ノート:ニューミュージック

こんにちは。個人的には、はっぴいえんどナイアガラ系のミュージシャンは、ニューミュージックに含まれないと考えているのですが、とりあえずは、あいまいに書きました。何かご意見いただければ幸いです。東京音楽人 03:48 2004年5月14日 (UTC)

同時代を過ごしてきた者として一部の記述に違和感を感じている事を述べておきます。自分の中で明らかにフォーク寄りと分類していたアーティストがニューミュージック側に分類されている事に違和感を覚えている主要な原因は歌詞に対する考え方ではないかと思います。メッセージ色の強いフォークソングから中流家庭を意識した恋愛に、四畳半の内省からおしゃれな日常に、そういった歌詞の傾向というものに注目した分類と、アーティストのルーツからの分類(これは時としてレッテルを貼る結果になってしまうわけですが)を私的に考えると掲載されているいくつかのアーティストに関しては強行的にフォークではないか?と異論を挟みたくなります。まぁ、これは当時のレコード店の陳列棚の分類が私をそういう思いに駆らせているのでしょう。それにしても以下のアーティストは歴史的分類に悩みます。Buzz、猫、トランザム、センチメンタルシティロマンス、ムーンライダース・・・そうそう、「サウンド指向」という便利な言葉がありましたっけ。--以上の署名のないコメントは、Lime citrus soda会話投稿記録)さんが 2005年10月6日 (木) 12:58 (UTC) に投稿したものです。[返信]

ミュージシャンの分類に関して[編集]

ニューミュージックという言葉が無かった時代から該当するミュージシャンに接している40代の人間からすると(本文も含めて)とうてい許容できない記述が多々あり、中立的な観点から記述を考え直したいということで一覧を一端コメントアウトさせていただきました。

  • 分類の一覧は必要なのか?
  • 百科事典の記述としてどの程度の分量にするべきか

以上を改めて考えてみたいと思います。--Lcs 2006年2月14日 (火) 00:28 (UTC)[返信]

