ナスフ

ナスフとは、イスラーム教の用語のひとつで、「取り消し」や「破棄」という意味である。

概要

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イスラーム教においては、初期の神の言葉や少し以前の神の言葉とが、神による後からの新しい啓示によって、それが、矛盾に満ちたものに変化してしまうという現象が多々ある[注 1]。それらの、前後に矛盾した章句を読んで、イスラームの信者が混乱したり、疑念を抱いたりしないように、イスラーム法学者などは、どの言葉を取り消したり破棄したりするのかについて研究・解釈している。イスラームの信者は、それを「ナスフ」すると呼んでいる[注 2]

ムスハフ本文におけるナスフ

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神の啓示の中に矛盾している句があった場合、古い時期のものが新しい時期の啓示によって取り消されたのだと解釈する方法を、イスラーム教徒は、ナスフとしている。

「我々(アッラー)は、ある一つの節を取り消したり、または忘れさせたりすることがある。その理由としては、それよりも良いものか同等の啓示を、信者に与えるためである。(2章 106節)」という啓示が、ある。初期のイスラームでは、この言葉が、ナスフに関係したものとされていた[2][注 3]。 上記の「取り消し」の句は、メディナ時代の啓示である。我々(神のこと)の説く教えは、矛盾があるかもしれない。しかしそれは、よりよい教えを啓示するために、これ以前に不変の真理として下した啓示を、取り消したり、聞かなかったことにすることがある、という意味合いがあるようだ[注 4]

ウスマーン版ムスハフの第5章では、キリスト教に対する賛同と敵対視の啓示が、同じ神の啓示として、並立して書かれている。神は、5章56節では、キリスト教徒は分別がなく、邪悪の徒が多いとしている。しかし、そのすぐ後の、5章82(85)節では、キリスト教徒は、愛情深く、信仰心が篤い、と神はしている。キリスト教徒がクルアーンを聞けば、涙を流して「私たちは信じます」と言うだろう、という予言も、神はしている。そのため、これらの啓示を理解するためには、神の言葉のどちらか一方を削除する必要がある。この章を矛盾を感じずにイスラーム教徒が読むためにも、ナスフが必要不可欠なツールであるとされている[注 5]

この出来事からわかることは、「全知・全能の神ともあろう方が、数年先の未来のことが予測できなかった」、ということである。「神様と自称している方がそのようなミスをするだろうか、(いや、そんな神様はニセモノにちがいない)」、という批判が、ムハンマドの当時にはあったとされる[6]

キリスト教の修道士に対する評価については、5章82(85)節において、良い評価がくだされている。しかし、9章34節では、神の道を阻害する偽善者であるという評価が下されている。

似たような経緯をたどって、ユダヤ教の場合においても、歴史的に重大ともいえる矛盾した啓示が、並立して表示されている現状にある。

聖典と聖典とにおけるナスフ

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イスラーム初期には、聖典間の取り消しはしていなかった。クルアーン自体は、先行する啓典よりも最も優れた啓典であるとの主張を自己主張するにとどまっていた。 10世紀ころから、句の取り消しの概念が啓典と啓典の関係に関しても、学者によって適用されるようになったとされている[注 6]

啓典の民という概念は「アフル・アル=キターブ」というクルアーンの言葉を訳したものとされている。しかし正確には「先行した神の啓示、の民」になるとされている[8]。また、高等批評の発展してきた現代にあっては、「聖典」という概念は不明瞭なものとなっているといえる。そのため、聖典どうしの取り消しという概念は、「先行する神の啓示についての取り消し」と解釈することが出来る[注 7]

意味の歪曲によるナスフ

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ムスハフで、先行する啓典の民を批判するために用いられている概念は、意味の歪曲という概念である。ユダヤ教徒は、「律法の書」を歪曲して解釈している、としている[9]

テキストの歪曲によるナスフ

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ムスハフにおいて、先行啓典を批判するために用いられている概念は、テキストの歪曲という概念である。律法の書(モーセ)の場合は、テキストがバビロン捕囚の時に失われ、その後書き直されたとしている。そのときに、律法の書の内容が変わったとされている[10][注 8]。 イスラーム教では、福音書に関していうと、ナザレのイエスの本当の言葉が伝えられていない、とされている。それはなぜかというと、キリスト教がイエスの死後、300年にわたって迫害を受けたためであるとしている[11][注 9]

法学の用語としてのナスフ

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現代の学者は、疑似破棄という概念を使用している。疑似破棄には、「忘却」、「限定」、「解説」などがあるとされる[12][注 10]

現代において、ムスハフの有する種々の矛盾についての破棄の適用は慎重に行われるようになってきた。しかし、「限定」の緩い縛りは多用されるようになってきたとされる[13]

絶対的聖典の中に矛盾があった場合、その矛盾を否定できない社会は、まるで振り子ように左右にふれ続ける、という見解もある[14]

イスラム法学者とナスフ

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七世紀に発生した書物をイスラーム教では、現代生活のシャリーアの基準にしている。それにより、ムリや矛盾が生じるのは当たり前とする見解がある[14]。現代社会において、イスラム法学者は、そうした、無理ともいえる矛盾の解消を現実社会に実現している。 ムスハフの中に矛盾している句があった場合、それが啓示された時期を明らかにして、その神の啓示の矛盾を説明するために、古い時期のものが新しい時期の啓示によって取り消されたのだ、そのようにイスラム法学者は解釈している。啓示された時期と場所による聖句の限定という手法もまた、ナスフのときに用いてきたとされる[2]

ナスフとは異なる解釈
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神が直接語ったとされる言葉をまとめた『ウスマーン版ムスハフ』を、ムスリムは、聖典解釈原理に基づいて解釈することで、イスラーム文化を生んで来たとされる。それは、様々な方向に向かう人間生活の一切を解釈することであった。イスラーム文化の大きな特徴は、聖と俗の区別をつけないことである。シャリーアによって、政治と法律もそのまま宗教となっている、とされている[15]

宗教的な立場から見ると、シャリーアは必ずしもムスハフの言葉を守っているものではないと見える場合がある。例えば、ムスハフには、預言者を除いて、一人の男の妻は4人までしか持てない、とはっきりと明言されている。この基準を守らないで、妻を4人以上持つ男性が存在してもいいです、という啓示の句もない。しかし、新サウジアラビア王国の前国王は、確認されているだけでも、17人の妻がいたと伝えられている[16]。 この例をはじめとして、イスラム教国の王侯貴族には5人以上の妻が公式にいることはめずらしくないとされる[注 11]。前後に矛盾した神の啓示が二つある場合、イスラーム学者が、従来通りの方法によって変更するのは、神の言葉の解釈として認められていると言うことが出来る。しかし、男の妻は4人まで、という神の啓示が一種類しか示されていない場合、矛盾がないといえる。そのため、イスラーム教徒は、それをそのまま守らなくてはいけないと言える。イスラーム学者がこの契約を守らなくてもよいと解釈するのは、違反行為であると言える。それはいわば、イスラームの神の心をイスラーム的解釈によって破棄処分する行為であると言える。シャリーアに基づく治世をうたうイスラームの国において、こうした行為が為されているということは、政治と宗教が一体となっているという主張は、一般的な宗教信仰よりも宗教的には低レベルの在り方であると見ることが出来る[注 12]

破棄院

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著作等で問題のある見解を発表した人については、破棄院でその人が不信仰者かどうかを審議するとされている。不信仰者と判断された場合には、イスラム法にのっとり、例えば本人は追放となり、妻帯者ならば離婚しなければいけなくなる[17]。破棄院には、破棄という言葉がついているが、ナスフと関係があるかどうかは不明である。

ナスフにおける平和と戦争

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イスラーム教とはどういうものかについて考えた場合、まず、イスラーム教過激派の存在が頭に浮かんでくる人は多いようである。しかし一方で、イスラーム教とは平和の宗教だという主張をする人もいるようである[18]。イスラーム教がこうした教えの幅を現実のものとして維持している背景には、ナスフ等のツールがあるようである。 戦闘に関する規定は、メッカ時代初期の戦闘禁止から、防衛戦のみ、そして戦闘一般に拡大した。メッカ時代初期の戦闘禁止においては、防衛のための戦いも認められてはいなかった。神の手に運命をゆだねて耐え忍ぶことが推奨(2章109節)されていた[19]。 それに関連したこととして、106章1には、「クライシュ族をして無事安泰に」という句がある。これはごく初期の啓示であるとされている。強情な偶像崇拝者であっても、無事安泰を祈れ、すなわち敵の平和を祈り行動せよということが言われている[20]。この、①「敵の平和を祈り行動せよ」という句は、メディナ期での、戦闘一般を推奨した(剣の句と呼ばれているところの、9章5)②「多神教徒は見つけ次第殺せ」という句と、①と②が矛盾していることがわかる[注 13]。結果的に見て、イスラーム教の信者は、①の啓示で②の啓示をナスフするか、②の啓示で①の啓示をナスフするかによって、自分の生き方が大きくシフトしてしまうという立場に置かれているといえる。こうしたことから、平和と戦争の間を揺れ動いているイスラーム教徒の相反する見方が、成立しているようだ。 イスラーム教では、信条や教義が、キリスト教ほど重要ではない。思想の正しさよりも、行動(六信五行等)の正しさを重視している。五行さえ守っていれば誰もがムスリムであるとされる、とする見解がある[21]

イスラーム教過激派の原理主義者の中には、彼らの戦闘的イデオロギーがムハンマドの生涯に基づいていると主張する者がいる[22]。また、イスラーム法の指導者は、スーフィズム等の、ムスハフの平和的な内的解釈をする者を異端者として断罪するのに対して、イスラーム教過激派をイスラームとして容認している現状もあるとされる[23] [注 14]

神の自己認証について

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神の真理に矛盾があるということは、一般的に考えておかしなことであると言える。モーセやイエスの時代には、そんなことがなかったのに、ムハンマドの時代になったら、急に言うことに矛盾が出てきた、という事態になっている。そこで、ムハンマドの神は、「自分が神であること」を信者に証明する必要を感じたようだ。それが神自身による自己主張であり、自己認証であると言える[24][注 15]

