ノート:人権派

なかなか面白いですね ここに残しておけばいいかと・・・--ムイチモン 2006年4月2日 (日) 00:21 (UTC)[返信]

大幅な修正が必要ですがあながち悪ふざけともいえない気がしますね。うまく纏める事が出来れば復活もありだと思いますが。--DK 2006年4月4日 (火) 21:16 (UTC)[返信]

こういう書き方はどうでしょう。

人権派(じんけんは)は、本来人権の救済に尽力している法曹政治家を尊敬して指した名称。

だが、現在ではそこから転じてマジョリティよりも被疑者在日外国人などのマイノリティ人権救済優先する弁護士市民活動家などを揶揄するときに用いられるスラングとして用いられることが多い。

本来の意味としての『人権派』についても書くべきだと思います。78 2006年5月17日 (水) 15:14 (UTC)[返信]

“救済を必要とするマジョリティ”がいるんでしょうか? マジョリティは存在そのものが権力となり得るんですけどね……。--Gordon S 2006年7月3日 (月) 04:43 (UTC)[返信]

いますよ。完全なマジョリティに属するネイティブで健康な男性であっても、社会的に弱い立場に置かれている人は沢山います。あなたは、『弱者の救済』というテーマを、反権力闘争やイデオロギー対立において、対立勢力を批判する道具としか見なしていないからそのような考え方になるのであって、現実の弱者に目を向けると、マジョリティ集団に属する人の中にも弱者は大勢いる事がわかります。ロリナチ 2006年7月8日 (土) 23:17 (UTC)[返信]

移動及び観点について[編集]

「悪ふざけ」などに該当すべきものではないと判断し、移動をかけましたが、記していることに関する論拠などが書かれていないため、「観点」のテンプレートをかけました。つきましては、根拠の提示などをお願いしたいと思います。--Shinkansen 2006年7月1日 (土) 05:55 (UTC)[返信]

差し戻しがかけられていますが、「人権派」の記事は明らかに「悪ふざけ、ナンセンス記事のの一覧」にあるような「冗談」系の記事とは異なる気がします。googleでこの言葉は143000件も該当しますし、例題の記述の方をコメントアウトにすれば十分な記事となる気がしますが。--Shinkansen 2006年7月1日 (土) 11:29 (UTC)[返信]

若干の考察[編集]

悩ましいケースです。あくまでも俗語に過ぎないからなんですが、21世紀となった現在でも通用する俗語かというと、そうとは言い切れない部分もあるからです。1980年頃まで通用していたのは確かだと思います。

中坊公平弁護士を一代表として、「人権派」と呼ばれた弁護士は少なくありません、公権力に立ち向かう人というイメージがございました。ただし自称した人はいないのではなかろうかとも思います。この中坊弁護士が住専問題解決の立役者として住管(住宅金融債権管理機構、現・整理回収機構)の社長として白羽の矢が立ったあたりから、急速に廃れてきた経緯があります。住管は、いわゆる住専法に基づいてつくられた、いわば国策会社ともいうべき強い権限を持つ巨大な会社だったからで、多くの弁護士がそこに吸収され、国に立ち向かえる弁護士が激減してしまいます。

その結果、残された少数派を指して「人権派」、「人権屋」と、半ば蔑称としてもちいられるようになってきたのが、恐らく1990年代末あたりではないか、と思います(要調査)。

ミッチー・ブーム」や「皇室追っかけ」、あるいは「自慰史観」など、俗語をどこまで項目として許容すべきかというガイドラインは一概に定まらないでしょう。「新住民」のように、行政施策で用いられる用語になれば胸を張って掲載できますが、悩ましいのは、「自慰史観」や「人権派」など蔑称的性格を帯びた/帯びつつある言葉をどう取り扱うか、というところにあると思います。

根拠を正確に呈示するためには、膨大な脚注が必要になるという感じでしょうか。それはあまりにも手に余る作業なので、今はとりあえず長期的課題としてメモを呈示申し上げ、自分の「ウォッチリストに追加」して銘記するにとどめます。(註: 以上の記述は、2006年7月6日 (木) (IP ご利用者) の版 に対する考察です)
- Opponent 2006年7月7日 (金) 23:29 (UTC)[返信]
- Opponent 2006年7月7日 (金) 23:34 (UTC): [返信]
- Opponent 2006年7月9日 (日) 02:15 (UTC): (註) を付記[返信]

人権派が侮蔑的響きを持つ単語であるとしても、差別用語には当たりません。「人権派」と呼ぶことは、対象の人を揶揄する意図はあっても、差別する意図はありません。また、人権派という言葉は、新聞などでもその人の思想信条を表すときに普通に使われています。例を挙げると、韓国の盧武鉉氏が大統領選挙に出馬したとき、新聞では彼の経歴を「人権派」弁護士と繰り返し紹介していました。「人権派」という言葉が、「弁護士」を修飾する形容詞としてではなく単体で使われていたことも何度もありました。行政機関における使用の有無については把握していませんが、少なくとも公式の場で使用がはばかられる類の言葉ではありません。ロリナチ 2006年7月8日 (土) 23:49 (UTC)[返信]