こんにちは。コメントありがとうございます。記事の大半を書いたものですが、Lcsさんが書いておられる点については、次のように考えています。
  1. 一覧の必要性:(音楽の他のジャンルはともかくとして)ニューミュージックに関しては、必須と考えています。なぜならば、その範囲のとらえ方が人によって、極めて大きく異なり(異なる可能性があり)、まずはその範囲をある程度確定しないと、議論すらできないからです。逆に、範囲のとらえ方が、各人により、おおむね一致しているのであれば(一致するようになれば)、このような一覧はほとんど不要だ(ほとんど不要になる)と考えます。
  2. 分量:あまり少なくても「範囲の確定」という目的が達成できないので困りますが、極めて細部までニューミュージックかどうかを決める必要はないと考えています。ただ、ヒット曲がなかったりしても、問題点や傾向を浮き彫りにできるようなアーティストは取り上げておくべきでしょう。この記事にかかわる皆さんがどうお考えか(どのような追加がなされるか)にもよりますが、当面は、現時点の分量程度でいいのではないかと思います。
なお、Lcsさんのお考えからすれば、現在のアーティスト一覧において、具体的に、どのアーティストがニューミュージックで、どのアーティストがニューミュージックではないとお考えか、お教えください。より詳細に、曲ごとに書いていただいても結構です。また、アーティスト一覧ではない方法により、範囲の確定を図るアイデアがあれば、そのアイデアについてもお教えください。よろしくお願いします。私も、いろいろなアイデアを模索します。
この問題、すなわち、ニューミュージックの範囲の確定の問題は、簡単に解決しないと思います。かといって、今までのほとんどの方がそうしてきていたように、「議論をしてももめるだけだから、いい加減なままで、ほおっておきましょう」ということができる問題だとも思いません。ここで、みんなで議論をしなければ、いつまでたっても誰も議論しないでしょう(そういった議論で公表されているものがあれば、ご指摘いただきたいところです)。アーティストごとに「ニューミュージックか、そうでないか」を議論をせねばならないケースも出てくるでしょう。私としては、最低でも5年、へたをすれば、10年レベルの議論が必要だと覚悟しています(一旦議論が集束したとしても、新たな参加者により、議論が再開することもありえます)。むしろ、今まで、この項目について、何の議論も起きなかったのが不思議だと思っています。これをきっかけに、いろいろな方のご意見をうかがえればいいなと思っています。他の方のご意見もお待ちしております。よろしくお願いします。
最後に、「コメントアウト」という方法ですが、表面上は一覧が消えたかたちになっていますので、注意喚起のために、タイトルのみ戻し、ノートにて議論をしている旨の注意書きをつけました。また、これでは一覧が参照しにくく不便なので、参照するために、ノート:ニューミュージック/ニューミュージックのアーティストの一覧に、消えている一覧をそのまま引用しておきます。東京音楽人 2006年2月15日 (水) 10:31 (UTC)[返信]
一言だけ ユーミン以外は現リストから全て除外。根本的なリライトを敢行するかもしれません。--Lcs 2006年2月15日 (水) 11:27 (UTC)[返信]
とりあえず今後の私の編集方針として、以下のような点を考えています。
私の世代からすると以下の文章は許容できないというところから始まります。
吉田拓郎「結婚しようよ」
井上陽水「傘がない」
荒井由実「返事はいらない」
そして、1973年の
かぐや姫「神田川」
などを、始まりとすることが多い。
上記のうちユーミンがニューミュージックの源流であって他は当時はフォークの大御所というか代表ですよ。神田川なんてのは四畳半フォークの代表曲であり、間違ってもニューミュージックの歴史で語られるグループではない。後に南こうせつ+佐藤準の時代になったら話は変わってきますけど、少なくとも70年代前半に後のフォーライフ組を入れるのは間違ってる。
むしろこの時期に記述すべきは東芝EMI系のオフコースと尾崎亜美でしょう。
どちらかというと国内の流れと言うよりは海外の事情と合わせて記述しないとニュアンスが伝わらないのかもしれません。キャロルキングのつづれ織りが与えた影響であるとか、ロスのスタジオミュージシャンがバックアップしていた音楽シーンの影響であるとかは直接受けているわけですからその辺の記述も必要でしょう。
歴史的背景として安保とベトナム反戦運動が一段落した後にムーブメントが起こっていることを記述する必要があると考えています。ここで内省に向かうフォークとおしゃれな方向に向かうニューミュージックの対立軸というのがあって、それからすると現在記述されているアーティストは明らかに異質です。
というわけで、私の編集は記述を削ることに重点を起きます。もっと簡潔に記載ができると思っています。--Lcs 2006年2月15日 (水) 16:20 (UTC)[返信]

さっそくコメントありがとうございます。やはり、根本的な意見の違いがありますね。私は、この問題については、極めて悲観的です。その意味するところは以下のとおりです。

まず、Lcsさんは、「私の世代からすると」と書いておられますが、

  1. 「私の世代からすると」についての根拠がない(いったい、「私の世代」のうちの何人の方がLcsさんのお考えと同じであるかがわからない、わかりようがない。正しくは、「私からすると」ということではないか)。
  2. 仮に「私の世代からすると」という点について明確な根拠が出てきたとしても、「私の世代」の「多くの人」がそう考えているだけで、正しいとは限らない(この問題は、多数決で解決できる問題とは限らない。また、その前の世代の人、その後の世代の人の考えを無視して、「私の世代」の考えが正しいと決め付けることはできない)

結局、Lcsさんのご提案は、少なくとも現時点では、「Lcsさんがそうお考えである」という以上のものではないというのが私の受け止め方です。

次に、この記事に関して、私は、なるべく自分の好みや偏見を交えずに書いているつもりですが(特に範囲関連について)、そうであったとしても、「自分の考えが絶対的に正しい」とは、全く考えていません。私としては正直これ以外に考えられないのですが、そうであっても、つきつめれば、「利用者:東京音楽人がそう考えている」ということだと思います。

では、このような意見の対立について、一体誰がどのようにして、正しい結論を出してくれるのでしょう。ここで、「中立」とは何を意味するのでしょう。もちろん、Lcsさんと私との間である点について合意したとしても、正しいことについての何の保証にもなりません。私は、究極的には、誰にも結論は出せないと考えています。これが、「極めて悲観的」の意味です。何か、本件におけるこのような意見の対立を解消する、いいご提案がありますか? 富澤一誠さんにでもきいてみますか?(別に知り合いではありませんが)