初期の啓示における自己認証について

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ムハンマドが啓示を受け始めた当初、神はムハンマドに対して「あなたは神の預言者である」という言葉を繰り返していたとされている。彼が瞑想のために山に登るたび、その声が彼をつつみ、彼の自覚を促していたという[25]。その神が、ユダヤ教やキリスト教の神と同じであると直感したのは、彼を取り巻く人たちであった。ごく初期において、神は厳粛なるすぐれた詩文である神の啓示と、ムハンマドの自覚を促す言葉のほかは、「私は神である」という主張を、とりたててすることはなかった。信者に対しての絶対的な帰依も神は、説くことはなかった。

ムスハフにおいて、最後の方の章に位置しているところの最初期のメッカ啓示は、世界に類例を見ないすぐれた文学作品であるとされている[26]。また、預言者の権威を確立しているとされているのも、最初期のメッカ啓示であるとされている。それと比べると、メディナ期の啓示の文体はひどく散文的で凡俗な啓示である、とされている。メディナ期の啓示は、当時の人たちから、「ムハンマドの詐欺的な創作」であると酷評された[27]

メディナ期の啓示における自己認証について

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初期のメッカ時代の啓示に比べると、メディナ時代の啓示には、大きな特徴がある。その特徴とは、啓示の中で、「この啓示は神の言葉である」と、神が、繰り返して主張しているところにある。また、メディナ時代の啓示は、神によってムハンマドの口から発せられた神の言葉を、「キターブ(啓典)」であると繰り返し主張している[24]

また、メディナ期においては、すべての啓示が、ジブリエール(天使ガブリエル)によって、ムハンマドに伝達されているものである、と啓示されている。そのうえで、「この啓示は全能の神よりの啓示である」という啓示が、ジブリエールによって繰り返し主張されている[28][注 16]

ムハンマドの当時、時が経つにつれ、クルアーンは、矛盾に満ちた啓示の節をしだいに増やしてきた。それは、以前に啓示した神の言葉を、クルアーンが、後になって否定する機会が増えたためである。そこで、イスラームに敵意を抱く人々は、「神の言葉であるはずのクルアーンが前後矛盾するのは奇妙である」という見解を表明するようになったされる。また、ムスリムの中にも、そうした疑惑の言葉に心を迷わせ、信仰に疑問を抱き始める者があったとされる[31]。また、「迷いの心が深まり、やがて疑問を抱くようになった者は、信仰を捨てるようになってしまう。迷うことは、背信に至る行為をするものである」と神は啓示している、「だから、矛盾があっても、神の言葉に疑問を抱くな」と神は啓示している。(2章108節)その反面、同じメディナ時代に下されている啓示の中には、「神以外の存在から啓示が出ている場合、その啓示には、いろいろと矛盾が見つかるはずである」という啓示もある。神以外のものから出ている啓示とは、例えば悪魔などが、神のふりをして啓示をしていることも、考えられるとされている[32]

実際のところ、メッカ初期とメディナ後期の啓示を比べた場合、神の言葉なのに矛盾している、と思われる箇所が少なからずある。この事態に対しては、矛盾している啓示の片方を破棄するという方法を取らず、それらをそのまま受け止めるという方法も考えられる。それは、「神以外の存在から啓示が出ている場合、その啓示には、いろいろと矛盾が見つかるはずである(4章84節)」という啓示によって、矛盾を受け止める方法である。この場合、矛盾した啓示の箇所については、神以外の者から出ている啓示であると見ることもできるという視点に立つことになる[注 17]

神以外の者から出ている言葉を、神の言葉として啓示している例が、ムスハフの中には記録されている。それは、ジブリエールが、彼の個人的意見を啓示していると解釈できる句のことである。ムスハフの9章28節において、彼は、このように彼の願望を神の言葉として、語っている。「いっそ、彼ら(ユダヤ人やキリスト教徒)を、アッラーが、一気加勢にうち殺してしまえばいいのに・・・・」という願望を、彼は神の啓示として語っている。そのほかにも、「・・・多分アッラーが養ってくださるであろう」という部分もある[注 18]

この例に見られるように、啓示に紛れ込んでいる神以外の存在、というのは、仮定の話ではないと言える。啓示に紛れ込んでいる神以外の存在がある、という風に考えることが出来るならば、これまで、絶対的聖典とされてきたムスハフを、イスラーム教徒においても、新たな視座から眺めることが出来るようだ。そうした、神ではない存在を、聖典の中からリストアップして見ると、10種類ほどの霊的存在が数えられる。それらは、ジブリエール(ガブリエル)、シャイターン、ジン、偶像たち、邪神、悪魔、ハールートとマールート(元天使)、ターグート(古アラビアの鬼神)、ジプト(古アラビアの鬼神)、悪霊、などである[注 19]

信者が、神に対して疑問を抱くことは、背信行為である、という主張をベースとして、啓示の主は、その前後に、「信者の心は簡単に読める」という啓示をするということをしている。それは、「わたしは神だから、お前の心が読めるのだ」という誘導をしていったようだ。信者は、神によって心を見抜かれてしまうので、疑問を抱くことや反論ができなくなってしまいます。イスラーム教では、最終的には、見えない霊的存在に対して、矛盾を抱えたままの絶対帰依という教義が確立されていくことになった[注 20]

また、12章ユーセフの話の中では、「こんなに古い昔の出来事を語ることが出来るのは、クルアーンの啓示が神の啓示の証拠である」という証明が神によって、用いられている[34]。しかし、これはさほど確たる自己認証ではないと言える。こうした詰めの甘い自己認証が啓示されるということは、この啓示の時には、すでに絶対帰依の体制が出来上がってきていたということを示しているようだ。

ナザレのイエスとナスフとの関係

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メディナ時代のキリスト教に関する神による啓示は、矛盾に満ちたものであったと言える。そのため、ムスハフの説くイエスの教えにも、キリスト教に関する啓示と同様に矛盾があるのではないか、という疑問が生まれてくる。しかし、ムスハフにおいて、ナザレのイエスは、一人の人間であり、預言者の中の一人として記されている。これは、現代における高等批評と、立場が似通っていると見ることが出来る。キリスト教的に解釈されたイエスの姿を、「イエス・キリスト」とし、人間としてのイエス本人を「ナザレのイエス」として見た場合、ムスハフに記されたイエスと呼ばれる預言者とは、人間のようです。ですから、彼はナザレのイエスのようだとすることが出来る。そして、ウスマーン版ムスハフにおいては、ナザレのイエスに対する矛盾の類のものは見当たらないといえる。

57章27節において、神は、「イエスを預言者として召し出し、福音を授け、これに従う人々には、慈悲の心とやさしい気もちとを置いた」、ということを言っている。この言葉については、慈悲の心がイエスの教えと行動の原点であったと言うことと解釈できる。(5章50)(5章116)(3章2)(5章19)(5章69)イエスの本質は、神から発する御言葉(神的ロゴスの意)であるとされる。ナザレのイエスは、現世にても天にても高き誉を受けている。ナザレのイエスは神のお傍近き座に存在している、と解釈されている [35]

イエスの存在は、イスラーム教とキリスト教の二つの世界観における大きな共通項であるとする見解がある[36]。元々のナザレのイエスの教えは、ばらばらに編集されているクルアーンの最初期の教えとは、大きな共通項であるとも言えるようだ。

こうしたことから、初期のメッカの啓示を、メディナ期の啓示によってナスフするという行為は、モーセやイエスの教えをも破棄することにつながっていると見ることが出来る。そのことは逆に、モーセやイエスの教えは、これまで破棄されてきたメッカ初期の啓示を補完するものになる可能性があると見ることが出来るようである。

ムハンマドは、ヒジュラの「女の誓い」の中で、信者に対して、盗みや殺人をしてはならないと語っていた。その当時ムハンマドは、「あなたは殺してはならない」というモーセの教えを遵守していたようだ。それはムハンマドがメディナに行く前の話である。しかし、メディナに移住したあと、ムハンマドは18か月の間に、7回の略奪行為に及んだとされる[37]。ムハンマドがモーセの戒めを破り、略奪行為に及んだのは、神の啓示に従って決行したのではなく、彼らがユダヤ教徒からの金銭的な援助が貰えなくなったことから、自分で考えて決断したことであるとされる。ムハンマドは、メディナに移住した信者の生活の糧を潤すために、殺人と強盗の罪に手を染めたことになる。ムハンマドたちがはじめて略奪に成功したとき、一名の死亡者が出たとされる。その後、そのことに関する神の啓示としては、迫害は殺人よりも罪が重い、という句が下されたとされる。神によるこの啓示は、ムハンマドがクライシュ族の一人を殺害したことよりも、以前クライシュ族がムハンマドたちを迫害したことの方が罪が重いということであった。この啓示は、「敵の平安を祈れ」や、「迫害されても耐え忍べ」という啓示とは矛盾した啓示である。また、モーセの教えは、「殺人してはならない」「盗みをしてはならない」ということであるので、この時の神の啓示は、モーセの教えとも矛盾していると見ることが出来る[38][注 21]

「先行する(神の)啓示の民」という概念を、「先に顕現されてきた(神の)啓示に基づく教え」[39]と考えた場合、ナザレのイエスの教えと(最初の方の)ムハンマドの教えは、同じ平和の教えであったとする見解がある[注 22]

メディナ期における神の自己主張の実際

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メディナ期に入ると、神は啓示の中で多くの自己認証をすることとなった。神は、「わたしが神であることに、疑いを抱く者やわたしに敵対する者は地獄に行く」とくりかえし説いている。「私を信じて、敵と戦って死ぬものは、天国に行くでしょう。あなたがたは奴隷です。神に帰依しなさい、疑ってはならない」と説いている。信者は、啓示を記録することで、多くの矛盾や、歴史的な間違いを記すこととなったが、神は無謬であるとの観点から、その後の歴史において、好意的な解釈学が発展している。そうしたものの一つに「挑戦」ということがある。

「挑戦」と言われている自己認証とは、神が、不信仰者に「一章でもいいからすぐれた詩を作って、私たちの前に持って来てみよ」と投げかけた啓示を指している。「誰も作れないだろう、だから、ムハンマドの啓示は神からのものであることが証明されたのだ」、と神が主張しているので、挑戦と呼ばれている[40]。 しかし、メディナ期の啓示の神は、平凡な散文の詩作しか啓示していない。よく見るとこの言葉は、メディナ期の啓示の神が、メッカ初期の威厳に満ちた章を、自己主張の切り札にしているだけと見ることが出来る。

