年1月13日 (日) 07:16 (UTC)[返信]
コメント 貴殿がおっしゃられる学界の多数派の意見-どうやら偽書とみなすのが2019年現在の多数派のご意見だと貴殿はお考えのご様子のようですが-とはなんでしょう?
「清直は序のみ後人の偽作として斥け、他は信頼してよい文献と解するが、今日の学説状況も、大勢はその影響下にあると言ってよい……また阿部武彦氏も、「記紀に見える国造の記事は甚だ少ない」ので、「現在に至るまで、多くの研究者は、国造本紀を国造研究の重要な史料として用いるのが通例」になっていると指摘する」」 — 嵐義人、[1]
「偽書……その中でも『先代旧事本紀』は近世以降一番の論議を呼び起こしてきたものである。しかも、この偽書説を言い出した人間が、数種の偽書を作成したと批難される国学者多田義俊である……このように、序文が偽作であることは、近世において既に詳しい指摘があり、その後の研究者も異論を唱えてはいない……また、序文の偽作者は不明ながら、成立年代は早い時期ではなく、平安末から鎌倉初期と推定されている」 — 古相正美、[2]

--Yoko Ai会話2019年1月15日 (火) 05:11 (UTC)[返信]

コメント なぜ「『日本上古史研究』『上代文学』『古代文学』『日本歴史』『神道史研究』『国文学研究』などに掲載された」論文が存在し、「国の科研費による研究が多数存在している」ことが導入部で長々と記述されないといけないのでしょうか?--Ryo 625会話2018年12月3日 (月) 00:54 (UTC)[返信]
コメント 回答:Ryo 625様が商業雑誌の『歴史読本』と高校の紀要である『大阪府立大学工業高等専門学校研究紀要』をピックアップしたので、複数の学会誌の学術的論文のほうがより多く先代旧事本紀についての論文が存在していると例をあげました。冒頭部分にどのメディアで掲載されているのかの例題を記す必要性は無いので、『歴史読本』と『大阪府立大学工業高等専門学校研究紀要』が削除されてよいのなら、それらの助長な記述も不必要となることでしょう。--Yoko Ai会話2018年12月3日 (月) 01:24 (UTC)[返信]
コメント とりあえず論文が一本も存在しない云々の記述は私が書いたものではなありませんし、このあたりの記述はおそらく事実誤認であり、事実ではないので削除した方がスリムな導入になると思われます。コトバンクの様々な出典も「天孫本紀」、「国造本紀」が貴重な資料であることは否定していないので。--Ryo 625会話2018年12月3日 (月) 20:09 (UTC)[返信]
コメント コトバンクはかなり昔に出た「辞書」や「百科事典」を収録しているため学説は古く、論拠にする優先性はさほど高くはありません。辞書はその時代にその国語がどういう意味で使用されていたのかが掲載されているのが本義で、学生が論文を書く際に百科事典や辞書を典拠としないのと同じです。--Yoko Ai会話2018年12月3日 (月) 23:10 (UTC)[返信]

著者について[編集]

「著者は不明だが、「天孫本紀」に尾張氏と物部氏の系譜を詳しく記述し、物部氏に関わる事柄を多く載せるところから、著者は物部氏の人物であるとされる」との記述がありますが、出典元のコトバンクには「著者は未詳であるが、「天孫本紀」には尾張(おわり)氏および物部(もののべ)氏の系譜を詳細に記し、またほかにも物部氏関係の事績が多くみられるので、本書の著者は物部氏の一族か。……出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について」とあり、佐伯有清氏は【仮説】であることを明示しています。--Yoko Ai会話) 2018年12月3日 (月) 02:04 (UTC)--Yoko Ai会話2018年12月3日 (月) 02:14 (UTC)[返信]

結論部だけが仮説ですので、そこだけ修正いたします。--Ryo 625会話2018年12月3日 (月) 20:04 (UTC)[返信]

書名について[編集]

冒頭の書名の説明ですが、漢字制限云々は書かなくとも、「『先代旧事本紀』(『先代舊事本紀』)」と書いてほうが簡潔でよいと思うのですが、どうでしょうか。漢字制限のことはいわずもがなであるし、書くとすれば、何かしらの形で「漢字制限」にリンクしさえすれば良いのではないでしょうか。Stanislaus 2005年7月21日 (木) 09:00 (UTC)[返信]

  1. ^ [|嵐義人]「『先代旧事本紀』の成立・撰者・編纂意図」『歴史読本2008年11月号』、新人物往来社、2008年11月、63頁。 
  2. ^ [|古相正美]「「序」の真偽 聖徳太子撰録の謎」『歴史読本2008年11月号』、新人物往来社、2008年11月、68頁。