1つ議論の参考になる情報をお伝えします。1980年に立風書房から『ニューミュージック'80 すばらしき仲間たち』という本が出版されています。この本には、「ニューミュージック・オールアーティスト名鑑」という困った資料が含まれています。このリストには、Lcsさんが違和感があると挙げておられる吉田拓郎も井上陽水もかぐや姫(この時点では「かぐや姫」は解散していますので、正確には、南こうせつ、伊勢正三の2人です)も含まれています。それどころか、私ですらニューミュージックとは考えていないか少なくとも疑義があると考えている、(よりフォーク的だと考える)長谷川きよし、岡林信康、森山良子、加藤登紀子、高石ともや、杉田二郎、南正人も、さらには、(むしろ歌謡曲的ではないかと考える)庄野真代、竹内まりや、大橋純子、松原みきも、その他、河島英五、BORO、小室等、森田童子、桑名正博、高中正義、SHOGUN、柳ジョージ&レイニーウッド、上田正樹、カルメン・マキ、山下達郎、山本達彦、南佳孝、矢沢永吉(順不同)なども含まれています。

このリストは、Lcsさんのお考えには反する内容だと思います。また、私の考えとも反します。要するに、この問題は、そう簡単ではないのです。「この本のリストは間違っている」とか「この本の編集者には誤解がある」と言うことは簡単です。しかし、そのことについての説得的な根拠はありません。その人が「間違っている」と思っているだけです。また、間違っていると主張したとしても、「当時、そう考えている人(しかも音楽を仕事で扱っているプロ)がいた」という事実は否定できません(当時、この本の編集者が20代の方だったとすれば、現在は40代くらいですね。当時30代だとすれば、現在は50代くらいですね)。失礼ながら、Lcsさんは、この辺りの情報をお調べになった上で、議論なさっていますか? 私が悲観的なのは、このような状況を踏まえているからです。当時の文献ですら、全面的には依拠できないのです。

さて、そこで、ここでのお願いですが、Lcsさんのお考えを項目に追加していただくことは全く構いません。しかし、現時点では、すでに存在する部分を改訂するという方法ではなく、それを残したまま「A説」「B説」といった両論併記でお願いします。もちろん、現在の案を「B説」とし、Lcsさんのお考えを「A説」にしていただいても構いません。とにかく、説得的な根拠により(上記のとおり、単なる文献では「説得的な根拠」には足りないということは十分にお分かりいただけたと思います)、私の書いた部分が間違っているとはっきりする前に(仮にはっきりするとしても、かなりの時間がかかるでしょう。最終的にはよくわからないままで終わるのではないか、と危惧しています)、削除や修正をしていただくことはおやめいただきたいと思います。ぜひとも、よろしくお願いいたします。

なお、私の予想では、少なくとも、範囲については「A説」「B説」だけでなく、「C説」(例えば、先にご紹介した「名鑑」のように、フォークやロックや、やや歌謡曲的なものまで含めてしまうような考え方。なお、Lcsさんが2回目にコメントアウトなさった定義の部分は、私が書いた部分ではありませんが、Lcsさんにとってはなおさら許しがたい、いわばここでいう「C説」的な部分だと思います。そして、もしかしたら、さらに、予想外の「D説」も?)くらいは出てくるのではないかと思います。とにかく、Lcsさんと私以外の方の本議論への参加を期待します。東京音楽人 2006年2月16日 (木) 12:25 (UTC)[返信]

もう一個視点があってね、リスナー側から見たニューミュージックと、アマチュア、プロを問わず演奏する側から見た違いというのも感じて居るんですよ。僕が思うに、東京音楽人さん楽器を演奏しないんじゃないかな?ミュージシャンだったら絶対に首を縦に振らない記述だと思うんです。もし違ったら失礼。