メッカ初期において、神は、サジウ形式の荘厳なる詩文で啓示をしていた。神は、自分が神であることも主張してはいなかった。そのことから考えられることは、メディナ時代において、神が、自らの啓示において自己主張を必要としないためには、メッカ初期のサジウ形式の詩文によって啓示をする必要があると考えられる。メッカ初期のサジウ形式の詩文よって、神が、「神は啓示を破棄するときがある」と、荘厳な詩文で啓示を下したときに、誰もが疑うことのない神の証明が成立するようだ。

それを狙ってかどうかは不明であるが、メディナ期の散文の啓示の主が、メッカ初期の神的な啓示をまねて詩を作ったと思われる章があるとされる(第110章)。しかしそれは、訳者によれば、明らかな違いのある一般的な作品であるとされている。また、訳者によれば、アラビア語を解する人にしか正確な評価はわからない詩文もあるという。それは、一見、最初期の啓示のように見えるけれど、実は、表面的な形を整えただけ、という啓示があるとされる(第109章)[41]

メディナ期に啓示された神の自己認証とは、メッカ初期の啓示の神聖さを利用して、見えない存在が、「自分は神である」と自己主張したものであるようだ。その当時、神や天使のことを、啓示の時に見ることのできる人は、いなかった[注 23]

我ら(アッラー)にしてみれば、奇跡を見せろというのならば、いくらでもしるし(奇跡)をムハンマドにやらせることは簡単だ。しかし、今回は、あえて奇跡を起こさないことにした、という啓示がある。なぜかというと、一旦奇跡を見せた場合、それを信じない者には罰を与えなければならないからだ。アラビア人は滅ぼしたくない、という理由が述べられている[42]

ムハンマドの知られたくない心の秘密を暴いて、神は彼をおそれさせた、という章句がある。(33章51)霊の姿が見えないムハンマドには、それを信じるしかなかった。

神は、啓示の中で、ムハンマド夫婦の秘事をあばいて、「ムハンマドの思っていることは、全部知られている」ということや[43]、神は、ムハンマドに「自分の欲望を節制してはならない」と命じる啓示を下した[注 24]。また神は、「ムハンマドの行動を制限しようとする妻を、わたしは地獄に落とす」ということや、「私は、そんな妻とは離婚させるだろう。代わりの良い娘はいる」、と神は啓示されている[44]

宗教的には、神の真実の啓示には、永遠性があり、矛盾や歴史的な過ちはないと見られている。しかし、神は、メッカ初期の啓示と、メディナ期の啓示には大きな矛盾を付与したとされた[注 25]。矛盾した啓示が並立しているムスハフを、全体として真理として受け入れることが、イスラーム教の信者が、神に絶対帰依する前提となっている。そして、矛盾を有する絶対的聖典を否定することはできない。しかし、解釈次第では、彼らは、矛盾している神の啓示のどちらか一方を破棄することが赦されているようだ[注 26]

最初期の啓示について

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ウスマーン版ムスハフは、20年以上にわたって下されたとされる神の啓示を、時代ごと・章ごとに区分けしておらず、節単位で混ざった状態にしてある。ムスハフは、編纂者による編集時の特殊な編集方針の結果、同一章の中にも、しばしば違った年代層に属する単語が幾重にも織り込まれ入り混じっている事実があるとする訳者もいる[45]。そのため、啓示全体の中から、最初期の啓示がどこにあるかについて見る場合、それを研究した人にしか把握できないという状況にある[46]

ムハンマドは、610年に最初の啓示を受けたとされる。その後の4年間、彼は、身近な人々に教えを説いていた。そのため、その時の彼には、反対者や迫害者はいなかったとされる。そこから見えてくることは、最初期の啓示については、反対者や迫害者について言及している句が神の啓示に含まれていないという特徴があると言うことである[47]。最初期の啓示は、研究者による一説では以下の部分にあるとされる。

96章1~8節、74章1~7節、106章すべて、90章1~11節、93章すべて、86章1~10節、80章1~32節(23節はのぞく)、87章1~9節、87章14節以下すべて、84章1~12節、88章17~20節、51章1~6節、52章(部分的)[47]

世界観・人間観の矛盾とナスフ

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テキストという「言葉」を解釈するという行為は、それを解釈する人の内面の在り方によって、与えられた一つの文が大きく変化するとされている。無理をすれば正反対の意味や勝手な意味にも、彼らは解釈できるのである[48]。それに加えて、イスラームの場合、神の啓示そのものの中に、「この宗教の啓示には矛盾が含まれている」という言葉が下されている[注 27]ので、神の言葉の解釈による人間の生活の「混乱」は、より深刻なものになっていると見ることができる。

また、「神以外の存在から啓示が出ている場合、その啓示には、いろいろな矛盾が見つかるはずである」(4章84節)、という啓示は、以下の啓示とは正反対の位置にあることがわかる。それは、「(この宗教の)神の啓示には、矛盾があるときがある」という言葉である[注 28][注 29]

イスラーム世界の大きな矛盾の一つに、イスラム教とキリスト教とは同じ一神教を掲げている、兄弟ともいえる間柄であるのにもかかわらず、敵同士の関係になっている、という点がある。この矛盾点が生じた原因に関してみるならば、「神以外の存在から、啓示が出ている場合、矛盾が生じる」ということが原因であると見ることができる。

イエスの存在は、イスラーム教とキリスト教という二つの世界観における、大きな共通項であるとする見解がある[36]。ムスハフによれば、歴史的な存在としてのナザレのイエスは人類の教師としての存在であるとしている。そのナザレのイエスの本質的な教えと、ムハンマドに下されたクルアーンの初期の教えとの間には、矛盾は見当たらないと見ることができる。そのため、ムスハフの本来の教えは慈悲の教えであるという見解に矛盾はないと見ることができる。

ムスハフにおいて、イエスの本質は、神から発する言葉(神的なロゴスの意)であるとされる。歴史的存在としてのナザレのイエスは、現世にても天の世にても神の高き誉を受けている。イエスの存在は、神の存在のすぐ近くに存在している、と解釈されている [35]

57章27節において、神は、「イエスを預言者として召し出し、福音を授け、これに従う人々には、慈悲の心とやさしい気もちとを置いた」、ということを言っている。これは、神の啓示がキリスト教と対立するようになってからの啓示である。このことは、キリスト教によって変化する前の歴史的存在としてのイエスの教えは、ムスハフの説く教えと同じであったということを示している。また、ムスハフの中において神は、キリスト教の説く三位一体説は、人間であるイエスを神としているので、これは誤りであるとしている[49]

その意味からすると、人間であったイエスを神の息子としての神の子であるとすることや三位一体の教説を主張している四福音書は、重大な誤りを含んでいるといえる。それは宣教のための物語である、とみなすことができる。キリスト教徒にとって四福音書は神の啓示によるもの、とされている。しかしそれらは、ナスフという観点からすると、イエスの言行の記録を人の手による物語に変えている、という点で、イスラームにおけるハデースと似たような位置にあると言える[注 30]。四福音書にはそれぞれに記述の食い違いがあるという点を、イスラームにおけるナスフによって言い換えると、それは、「啓典の歪曲」に当てはまるようだ。特に、ある同じ文書を見て作られたとされる共観福音書については、自分たちの宗派に合った伝承に、彼らの作者の手が加えられた物語であると言える。「啓典の歪曲」が多くみられる新約聖書は、神がイエスに下した啓示をそのまま記した言行録ではないといえる。共観福音書の作者は、神がイエスに下した啓示を歪曲して、自分たちの宗派に合った宣教物語を作成したと言えるようである[注 31]

歴史的存在であり、人類の教師としてのイエスの教えは、クルアーンの最初期の教えとは、大きな共通項であると言えるようだ。さらに、ムハンマド・イエス・ブッダは慈悲の教えを説いたとする見解がある[50][51][注 32]

「神以外の存在」から啓示が出ている場合、その啓示を見た信者は、いろいろな矛盾に遭遇してしまうことになる(4章84節)、という啓示がある。この啓示の見解に従えば、矛盾の見出せる啓示は、神以外の存在から出ているものであると判断できることになる。それにより、矛盾についての弁解を含んだ啓示は、神以外の存在から出ているということができる。また、真の神の存在から出ている本来の教えは、矛盾の無い、慈悲の教えであるとする見解も成り立っていると見ることができる。

ムスハフにおいて、最初期の教えとは、真正の神の教えであると言える[52]。しかし、その啓示が、真の神の啓示と見なされる「初期の啓示」であるかどうか、その判断基準は難しいといえる。この状況の中において、最初期の教えとは、「慈悲の教え」に矛盾しないもの、また、「他との調和をはかる教え」でもあるという見解が成立していると見ることができる。そして、これと対立している見解とは、イスラームは「慈悲の教えであるとともに、それと矛盾した啓示も同時に存在する」、とする見解である。矛盾を含んだ教えとは、他の存在に対して、これを敵と味方に分け、神の敵は剣をもってこれを見つけ次第殺さなくてはならない、とする見解である。

女性観について

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ムスハフの神の啓示では、人間の女性観について、「女性とは信頼すべき存在である」とする見解から、「女性とは男性より劣り、蔑視するべきである」という見解までが、幅広く語られている。神は、あるときは「女性とは、信頼できるものである」という女性信頼の心が強く現れた啓示をしている。また、神は、男女には差別がない、という方針を、啓示する場合もある。しかしあるときは、それとは逆に、神は、女性を蔑視するときがある。神は、「女性の価値とは、見た目が美しく処女であることだけである」という啓示を下しているときがある。この場合、神は、女性を社会に出さないようにする、という方針を啓示しているということになる。

最初期の教えの特徴としては、女性と男性とを同等に扱っていたということが言える。イスラーム教形成の時を見ると、重要な要点の一つに、男性は自立していなくてよかったけれど、女性は自立したキャリアウーマンでなければならなかった、という点がある。

ムハンマドの妻であったハディージャは、社会的に自立していたところの、ビジネスウーマンであった[53]。 彼女は、精神面・教養面においても、ムハンマドに欠けていた宗教的知見を補うことによって、神の導きを確かにしたと言える。神は、「神は、迷っていた汝を導いてくださったではないか。神は、貧しかった汝を見つけて裕福にしてくださったではないか」(93章7)という啓示を下している。妻の立場は、啓示を見る限り、地上で召し出された神の使い、と言ったところであった。ここを見ると、女性蔑視とは正反対の、女性信頼の心が、神には大きく顕現している。神の、最初期の啓示では、男女の差別なく、能力のある者を導き手として登用していたといえる。