「人権派」「2006年7月9日 (日) 10:13 の版」(要約欄のコメント: 書き直し。まともな記事にするのなら、ここらが出発点でしょう)は、明快・中立なスタブ記事だと思います。すっきり、かつさわやか。NiKeさま、お見事です。
- Opponent 2006年7月9日 (日) 02:15 (UTC)[返信]

人権派についての定義は難しいと思う。しかも、今本当に、虐げられている人々を救おうとしている人も「人権派」だの 「偽善者」だの言われてしまう現実もあるように思う。大事なのは、偽善でやってる奴等をたたき出すことだと思う。--以上の署名のないコメントは、211.19.220.127会話/Whois)さんが 2006年7月11日 (火) 14:16 に投稿したものです。

重大な勘違いをなさっていらっしゃるようです。おっしゃったのは「ご意見」であって、百科事典の執筆とは無関係のことです。通常、コメントアウトで上記ご発言を隠すところですが、履歴を拝見したところ、過去にも「人権派」の編集をなさっていますし、また別の記事では根拠不明のあやふやなご加筆が散見されますので、ここではっきり申し上げておきます。ウィキペディアはあなたのご意見や、推理・推測を書く場所ではありません。もうすでに広く公開され、信頼されている出版社・新聞社が公表した事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論が記事の対象で、その内容は第三者が検証できるものでなくてはなりません。個人的意見や推測をノートで述べるのはかまいませんが、記事本文にお書きになるのはおやめ下さい。そのような文章は、ウィキペディアの外でお書きになるべきです。言っておきますが、「若干の考察」と題して述べました意見は百科事典の記事としてふさわしい内容にするのが難しい、ということについて考察し「悩ましい」と申し上げたのであって、「偽善でやってる奴等をたたき出す」などというご主張とは全く無関係でございます。
- Opponent 2006年7月18日 (火) 12:06 (UTC)[返信]

移動保護のお知らせ[編集]

移動合戦となっていましたので、移動保護を行いました。KMT 2006年7月9日 (日) 00:50 (UTC)[返信]

NIKE氏による記事の大幅削除[編集]

これは妥当なものなのか?本当に今ある記事が全部でたらめと言い切れるか?自分が気に食わないからといってノートでの議論もなしに勝手に記事をばっさり切るようじゃ某PEACE何とかと変わらないのじゃないか?今すぐというわけではないが全文の差し戻しも考えている。--61.116.173.181 2006年7月9日 (日) 17:40 (UTC)[返信]

以下の記述

ただし人権派かどうかを区別する客観的な指標はなく、また「人権派」と言われる人物がそのように自称することはあまりない。本来はある種の尊称と言えるが、「正義」などと同じく揶揄のために使われることもまま見られる。

が、なぜ削除されなければならないのでしょうか。--ikedat76 2006年7月9日 (日) 18:01 (UTC)マークアップの修正--ikedat76 2006年7月9日 (日) 18:01 (UTC)[返信]

「ただし人権派かどうかを区別する客観的な指標はなく」という一文が、人権派への批判の多い現状と著しく乖離していると思い削除しましたが、全削除もやりすぎだったかもしれません。旧文の主張も復活させてみました。--61.116.173.181 2006年7月9日 (日) 18:25 (UTC)[返信]

なんともはや一夜にしてボロボロの惨状。「……と主張するものもいるが、……」の挿入により、あたかも客観的指標が確固として存在するかのような印象を読み手に与えてしまうわけですから偏った観点と言わざるを得ません。全体の文脈も、明快で素直な定義から、バランスを欠く異様なコンテキストに変化してしまいました。もともと「客観的な指標」は最初の定義文を補足する「ただし書き」だったのに、ただし書きでなくなったことにより、唐突な印象を与えるものになりました。定義部分で両論併記? もうそれだけで編集合戦が推認できてしまいます。{{観点}}の除去は、しばらく様子を見てからにすべきでした――反省。
- Opponent 2006年7月9日 (日) 22:17 (UTC)[返信]

「中華人民共和国における人権派」について[編集]

“世界の人権状況”のある項目で全般的に扱うのが適切だと考え、削除しました。--220.100.60.200 2009年8月24日 (月) 02:29 (UTC)[返信]

世界各国の状況については、加筆すればいいわけで、たんに削除したところで、何の記事の充実に寄与しないでしょう。高智晟なんて、実際、人権擁護運動で有名なのですから、Wikipedia:日本中心にならないようにの観点からも記載あるべきです。--西方 2012年1月26日 (木) 05:41 (UTC)[返信]