困った資料は廃棄すればいいんです(笑)80年頃というと音楽シーン的にはとても面白い時代で今の日本の音楽シーンの基礎が出来た時代です。ロックが一定の市民権を得てバンドブームからロック系のミュージシャンがどんどんデビューしてマーケティング的にフォークが苦しかった時代です。レコード店の棚のフォークの欄がフォーク/ニューミュージックに変わってしまった頃で、学校でオフコースやユーミンのコピーはウケたけどまっとうなフォークに手を染めると格好悪いと言われた時代。商業的な配慮からミュージシャンの意向にかかわらずレコード会社のA&Rがレッテルの貼り直しをしちゃった事例も有るわけですよ。これが時流だ、とばかりにニューミュージックという言葉で時代を切ろうとして破綻した、そういう本何じゃないんですか?むしろ資料にするとしたら当時のFM雑誌の方が興味深い記事があるかもしれません。あと当時は演奏家向けの雑誌はロックとクロスオーバーの方を向いていてニューミュージックには冷淡でしたから(ティンパンアレイ系を例外として)そういった文献とFM雑誌を比較して詰めて流れを作っていくと比較的万人に納得のいく説明になるかと思いますね。

一回この項目は解体してみたいんです。もっとシンプルな記述でいい筈です。--Lcs 2006年2月16日 (木) 14:09 (UTC)[返信]

こんにちは。ざっと読んでみたのですが、手法の点からいくつか述べます。まず個別の楽曲やアーティストの分類についてああでもないこうでもないという記述を並べるのは適当とは思いません。また、全ての論を併記するのも方法論として間違ってはいないのですが、折角ここで議論が始まっているのですから合意点を見出してその部分だけ記述してもいいのではないでしょうか。あと、アーティストの一覧は別項で書いた方がいいと思われます。しばらく記述と削除を繰り返せばこれも大体の方向は見えてくるでしょう。最後に、ここで議論されたことが中立か? という問いですが、方便として現時点での議論の参加者が合意したところが現時点での中立ということで良いのではないでしょうか。そうでないと、特にエンタメ系は項目の維持すら難しいところが多々ありますので。--Mt.Stone 2006年2月20日 (月) 02:35 (UTC)[返信]

今の記述だと歴史的な経緯と辻褄が合わなくなるんですよねえ。たとえばかぐや姫が解散して伊勢正三氏がおもいっきり路線を変えて風を結成したあたりとか、赤い鳥の解散からハイファイセットに至る流れとかを整合性をもって記述しようと思うと、ニューミュージックの発生の部分は大幅な変更が必要だと考えて居るんです。何に対して新しい物だったのか、それに対して何故グループの内部分裂から新しいグループが出てきたのか、この辺の視点ですね。

上でもちょっと触れましたけど音楽的な内容とは別に販売上の戦略として無理矢理ニューミュージックに編入した事例というか路線変更なんかもあって、70年代の定義と80年代の定義は異なるという記述をしたほうがいいんでしょうね。結局80年代後半のバンドブームでニューミュージックの衰退とスタジオミュージシャンの失業という流れからJ-waveの提唱したJ-POPという包括的概念に至るわけですけども、バンドブームの直前というのはかなり曖昧な状況であった訳で、このあたりの時系列での記述をもうちょっときっちりやりたいな、と思うわけです。--Lcs 2006年2月20日 (月) 05:48 (UTC)[返信]