メッカ期において、ムハンマドの妻は一人であった。

メッカ後期から、メディナ期の啓示には、はっきりとした女性蔑視の思想が含まれている啓示がある(17章42節)[54]。無理強いしない限り、奴隷妻に売春をさせても良いとする啓示もある。(24章33節)奴隷妻というのは、敵を征服したとき分捕った女性を奴隷にし[55]、奴隷と妻の働きと役目をさせるものである。

メディナ期になると、預言者の妻は家でどっしりと構えているようにという啓示が下された。また、男性については、養うことが出来る財力がある人にかぎり4人まで妻をもってもよろしい、という啓示もある。それを合わせて考えると、イスラームにおいて、女は社会に出て働いてはならない、という解釈が生まれてくる。

メディナ期には、ムハンマドの敵は人間扱いされてはいなかった。敵は見つけ次第殺せ、という啓示がある。その殺した敵の妻や娘が、奴隷妻となる(33章49)。奴隷妻は「右手の持ち物」と啓示されている。敵の持ち物を手に入れた、というニュアンスがある。神は、メディナ期において、敵方の女性を人間とは見ていなかったと思われる。信者の妻の数は4人までとなってはいたが、そのほかに奴隷妻は何人でも持っても良いと啓示されている。

戦いで死んだ兵士は、天国に行くと、男性は地上での妻のほかに何人かの天国の処女妻を持てるが、女性の方は、それらの処女妻たちとは関係ない、古い顔見知りというだけの、処女になれない妻の一人になるようだ[注 33]

人間の平等について

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ムスハフの神の啓示では、「人類は一つ」という見解がある。また、「(人類は一つではない。)人類には、地獄に落とすために作られた多くの人間もいる」、そのため、「そういう敵は殺した方がいい」とする見解まで幅広く、神は啓示している。

ごく初期の啓示では、天地創造神のもとで、人間の平等という理念に基づいて啓示による導きがあったとされている。人間はすべて神によって創造された同胞であるとする見解を基盤としている[56]

「人類は一つである。」という概念を啓示している句もある。この句は、「敵味方」という相対的な見方を越えている。それは、「もともと人類は、ただ一つの民族であったのが、後にばらばらに分裂した」(10章20)という句である。この句は、ムスハフ全体から全く孤立している位置にあるとされている[57]。この啓示は、かつて一つであった人類が、いくつもの民族となり、いろいろな宗教を持つようになってしまった前に、神は、「人類は一つである」という啓示を下していたと解釈できる。この啓示は、もともと、人類全体は啓典の民であるという意味に解釈できる。

メッカ初期には、神による啓示の対象は、実存的な一人の人間であった。人間社会の奴隷制度の中の奴隷の身分というものは出てこなかった[注 34]

メディナ時代には、神は、人間の平等と正反対の啓示を下した。それは、「神が、地獄の火を燃やすために作ったタイプの人間が、人間の中には、たくさんいる」(7章179節)、という啓示である。この啓示によると、神は、救済するために作った人間と、地獄の火を燃やすために作った人間の、二種類を存在させたことになる[注 35]

メディナ期において「信者は皆兄弟である」という啓示が下された。しかしこれは、人類の平等というものではなく、いわば神との契約上の平等を意味している。それは、イスラームの神の前にて結ばれた相互契約によって、権利・義務の面で完全に信者は平等であるということである、とされる[58][注 36]

ムハンマドはメッカ時代の4年目ころに、カアバを取り囲む偶像崇拝の何ケ所かを襲撃して偶像崇拝の集団を壊滅し、殺害したとされている。それは、「悪魔の節」を否認した後の出来事である。「悪魔の節」のあとに、「神は唯一神である」という啓示が下された。そのあとに、ムハンマドは、偶像崇拝の集団を襲撃した[59]

倫理観について

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ムスハフの神の啓示では、神は、慈悲・利他の生き方をせよという啓示から、敵に対する、殺人、強奪、捕虜の虐待や売買をせよという啓示まで、幅広い倫理について語られている。

初期の教えの根本的な特徴としては、神が、人間個人と倫理的な関係を結ぶことにあったとされている[60]。倫理という点からムスハフを見た場合、初期の啓示はイエス、ブッダと同じ、慈悲の教えにあらわれている利他の生き方であると見ることができる[注 37][注 38]

初期の啓示では、クルアーン87章、84章、74章に見られるように、倫理観については、あまり触れられていない。最初期の啓示の中には、「あなたは金もうけ主義の人にはなるな、そんなことをしていると地獄に落ちるぞ」と言われていた。また、「あなたは、利己的な人にはなるな、そういう人は、地獄に落ちるぞ」と啓示されていた。そういう風に、利己的な生き方ではいけないということが言われていた。そうした警告が、変化していって「神の怒り」ということで唯一神教的な倫理観が姿を現すのは、初期と言われる期間が過ぎてからであるとされている。

一方、メディナ期に多く見られる特徴としては、自己の損得を行動の中心に据えた、ギブアンドテイクの教えであると見ることができる。[61][62]。そして、人は皆、最後の審判まで、それぞれの魂を、神のお手元に担保として差し出しているとされる。それは、魂を、神に取られていることでもあるとされる。また、神が、「戦えば、最後の審判で天国で処女妻を持てるぞ」と啓示したことも、自分の現世で得た稼ぎ高だけきっちりと払っていただくのだという取引関係につながってくる。

メディナ期において、信者は、まず第一に預言者と倫理的な関係を結ぶように変化したとされる。そして、この預言者との契約を通じて、それによってはじめて信者は、神との契約に入るという構造に変化したとされる[63]

預言者が神の代理人のように変化したことにより、ムハンマドの心の動きが、そのまま信者の心の動きに影響を与えるようになっていった[注 39]

111章1~5節にある、アブー・ジャファルに対する呪いの句は、メッカ期の啓示の一つであるとされている。しかし、この句は神的な啓示とは異なり、ののしりの句であり、アラビア語のリズムから判断すると、たたみかけるような不吉な印象を与える句であるとされている[64]。この句は、神の啓示の中に混じった、不吉な存在による啓示の一例であると見ることができる。倫理的にみるならば、この句そのものが、神の倫理に反していると見ることができる。あらゆる被造物に慈悲をかけることが神の義務であるとされるならば、呪いではなく、正当なる「神の怒り」の審判が警告されるべき状況であるためである。

戦闘に対する規定については、「無抵抗」から、「敵を見つけ次第殺せ」までの幅がある。

神の啓示についても、以下のような、啓示の幅がある。それは、「警告によって敵を救済する」から、「断罪を無視する敵を呪う」、「警告による敵の断罪」、「戦時における敵の殺人、強奪」、「捕虜の虐待」、などになる[注 40]

「悪魔の唄」とされる事例では、神の啓示の最中に、悪魔によってムハンマドの舌に言葉が投げ込まれたと解釈されている部分がある。これは、神による啓示が行われている最中であっても、トランス状態になったムハンマドを悪魔が操ることは可能であるということを示していると見ることができる。この場合、ムハンマドには、神と悪霊を選択できる自由はないようだ[注 41]

自宗との関わり

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ムスハフの神の啓示では、神の名のもとに、同じイスラーム教徒同志は喧嘩をしてはいけない、とする啓示がある。「信者は皆兄弟である。もし信者同士が二派に分かれて喧嘩を始めたら、お前たちが仲裁するように」、という神の啓示がある。(49章9節)[65]。この啓示自体には矛盾はない。

正当な理由なくして人を殺してはならぬという啓示がある。(17章33節)[注 42]

「正当な理由」という言葉は、政治的な見地からの解釈によって、いろいろな理由づけが為されるようである。しかしながら、宗教的に見るならば、違う宗派どうしが、喧嘩をしてはならない、ましてや、殺してはならない、という啓示であると解釈できる。この、神の啓示に従うならば、現代では当り前のようになっている「宗派どうしの戦闘による殺人」は、絶対的にしてはならないことと言えるようである。それは、イスラーム教徒を巻き込む「無差別攻撃」も同様であるといえる。

イスラーム教徒同志が殺しあうことは、イスラームの神の心を踏みにじる行為であるといえる。中でも、宗派どうしの戦闘を認める指導者は、イスラームの「神の心を破棄する者」であるといえる。神の心を破棄する行為とは、「殺し合いの喧嘩」や、「宗派間の戦闘」、イスラーム教内部における「民族弾圧」、「イスラームを国教とする国同士の争い」等で、彼らが、相手宗派の死亡者を、出してしまうことです[注 43]

「わたしのしもべに対しては、神であるわたし自らが、彼らを守る。シャイターンの自由にできるのは、腐った反逆人間ばかりである。神であるわたしのしもべを攻撃する「腐った反逆者」は、いまに、神であるわたしが、地獄に叩き込んでやる。(15章39節)」、という言葉がある。自宗間の争いに関しての、神の啓示は一種類しかない。そのことを考えた場合、分派による戦闘を当り前のように行う政治的指導者は、「政治と宗教は一体である」という言葉を語る。しかし、それは、「ナスフ」ではなく、「腐った反逆」に近いものがあるといえる。

神の導きについて

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ムスハフの神の啓示では、神が、慈愛をもっての信者を導く「神の導き」から、神が、信者の戦闘における殺人を代りに実行する「代行」までの幅がある。

初期の啓示に現れているのは、慈愛をもっての導きと、利己的に生きてはいけないという警告くらいである。

メディナ期では、ある戦いにおいて、神は、「敵をい殺したのはムハンマドが殺したようにしか見えない。でも、実はお前ではなく、アッラーが射殺したのだ」、と啓示している(8章17節)。これは、「神による導き」というよりは、戦闘における「神による、戦闘補助」であると言える[注 44]

神の使徒について

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ムスハフの神の啓示では、預言者について、「預言者は警告者にすぎない」とする見解から、それとは対極的な、預言者をもってこれを神の代理人とするという見解までに及んでいる。神の代理人とは、聖俗一致とされるイスラームにおいては、実質的には、この世の王でもある、という立場になるとされる。また、それと関連したこととして、もはや、この世界が終わるまで、神は預言者を送らないとする、という見解がある。しかし、それとは反対に、預言者の生まれる日は、引き続き、100年に一度くらいは、やってくるという見解も、啓示されている。

天使たちと聖霊は、主のお許しを得て、すべての神命をもって聖断の夜に降臨することが啓示されている。それは、一年に一度あるとされている。また、「聖断の夜」に該当する「その、一日」は、「1000の月」に勝るところの聖なる価値があるとされている[66]。この啓示は、神が、地上に預言者を召し出すこととなったその「価値ある一日」は、「1000の月以上の歳月」に等しい聖なる価値がある、という啓示である[注 45]

最初期においては、後にアラビアの王となったムハンマドに警告するかのように、汝は一人の警告者にほかならない、アラビア人の支配者ではないのだ、というメッセージが下されている。神にとって、神の使徒とは、警告者であって、支配者ではないとされている(88章21)。その啓示の意味は、万物を作られた神の力は、生成消滅してゆく自然の営みの中に神の力は見いだせるものであり、その神の力を「教える」のがムハンマドの使命であるとされている[67][注 46][注 47]

メディナ期の啓示で、多神教徒はただ不浄のみ(9章28節)と見なす啓示は、清浄にはなれないから、彼らには、警告者を送っても意味はないということを示している。また、およそ預言者たるものは、敵を十分殺しつくした後でないと、捕虜など取るものではない、という啓示からは、神の敵である多神教徒には、警告が必要でないことを示している。また、神が、彼らを生かしておく価値はない、ということを示している。

モーセやイエスの時代と、メッカ時代のムハンマドの時代における、「預言者」としての位置は、同じような位置にあったといえる。しかし、メディナ期になると、信徒に対する彼の命令は、ほとんど神の命令と同等の権威をもつようになった。信者が、彼の言いつけに背くことは、神に背くことであるとされた。そのように、メディナ期においてムハンマドの地位は、異常に高くなったとされている。

ムハンマドが支配者の地位に近づくにつれて、神は、今後預言者は出さない、ムハンマドが「最後の使徒である」、という啓示が下された[注 48]

罪について

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ムスハフの神の啓示では、「罪」というものに関して、2種類の見解が語られている。一つには、神は、人間一人ひとりの罪を、個人の罪とする啓示を下している。もう一つには、神は、一家の長が地獄に行くと、その家族も自動的に地獄に行くとする、いわば家族単位の罪を罪とする啓示を下している。また、妻や子供の、どこまでを家族の一員とするのかについては、明確ではない。

初期の啓示では、己の罪悪性を自覚した「主体としての人間」が、神の呼びかけに対して、自分がどう決断し、どう応えてゆくか、ということが問題とされていた。そこでは、個人個人の罪が、個人としての人間の「宗教的実存」の在り方に直接つながっていた[68]

メディナ期では罪の対象は家族単位で考えられていたようだ。父である一家の長が地獄に行くと、その家族も自動的に地獄に行くようだ。

神は、信者であろうと、自分とその家族が地獄に投げ込まれないように注意せよとしている。(66章6節)[注 49]

孤児について

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ムスハフの神の啓示では、メッカ初期も、メディナ期においても、孤児や寡婦に親切にしろ、という神の啓示は同じである。ただし、啓示されている言葉は同じであっても、孤児を取り巻く現実の生活に矛盾が生じる場合がある[注 50]

メディナ時代には、孤児を大切にせよという啓示がある一方、イスラームは、多神教徒との戦いで、敵を殺すことにより、多くの戦災孤児を奴隷として輩出したようだ。

奴隷は主人の所有物である(16章75節)、とされているところから、両親を戦いで失った子供の奴隷は、主人の所有物となったようだ[注 51]

メッカ時代、彼の妻は一人であった。

メディナ時代では、ムハンマドの妻は、12人ほどいて、その中には、寡婦もいた。そのほかに、奴隷妻も何人かいたとされる。「アッラーが戦利品として授けたもうた奴隷女」というのは、戦いで夫を殺された敵方の男性の妻だった人である。

メディナ期の啓示においては、妻や奴隷は男性の持ち物と見なす場合がある[注 52]

女子教育について

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ムスハフの神の啓示では、女子に教育は必要不可欠であるとする見解から、女子は議論をしてもしどろもどろになるだけの智慧の無い存在であるとする、女子教育不必要の見解まで、幅広く啓示している。

イスラームの形成期においては、神は、女子を尊重し、女子教育は不可欠な要素であった。

イスラームの形成期においては、男性である預言者にとっては、社会的・宗教的に、教育を受けている必要はなかった、という状況にあった。智慧持つ人間を創った神は(96章)、当初、女性であるからと言って、智慧を授けないということはなかったようである。孤児であったムハンマドを導き、望んでいた女性との結婚ではなく、ハディージャという未亡人との結婚を通して、財政的にも、知的にも豊かになるように導いた[69]。ハディージャの例を見るならば、女子においては、社会的・宗教的に他を導くことができる程度の教養というものが不可欠の要素であった。神の導きのためには、教養ある女性が必要であり、女性教育は不可欠であるとする意味の啓示が下されている。また逆に、ムハンマドは、結婚前には、教育とは縁遠い境遇にあったようなので、教養や地位もない人間として生活していた。年上の未亡人であったハディージャは、ムハンマドの人柄の良さに引かれて結婚を申し込んだとされる[注 53]

メディナ期になると、女性全般を智慧の無いものとする啓示が下された。また、預言者の妻は家にいなさい、という啓示が下された。そして、男性は、妻を4人まで持つことができるようになった。女性を養うことのできない男性は結婚できないという啓示が下された。このことは、家にいるだけの女子に、わざわざ教養をつける必要はない。そのことにお金をかけなくてもいい。もう一人妻を持てるだけの財力があれば結婚できる、幼い子供でも、正式な妻になれば、支度金がもらえる、ということにつながっている。ムハンマドの例をあげれば、6歳の女子と婚約をし、その女子を9歳のときに妻にした。このことは、女子教育にお金をかけることよりも、未亡人になるまえに、財力のある男性に嫁がせた方が価値がある、ということを示している。また、一般の男性信者にしてみれば、財力が少し余るようであれば、そのお金で、妻をもう一人養った方がパラダイスに近い、という考えにつながっている[注 54]

女子とされるのは、信者の女子のみを指している[注 55]

死生観について

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死生観については、人間は死ぬと、魂になって、天国や地獄を意味する「来世」に行く、という見解から、人間は死ぬと、魂になることには変わりはないが、神はその魂を「担保」にとっておくようだ。そして、家長となる男性にこだわり、最後の審判ののち、男性は肉体を持って復活し、家族単位で天国か地獄に行く、とする見解までの幅がある。

ムスハフ解釈本において、「最後の審判」、「終わりの時」、「終末の日」、「最後の時」と言うように、さまざまに訳されている語は、「真実の時」と訳されるとされる。「真実の時」の概念は、初期のメッセージの中核にあったとされている[70]

クルアーンが朗誦されたときに、それを聞いた者のズィクル(喚起)と一体となった姿で、「終わりの時」というものが説かれていたとされる。クルアーンの朗誦は、聞き手が「真実の時」を生きるように、神の前の審判に直面させる現象が生まれるとされている[71][注 56]

最初に下されたという啓示(74章1-7節)には、「終末の日が来る」という最後の審判の句が、編纂の段階で、編集者によって、結びつけられて、一つの章となっているとされる[72]。そのため、最後の審判の概念が現れてくるのは、最初期を過ぎた後からであるといえる。

魂について
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ムスハフの啓示においては、魂について否定してはいない。魂があるという啓示には、矛盾はないといえる。

86章4には、人間が魂を持つことが記されており、指導の天使がついているとされている。

39章42節には、「人が死ぬとき、その魂はみなアッラーのみもとに召されてゆく。

死後魂はバルザフという墓のような場所にいると考えられている[73]。17章14節には、人間の首に運命が結びつけられていて、復活の日になると、一人ひとりが開いた帳簿を突き付けられ、自分が自分の決算をつける日となるとされている[注 57]

神が最初期の啓示で警告したのは、利己的な生活態度を続けていると、必ずや、死んで魂となった場合に、真実の時がやってくるということであった。(92章5-11)(104章1-4)(74章1-7)[74]

死後、魂が天で一層一層と渡り歩く、という描写は、それが仮に、肉体による復活であったとしても、肉体とは分離した霊的存在(魂)となって渡り歩くと見ることができる。

天国について
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ムスハフの神の啓示では、初期では、死んだ後に行くあの世は、この世よりもはるかに良いところだという見解から、敵との戦いを発端として、最後の審判の後、戦士の安息所としての、処女妻のたくさんいるきわめて享楽的な天国にいけるという見解まで、幅広い見解が語られている。

初期の啓示(84章)においては、死んで、(あの世に行ったと思われる)魂が天で一層一層と渡り歩く姿が描かれている[75]。この世よりも上の世界であるから、そこは天国であると解釈することができる。

最初期の啓示の中には、利己的な人々は地獄に落ちるぞ、とする啓示があるので、利己的な生き方では、来世において、この世よりも良いところにいけないぞ、ということが言われていたといえる。

そうした警告が変化していって「神の怒り」ということで一神教的な倫理観が姿を現わし、敵と戦う戦士は、「戦死しても天国に行ける」という唯一神教になっていくのは、メディナ期になってからであるとされている。天国にいくと、安楽な場所に家族とともに過ごせるとされている。そして、処女妻が家族に加わることで、家族の人数もたくさん増えるようだ。

地獄について
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ムスハフの啓示では、利己的なことをしていると、地獄に行くという因果の法則を示唆するような啓示から、シャイターンに惑わされるような腐った大勢の奴らは、地獄に落としてやる、という絶対的唯一神教における神の啓示までの幅広い見解が語られている。

初期では、利己的なことをしていると、地獄に行くぞということが言われている[注 58]

メディナ期では、地獄に対する描写については、変わりはないけれども、ほとんどの人は救われない、ということが言われている。地獄に落とすために作られた人がいるとされている。それに加えて、地獄を救われない人間で満杯にするのは、神の意志である、ともされている[注 59]。偶像崇拝者との戦いにおいて、戦いから逃げる者や、理由をつけて戦いに出ないものを非難している。そうした人は地獄に行くようだ。