Lcsさん、Mt.Stoneさん、コメントありがとうございます。いくつか、断片的に書いてみます。(ご回答が遅れてすみません。実は、時間を置いて少し待っていたのですが、なかなか、参加者が出てきませんね。皆さん、あまり関心をお持ちでないのでしょうか?)
1.「(資料は)無視すればいい」:実際、私も部分的に無視しているのですが、
  1. 資料は無視できても(文句は言わないので)、Wikipediaの他の利用者は無視できない(笑)。
  2. 今までみんな他人の考えを無視して、議論を避けていたので、現在の混乱がもたらされた。「無視」が混乱の原因となった。
もう無視できない時期になっていると思います。
2.楽器の演奏は、一時したことはありますが、バンド活動もしたこともありません。しかし、楽器の演奏経験の有無よりも私が重要だと考えているのは、「ニューミュージックが好きかどうか」「個々のミュージシャンが好きかどうか」だと思います。一般化して申し上げると、「ニューミュージックが好きで、アーティストAが好き、アーティストBが嫌い(好きではない)。」という人の場合には、「A(の作品)はニューミュージックに含まれるが、B(の作品)はニューミュージックに含まれない」という結論が導かれやすく、「ニューミュージックが嫌いで、アーティストAが好き、アーティストBが嫌い(好きではない)。」という人の場合には、「A(の作品)はニューミュージックに含まれないが、B(の作品)はニューミュージックに含まれる」という結論が導かれやすい、と思っています。この点については、項目中にも若干触れました。
3.ニューミュージックの範囲についてのLcsさんのお考えを具体的に書いていただけるとありがたいです(このノートに、または、本文に「A説」として)。ニューミュージックの始まり、終わり、時期、曲など。誰のどの曲が含まれ、誰のどの曲が除かれるのか。実際、そういうことが正面から書かれている文献は皆無といっていいので、大変興味があります。私が書いたものと比べれば、新しい発見もできると思います。よろしくお願いします。なお、ノートで議論することはやぶさかではありません。ただ、多数決等で結論を出すことは避けたいと思います。特に、ある程度の人数が参加しないうちに、例えば、10人未満程度の人数で合意しても、意味がないように思います(結局問題がほとんど解決せずに、先送りになっているだけ)。議論の仕方や合意の方法についても、検討すべきだと思っています。
4.フォークであることと、ニューミュージックであることは、重複しえる、というのが、私の根本的な考えです。もちろん、ロックであることやポップスであることとも重複しえます。要するに、境界があいまいであるだけでなく、重複もあると考えています。
5.「無理矢理ニューミュージックに編入した」ということも十分にありうると思います。多くのアーティストを幅広く取り扱う本を作った方が、多くの人が買ってくれるはずですから。ただ問題は、文献を見ても、そうかどうかの判断ができないということです。結局「俺はニューミュージックが好きだが、この一覧には、俺の嫌いな(好きではない)Aが入っている。この一覧は、Aを無理矢理入れているに違いない。Aをはずすべきである」というような極めて主観的な判断だけになってしまうでしょう(主観的ではない、ということを示すことができる論拠が、まず存在しない)。
6.私は、ニューミュージックにおける1970年代前半(第1期)と1970年代後半(第2期)にも、深い溝があると思います。正確には、この溝は1976年あたりでしょうか? 例えば、松任谷由実は1970年代前半です。1970年代後半のニューミュージックの中には存在しません。1978年、1979年頃には、(吉田拓郎や井上陽水等とともに)松任谷由実など、ヒット曲を出せない「過去のアーティスト」だったのですから。
以上です。さらに他の方の議論へのご参加を期待します。東京音楽人 2006年3月11日 (土) 14:38 (UTC)[返信]
電気用品安全法がらみの運動で時間を取られているので手短に行きます。
2 楽器演奏から作詞作曲に手を染めると視点が増える。そういうことです。評論においてリスナーが気づかなかった視点からの分析ができるということです。
好き嫌いから発展した話は苦笑してしまいましたがそんなもんなのかなぁ?
3 時代によって定義を書き分けていく記述をしないといけないでしょう。70年代前半の荒井由美をスタートとしてフォーク界の集合離散を伴う再構築をやった70年代後半から、80年代に入ってシンガーソングライター全般を指すようなあいまいな使われ方になった時代を経てバンドブームによる死刑宣告(英国におけるパンクムーブメントに近い)まで、時代時代による定義を歴史的に記述する必要があるでしょうね。
4 重複はいろんな意味でありえます。ただしそのときそのときの時代の色分けを考慮する必要があります。
5 最後は曲に対して年代と時代背景の考察を含めて記載しないと駄目でしょうね。今ならiTmsのURLを貼ってニュアンスを伝えるという方法もあります。
6 これはかなり異論があるな・・そもそもヒットの定義は何? 70年代後半はまさしく私が多感な少年時代を過ごした時代ですけれど、ユーミンは当時の音楽雑誌では別格の扱いでしたよ?それを存在しませんなんていわれたら出直してきて下さいというしかない。
とりあえずプライベートで一難去ってまた一難という状況なのでリライトは先延ばしにしてます。--Lcs 2006年3月11日 (土) 23:10 (UTC)[返信]

参考情報[編集]

個人の経験談なのでこのまま本文への情報源とは出来ませんが、高校生の頃(1980年代前半)に見たレコード屋さんでは、山下達郎、ユーミン(松任谷由実)、大瀧詠一、大貫妙子、EPO、オフコース、坂本龍一、矢野顕子などがニューミュージックのコーナーに置いてありました。手掛かりの1つとして。Uryah 2008年9月30日 (火) 10:28 (UTC)[返信]