終わりの時(真実の時)について
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真実の時については、次の三つのことが言われている。一つ目は、人間が生きているうちは、クルアーンが朗誦されたときに、聞き手が「真実の時」を生きるように、神の前の審判に直面させる現象が生まれるとされている[71]。二つ目は、人間が死んだ場合のことである。それは、死んでから、しばらくしてあの世に行き、過去を振り返る人生の振り返り(決算)の時を迎えるというものである(17章14節)。三つめは、この世が終わる「最後の審判の日」が、真実の時を意味しているとするものである。それは、遠い未来のその時まで眠っていた魂が、元の肉体として甦えさせられる時であるとされている[注 60]。そのように、終わりの時(真実の時)については、現在から、遠い未来までの幅があるとされる。

聞き手が「真実の時」を生きることは、クルアーンの朗誦によって可能であるとされる。イスラーム教徒が、人生を終えた後の「最後の審判」を想起し、信仰生活を深めてゆく行為は、「物事をよく反省する」と言い換えることができるようだ。

39章42節には、「人が死ぬとき、その魂はみなアッラーのみもとに召されてゆく。まだ死なぬ場合も眠っている間は(アッラーのみもとに行っている)。死の宣告を受けた(魂)は、そのまま引き止め、その他の者(睡眠の間だけみもとにある魂)は、定めの時が来るまで、また、還しておやりになる。物事をよく反省する人々の眼から見れば、これこそ、れっきとした神兆ではないか、とある[注 61]。最後の審判を待たなくても、人は、魂として存在し続けていると見ることができる。そのため、イスラーム教徒は、クルアーンが朗誦されたときに、現在という時間を介して、魂の次元に直結する、ということのようである。

初期には、84章にあるように、人間は、死ぬとすぐあの世に行き、生前の生き方を因として、楽土か苦土を渡り歩き、自分の所業にあった世界へと旅立つと見ることができる[75]。ここでは、肉体が復活したときに行われるとされる「最後の審判」については明言されていない。ここを見ると、今現在、地獄に落ちている人がいるようなので、人間は、死んでからしばらくして、あの世に行くことになるようだ。そして、決算の時を迎えるようになるようだ。

17章14節には、人間の首に運命が結びつけられていて、復活の日になると、一人ひとりが開いた帳簿を突き付けられ、自分が自分の決算をつける日となるとされている[注 62]

最初期における啓示は、金もうけ主義の利己的な人々に対して発せられた。それは、こうした生き方を続けていると、必ずや終末の時が来る、という神の警告であった[76]。初期には、こうした警告によって、道を誤った人々を救済したいという慈悲の心(利他の心)が原則にあったと言える。

その啓示の句が、「初期以外の啓示」であるかどうかの判断基準として、「迫害してくる敵」が想定されているかどうか、という視点を、判断の基準とする見方がある。それと同様のことが、「終わりの時」についても、言えるようである。「慈悲の教え」に到達していない、「神の取引のようなもの」に類するものは、神ならざる者の啓示である、とすることができる。

メディナ期等では、人間は死んでも、終末の日が来れば、再び肉体を持ったままで生き返らされ、裁きを受けるという啓示に変化した[77][注 63]

17章50節には、骨になり、ばらばらのかけらになろうが、石だろうが、鉄になろうが、今の肉体として、必ず生き返るとされていて、最後の審判における、肉体による復活について述べられている[注 64]

死後、神の審判を受けて、善行者は天国に、罪人は地獄にそれぞれ送られてゆくという概念は、ムハンマドがキリスト教の宗教概念を詳しく知るようになってから、取り入れられたとする見解もある[78][注 65]

神の属性について

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論理的な観点からすると、絶対者としての神の属性としては、慈悲・真理・善・調和等の具現、だまして支配しない、啓示に矛盾がないなどがあげられるようだ。 [注 66]

真(真理)について
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宇宙観について、ムスハフの神の啓示では、現代的な宇宙観に通用する超越的な宇宙観から、平らな大地とその上をまわる天動説の宇宙観までの、幅のある見解が、真正なる神の直言の真理として啓示されている。

また、神の存在について、ムスハフでは、二種類の姿が啓示されている。一つには、神は、「超越的・遍在的な人格神」としての姿であるとしている。これは、現代の宇宙論にも通用する姿であるといえる。もう一つは、神は、人間の上空にあって、全ての存在を支配している「高み座に座している人格神」であるとしている。そのどちらも、ムスハフでは、慈悲の神の姿として啓示されている[注 67]

初期の啓示では、神が天地の(ひいては宇宙の)創造主であることを顕していて(8章17-20)、かつ内在的(遍在的)でもあることが啓示されている[67]

「創造主」という語が遍在性を有することとは異なり、「支配者」という語は、遍在性に欠けているといえる。「支配者」を象徴するものは、「高み座」という、勝ち負けに関わる相対的な玉座の位置を確保する、ということのようだ。ムスハフの21章21節には、「玉座の主、アッラーは高みにいます」、とされている。また、20章5節について、アッラーは全存在を支配しているのになぜここでは高み座と限定されているのか、ということに疑問を持つ見解もある。[注 68]

「高み座」の存在と関係あると思われる啓示に、53章5節の句がある。「彼にそれを教えたのは、恐るべき力の持ち主」、と啓示されている[注 69]

「座して全存在を支配している」と主張している「恐るべき力の持ち主」については、イザヤ書にもその存在のことが書かれている[79][注 70]

宇宙観について

初期の啓示では、神の創造により万物がつくられ、眼前の自然の営みの中に神の力が見られるとされている。めぐりゆく自然の姿も神の創造の力であるとされている[67]

また、地球環境を整え、人間が生活できるように保っているのは神の慈悲心のあらわれであるとされている[注 71]

メディナ期では、神は、天動説の天地しか創っていないことになっている。

大空をもって、がっしりと止まった屋根とし、その中を太陽が回っている。大地はたいらであり、それが揺れないように山塊を据えてある、としている[80]。大地は平らであり、その上を太陽や月が交互に泳いでいるとされる。上部に貼りつけてある光る星の上に神の世界があるとしている。その上空にある支配者の御座から、神は、「お前たちに信仰してもらわずとも、お前たちに用はない」(39章9節)、という立場から、信者に対して慈悲を施しているようだ。

善について
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善については、神に対する自由意志による信仰が善であるとする見解から、奴隷のように絶対服従をするのが善であるとする見解までの幅がある。

ムスハフの神の啓示では、善いことをしているならば、来世はもっと良いものになるとする神の慈悲の福音的見解から、宗教そのものが、ギブアンドテイクを原則とする取引関係、商売のようなものであるとする見解まで、幅広く啓示されている[注 72]

また、取引ではない善いことの推奨としては、利他の心による調和の心が説かれている[注 73]

最初期の啓示の中には、金もうけ主義の利己的な人々にはなるな、地獄に落ちるぞ、とする啓示があるので、利己的な生き方では、来世において、この世よりも良いところにいけないぞ、ということが言われていた。

メディナ期になると,最後の審判についての啓示は、ギブアンドテイクを原則とする取引関係、商売と表現されることが多くなっている[注 74]。そのため、人間にとっての善とは、良い奴隷として、良い取引関係を維持することや、支配者(主)に絶対服従することであるとされている。

取引関係と関係があると思われることとして、メディナ期においては、人は皆、最後の審判まで、それぞれの魂を、神のお手元に担保として差し出していると啓示されている[81][注 75]

美(調和)について
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最後の審判以後の概念ついては、あらゆる階層を含めた、永遠の向上(一極化)というものから、永遠の停滞(二極化)ということまでの幅がある[注 76]

84章19節には、永遠の時を魂が一層一層と渡り歩くということが記されている。初期の啓示には、最後の審判の概念がないとされるので、天国と地獄を区分けすることなく、魂が一層一層と渡り歩く(あがったりさがったりする)と見ることができる[注 77]

最後の審判以後の、「永遠の停滞」と言い換えることのできる世界については、天国では、新たな肉体を持って、不老不死となった人が、終わりのない享楽の世界を生きることになるようだ。逆に、永遠に地獄の世界に住むことになった人は、皮膚がすっかり焼けてしまったならば、何遍でも新しいのと取り換えるぞ、ということが啓示されている(4章55節)。再び丸焼けにするために新たな皮膚に戻すということは、不調和な行いと言えるかもしれない。[注 78]

宗教行事について

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イスラームの宗教行事に関しては、モーセやイエスの時代から伝承されてきた行事が取り入れられている行事と、多神教徒の時代における偶像崇拝の行事を取り入れている行事とがある[82]

初期の啓示には、「定めの夜(神の威力の夜)」に関してのものがある。「定めの夜」は、ラマダーン月の中の一夜であるとされる[注 79][注 80]モーセ・イエスの時代から伝承されてきた「聖なる顕現時」における「聖なる40日」という概念が、ラダマーンの行事の中に取り入れられている、と見ることができる[注 81]

メディナ時代の啓示では、メッカには、その内部に、数々の明白な御しるしがある、としている。イブラヒームの御立ちどころの石や、カアバの黒石などは、神によって認められた聖石であるとされている(3章、97節)[83][注 82]

神の啓示によって、イスラームは「神のお宿」を二つまでその祭祀形式の中心に据えたままにした、という結果となった[注 83]

上記の啓示とは、正反対ともいえる啓示がムスハフの中にはある。それは、「神は、ムハンマド以前に、多くの民族に使徒をつかわした。しかし、そのたびに、シャイターンが、伝統的な行為(具体的には偶像崇拝の多神教)を立派なものであるかのように見せかけた。今日でも、彼がそういう者どもの保護者になっている(16章63節)」、という啓示である[84][注 84]

メディナ時代になると、神は、この二つの聖石信仰のほかに、多神教時代の偶像崇拝の行事を、いくつか黙認するようになったようだ。

カアバは正式にはナバテア人の神であるフバルにささげられたものであるとされる[85]。フバル像を主神とする神殿の祭祀は、人身御供の儀式を行う偶像崇拝を神事として執り行ってきた伝統を守ってきたものと思われる[注 85]

脚注

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注釈

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  1. ^ ムスハフには、前後相矛盾する句がいくつか含まれている。[1]
  2. ^ 真理とされるものや、神の言葉とされる書物を扱う宗教において、真理は不変のものである、というのが通常である。もし仮に、開祖から時代を隔てた時点にいる信者が、よりよく変わりたいと考えた場合、それは、初期の教えに還れ、とか、原点に還れと言った方針のもとに行われるのが一般的であると言える。異教徒にとってナスフという言葉が耳慣れない感じがするのは、初期の真理や神の言葉を取り消したり破棄したりする、という概念が理解できないためである。なぜなら、最初期に説かれたことを教えの原点とするならば、ナスフするという行為は、原点を破棄するといった意味合いがあるためである。
  3. ^ 神の真理の啓示の訂正という形で、ムスハフにナスフが出てくる箇所があるとする見解もある。それは53章19節に関係したところで、「これらは高貴な鶴たちで、それらのとりなしは認められる」という言葉であるとされる。この箇所についての意見として、タバリーは、この啓示はシャイターン(誘惑者)によって言わされたものだと主張している[3][4]。「啓示の訂正」を通して、神は特定の預言者に啓典を授けようとしているとき、それを変えることができるという重要な原則がここで確立されたとされている[5]。これがナスフのはじまりと考えることも出来るようだ。
  4. ^ 結果的に見るとそのことは、カアバ時代の初期に下された厳粛で神の権威に満ちた啓示をはじめ、それ以前に下されたモーセイエスの教えをも、取り消すことがあると言うことを示している。
  5. ^ こののち千年以上もキリスト教との敵対視がされたままであるところを考えると、この句にある矛盾は、かなり歴史的に大きな矛盾であるといえる。57章27節において、神は、イエスを立てて福音を授け、これに従う人々には、慈悲の心とやさしい気もちとを置いた、ということを言っている。この言葉は、慈悲の心がイエスの教えと行動の原点であったと言うことと解釈できる。しかし、この評価も、イスラーム教徒に対するキリスト教徒の批判を受けるに及ぶとともに、正反対に逆転した。キリスト教徒が批判的になったその原因としては、キリスト教に対する神の啓示の不明確さと矛盾が、キリスト教徒に知られてしまったからであった。
  6. ^ モーセの「律法の書」、ダビデの「詩編」はイエスの「福音の書」によって取り消され、イエスの「福音の書」は、「クルアーン」によって取り消されたとされている。[7]
  7. ^ 当時、ムハンマドの住んでいた地域のキリスト教は、異端とされるものであったようであり、ユダヤ教は部外者に聖典を見せることはないので、タナハではなく、旧約聖書を指していたようである。
  8. ^ バビロン捕囚を契機として、タナハが書き直された。そのときに、モーセは他との協調を図りながら一神教を信仰してきた、という信仰の在り方が否定された。そして、他の神々を認めない絶対的一神教が、ユダヤ教の教義として確立された、という見解もある。(出典『一神教の誕生』講談社現代新書加藤隆著P72)
  9. ^ イエスの死後、様々な宗派と多くの福音書が残されていたが、それを四福音書しか残らないようにしたのは、現行のキリスト教であるという見方がある。こちらの説の方が、歴史的であるとされている。
  10. ^ 異教徒にとって、現代における発達した「ナスフ」やその他の概念とその内容は、難解な法律用語と同じく、専門的過ぎて、ほとんど理解できない事態となっている。
  11. ^ 5人目以降の妻を持つ場合にはウラマーに申し出て正当な理由であることを証明するファトワーを発行してもらう必要があるとされる。異教徒から見ると、その国の事情が、神の言葉と制限を変えていると言える。また、その時代にあわせて神の言葉を解釈するという行為自体が、宗教よりも政治を重視している態度であると見ることが出来る。この例のように、為政者の都合に合わせて、神の言葉に反する大がかりな解釈によって、法学者は、シャリーアを用いている場合があると見ることが出来る。
  12. ^ このことは、アラブの領土についても、言えるかもしれない。神は、イスラエルの民に、すぐれた居住地を備えてやった(今の領土の所有権がある)との啓示がある(10章93節)からである。また、ムスハフ(7章137節)には、海を渡るまえのところの東西にわたって、これをイスラエルに継がせたとある。10章93節により、東に該当するのはイスラエルであるとすると、エジプトからパレスチナに至るまで、神は、イスラエルの民にこれらの土地の所有権を与えたということになる。(井筒俊彦訳の「コーラン」が解りやすく訳されている。)
  13. ^ およそ予言者たるものは、地上の敵を思う存分殺戮した後でなければ、捕虜など作るべきではない(8章 67節)、ともされている。
  14. ^ ナザレのイエスは、「わたしに負債のあるものをわたしが赦しましたように、わたしの負債を赦してください」、「平和をつくりだす者は幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」と言ったとされる。これらは、初期の啓示である「敵の平和を祈り行動せよ」というイスラームの最初期の教えに近いように思われる。
  15. ^ 神の重要な属性としては、慈悲・真・善・約束を守る・矛盾しない、などがあるとされる。(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店1991年 P88)
  16. ^ メディナ期の啓示は、自分は天使ガブリエルであると主張する見えない霊的存在が、語っていると解釈されている。彼は、自分が語っている言葉は神から伝達された言葉なのだ、と主張することによって、信者からの絶対的帰依を確立した、と解釈することが出来る。その、信者による絶対的な帰依は、神のみにとどまらず、啓示を担当していた見えない霊的存在にまで及んだ。「ジブリエールに敵する者は神の敵。」[29]、「ムハンマドが語ったクルアーンを信仰しないということは、その人は、ジブリエールに敵対する人である」と、ジブリエールは伝達した。更にまた「ムハンマドが語ったクルアーンを信仰しないという人は、神に敵対する人であることになる」という啓示もある。[30]
  17. ^ 別の見方をすると、それらの矛盾は、すべて、記録した人間の間違いから生じている可能性もある、とする見方も成り立つと言える。しかし現状を見ると、そう見るには、矛盾は広範囲にわたりすぎているので、人間が原因ではないと見ることが出来る。
  18. ^ そのように、よく見ると、ジブリエールが、自分の願望や予測を述べた部分には、神の言葉以外を伝達していると判断できる箇所がある。これは、従来「悪魔の詩」とされている啓示についても、同様に考えることが出来る。
  19. ^ これらの存在は、いずれも、カアバ神殿などで活動してきた存在と見ることが出来る。ムハンマドの場合、何年も啓示が降りてこないので、啓示を待ち望んでいた時期もあったとされる。またあるときなどは、ムハンマドがトランス状態になっても神の啓示が降りてこないときもあったとされている。そういうときは、ムハンマドの心が空き家状態になっているので、ムハンマドにとってそれは大変危険なことだとされている。ムハンマドの自己意識が喪失されているときは、どんな霊魂でも、ムハンマドにコンタクトは可能なようであり、場合によっては、その時の心境に応じた低級霊に心を乗っ取られるときもあるとされている[33]。たとえば、ムハンマドが礼拝を邪魔されて、それまで我慢しておとなしくしていたのに、突然ひどく怒りだしたときや、アブー・ジャファルに対する呪いの気持ちをムハンマドが抱えていた時などはそうした時であると言えます。邪神や悪魔と同じ波長を彼の心が発していると、彼はそれらのものに乗っ取られるとする見解もある。ムスハフに記された、いろいろなタイプの啓示については、ウスマーン版ムスハフ(冊子本)を参照。
  20. ^ 霊の姿が見えないムハンマドは、「お前は今、こんなことを考えているだろう」、「神様にはすべてお見通しだ」、「疑うことは背信行為である」という啓示を受けた場合、ムハンマドはその真偽を確かめるすべを持たなかった。ムハンマドは、絶対帰依の態度で、それを受け入れた。こうした誘導行為は、悪霊を神として祀る宗教や、神による啓示宗教にはありがちなことであるとする見解がある。(出典『心の指針』高橋信次著 三宝出版1974年 P85)
  21. ^ また、「いっそ、彼ら(ユダヤ人やキリスト教徒)を、アッラーが、一気にうち殺してしまえばいいのに・・・・」と、ムスハフの中で、ジブリエールは言ったようです。このジブリエールの言葉も、モーセやイエスの教えとは、大きく矛盾していると見ることが出来る
  22. ^ 平和のために剣を使って敵と戦うことによって生じた甚だしい自己矛盾が、神の理とその啓示から、ムハンマドを遠ざけてしまった、という見解である。(出典『心眼を開く』高橋信次著 三宝出版 1974年P142)
  23. ^ メディナ期の散文的な啓示の主は、メッカ初期の啓示のすぐれた詩文をまねても、普通の作品しかできなかった。その点から見ると、逆の証明が為されているということもできる。「挑戦」と呼ばれている神の判定基準に従えば、「メッカ初期の啓示の主と、挑戦に失敗したメディナ期の啓示の主は、同一の存在ではないと証明されている」、という見方が成立するといえる。
  24. ^ 自分の欲望を節制しないように命じるというのは、メディナ期に特有の倫理である。
  25. ^ 神の重要な属性としては、慈悲・真・善・約束を守る・矛盾しない、などがあるとされる。(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店1991年 P88)
  26. ^ 絶対的真理を説く絶対的人格神に、同一の共同体が、絶対帰依をしているのが、イスラーム教であると言える。そうではあるが、異教徒から見てイスラーム教の本質がどういう宗教なのかよく把握できない、という状況にある。イスラーム教がバラバラに見える原因の一つが「ナスフ」であると見ることもできる。
  27. ^ 「我々(アッラー)は、ある一つの節を取り消したり、または忘れさせたりすることがある。その理由としては、それよりも良いものか同等の啓示を、信者に与えるためである。(2章 106節)」という啓示である
  28. ^ 神の重要な属性としては、慈悲・真・善・約束を守る・啓示に矛盾がない、などがあるとされる。(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店1991年 P88)
  29. ^ 17章73節には、神ならざる存在は、ムハンマドを誘惑して、もう一つ別の啓示を捏造させることが可能である、ということが記されている。
  30. ^ イエスを歴史的な存在と見る高等批評では、四福音書の成立の前には、Q文書とされるイエスの言行録の存在があったと言われています。そこでは、イエスは教師等であるとされています。そこでは彼は、三位一体の神とはされていない。また、これまでキリスト教では、異端とされる書物の判定基準に、三位一体の教説にかなったものであるかどうかということが論ぜられてきました。そのことを考えると、これまで歴史の中で、異端として退けられたイエスの言行録の中には、歪曲される前の歴史的なイエスの教えを伝承してきたものがある、と見ることもできます。ムスハフによれば、イエスの言葉をシンプルに記してきたものについて、これを「啓典」と取り扱うことができるといえます。それらの一つとして、「ナグ・ハマディ文書」が該当し、中でも、「闘技者トマスの書」や、「トマスによる福音書」、「マリア福音書」などがあります。それらは、歪曲されていないと思われる「啓典」の条件に当てはまるといえます。
  31. ^ 「新約聖書」を歴史的文書として翻訳したとされる『新約聖書(岩波書店)』において、作成者によって歪曲される前のイエスの教えとされるものは、三つほどあります。その一つは、「主の祈り」とされる部分です。また、その一つは「イエスの終末観」とされる部分です。またその一つは、「絶対的唯一」の神ではなく、「一としてある」神とされている部分です。イスラーム的には、神がイエスに与えた啓示は、聖書の正典・異端を問わず、イエスの言行録をシンプルに記した書物に埋もれている、と見ることができる。
  32. ^ ブッダの教えとは、仏教が二つに分かれる以前の初期仏教とされるものである。初期の経典によれば、ブッダは宇宙の根源にダルマというものがあると説いている。「ダルマ」は、人格的な意志を持つ存在としての面を持つ宇宙神の如きものとされている。そうした経典が初期仏教には残されている。また、宇宙は生まれたり消滅したりを繰り返すと説かれたところからは、消滅期があるという点において、「この宇宙には終わりの時がある」という見方をしていたことがうかがえる。こうした例を見ると、クルアーンの最初期の教えと、ブッダの教えとは、共通している部分が多く存在するとする見方ができる。(出典『仏弟子の告白 テーラガーター』 中村元 岩波書店1982年 P252注303)
  33. ^ 女性についての細かな説明はされていないところから考えると、神が、「戦えば、最後の審判で天国で処女妻を持てるぞ」と言って、男性兵士の士気を鼓舞したようだ。そのために、神の審判を利用したという見方もできる。
  34. ^ 初期の啓示には、「迫害されても耐え忍べ」ということや、敵の平安を祈れということが言われている。ムスハフの中には、奴隷が信者になって、身受けされ、自由人となったという話はあるけれども、初期の神の啓示に「奴隷」の身分を示す言葉は出てきていないようである。
  35. ^ メディナ時代には、多神教徒は見つけ次第殺せ、ということが言われている。また、早くユダヤ教徒やキリスト教徒をアッラーが滅ぼしてくれればいいのに、という神の言葉にまぜて示されたジブリエールの意見も記録されている。
  36. ^ この契約上では奴隷の立場は明確ではないようである。しかし、関連したこととして、啓示の中には、「奴隷妻」という言葉が、何ケ所かに出てきている。アラブの伝統的な慣習として、戦いに負けた部族の男性は殺され、残った女子供は奴隷となる、ということがある。このように見ていくと、奴隷というものについて、神の啓示は、旧来のアラブの伝統をそのまま踏襲するように変化していったようである。また、神にとって、 多神教徒等の「神の敵」とされる人々は、悪に属するところの、いわば「落伍してしまった、救いのない者」と見なされている。
  37. ^ 神の重要な属性としては、慈悲・真・善・約束を守る・矛盾しない、などがあるとされている。(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店1991年 P88)
  38. ^ 一般に「宗教」というと、すべての物事に関して、聖なる次元と俗なる次元とに、はっきりと二分されている。これは、イエスの教えに関しても、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」ということで、聖なる次元と世俗的な次元の区分けがされている。(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P39)
  39. ^ それは、聖俗一致の宗教において、宗教が商売取引のようなものになっていったのと関係があるかもしれない。
  40. ^ 例えばムハンマドが最初に強盗を成功させたときに一人死亡者が出たときに、神は、「迫害は殺人よりも罪が重い」(2章、214節)という啓示を下した。これは、「他人の命までは奪わないが、他人を迫害する」と、「迫害せずに殺してしまうこと」を比べた場合、神は、「迫害せずに殺してしまうことの方が罪が軽い」と啓示している。しかし、モーセへの場合について見ると、神は、「あなたは迫害してはならない」という啓示ではなく、「あなたは殺してはならない」という啓示を下したとされている。この言葉は、部族の人間に限定されたもので、異邦人や敵に対しては適用されなかった、という説もある。しかし、モーセが殺人の罪で苦しんだのは、外国人を殺害したことでした。また、モーセの妻も外国人であり、妻を人間として扱っていたと思われます。そのことから考えると、神は、モーセの時代に、「あなたは殺してはならない」という言葉を、広く人間一般をさして啓示された、といえる。こうした矛盾を「神ならざる者」による啓示に原因があると見た場合、その背後には、ムハンマドが神ならざる者の啓示を受けるようになってしまった、ということが考えられる。
  41. ^ 出典『一冊でわかるコーラン』マイケル・クック著大川玲子訳 岩波書店 2005年 P168)そのことは、次のようなケースも想定されてくる。それは、信者が確信をもって、「わたしは神の啓示を受け取っているのだ」とする状況であっても、その啓示が神以外のものからくる惑わしであるかもしれない、ということである。
  42. ^ この場合の「人」とは、イスラーム教徒のみである。イスラーム教徒同士の正当な理由のある殺人とは、殺人を犯した者の死刑執行等があげられるようだ。その場合には、いわゆる目には目、歯には歯が規定となり、自由人には自由人、奴隷には奴隷、女には女、等一人に対して同格の者一人である(2章178節)。それは、従来多神教徒がしていた、こちらが一人殺されたら、相手の部族の百人を殺す、というやり方を否定したものであるとされる(出典『コーラン 上』井筒俊彦著 岩波書店 1957年 P43)
  43. ^ しかし、歴史的には、ムハンマドの死後、しばらくした時点で、すでに、宗派分裂による過激な闘争が発生する状況となった。ハディースには、信者同士で戦闘を行った場合、戦いを仕掛けたほうはもとより、逃げずに戦った方も、地獄に落ちるということが言われている。
  44. ^ 神の導きには、神の導きと、神ならざる者の導き(誘惑)とがあるとされている。神ならざる存在が、ムハンマドを誘惑して、もう一つ別の啓示を捏造させることが可能であるということが啓示されている。(17章73節)
  45. ^ ここでは、預言者の出現の間隔は、100年に一人くらいの割合で、めぐりくるということが読み取れるといえる。
  46. ^ この警告は、ムハンマドがイスラーム教徒を導くことに対して啓示された。しかし、それのみではなく、多神教徒という敵に対しても、ムハンマドは警告者である、という意味が含まれているようだ。初期の啓示では、多神教徒という敵に対しても、平安を祈れということを、神は、啓示されていた。
  47. ^ ヒラー山にて、内的啓示を受けたとき、ムハンマドは、それがアラブに昔から言い伝えられるジンと呼ばれる霊的存在であると思った。妻は、妻のいとこに相談をした。「かつてモーセを訪れた偉大な神が到来したのだ」と、いとこは、ムハンマドに語ったと言われます。( 出典『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P45)。その後、ムハンマドが「ヒラー山」に登るたびに「ムハンマドよ、あなたは神の使徒である」という、神の、啓示があったとされる。ムハンマドには、その神が、「モーセを訪れた偉大な神」であるかどうかは判らなかった。けれども、神によって、モーセに連なる預言者の一人としての自覚を促されている、という認識はあったようだ。その状況を考えた場合、「預言者の打ち止めとされる使徒」の心境とは程遠い状況であったと言える。歴史的に見るならば、預言者とは、混乱した社会を慈悲の神の教えに立ち返らせるためにおくってくるものであるから、混乱した世の中が続く限り、預言者の必要は無くならないものであると言える。
  48. ^ この啓示により、人間の歴史とともに流れている神の導きと、預言者の存在そのものが、「預言者による神の導きはもうない」と否定される結果となり、今日に至っている
  49. ^ アブー・ジャファルに対する呪いの句では、その妻が、地獄において、「火を燃やすためのまきを運ぶ」という労働をさせられる、という啓示がある。彼女が、どういう罪を償うために、地獄で働くことになったのかについては、はっきりしない。家族単位で地獄に落ちるという解釈が成り立つようだ。
  50. ^ イスラーム信者の孤児には親切にするが、一方で、戦闘によって、人間社会に多数の孤児を作り出すこともあるためである。
  51. ^ 戦いで敵の男を殺すと、寡婦と孤児はたくさん出るが、寡婦は女奴隷に、孤児は奴隷にする。裏切り者と判定されたユダヤ教徒の男を皆殺しにした戦いがあった。このときの子供の奴隷は、少し前までは、「啓典の民」における子供であった。
  52. ^ 神がムハンマドに許したのは、正式に「金」を払った妻、(金を払わなければ妻とは呼べない)、また、アッラーが戦利品として授けたもうた奴隷女(33章49節)、とされている。ムハンマドの奴隷妻は、ムハンマドに愛されていたが、夜を一緒に過ごす妻のローテーションの中に入れなかったようだ。そのため、ムハンマドは、12人ほどいた「正式な妻たち」とトラブルになった。 (出典『コーラン 下』井筒俊彦著 岩波書店1958年 P210)
  53. ^ 結婚前のイスラームの男性は、謙遜という美徳を、身につけておく必要があるようだ。
  54. ^ アイーシャの場合を見ると、女性の価値は、本人の中身よりも、その属している家庭環境が男性にとって、社会的に益となるかどうかということに尽きていたようである。女性は教養もなく、何もできない子供であっても、処女であるということが女性における最大の価値であるように扱われている。
  55. ^ 神がムハンマドに許したのは、正式に金を払った妻、(金を払わなければ妻とは呼べない) )アッラーが戦利品として授けたもうた奴隷女(33章49節)、とある。当時、奴隷妻と正式な妻の間には、大きな区別があったようである。ムハンマドが夜眠る妻の場所はローテーションが組んであって、奴隷妻はその中に入っていなかったとされる。 コーラン下 井筒P210の注
  56. ^ それは、実存的な死生観として、時間・空間を超えた魂の状況のようにも思えてくる。ナザレのイエスにおいても、天国や地獄という概念のほかに、実存的にとらえることが可能な「神の王国」ということを説いたとされている。「神の王国は、あなたがたのただ中にあるのだ」と語ったとされるが、「神の王国」という思想は、イエスの宣教でも、中核的内容をなすものであるとされる。(出典 『新約聖書』 新約聖書委員会 岩波書店 補注用語解説P12)。 また、初期仏教においても、文字に書かれる前は「ブッダの説いた言葉」を声に出して唱えることで、ある種の実存的な状況になったとされている。
  57. ^ 肉体の蘇りを待たずとも、魂としての存在はすでに機能しているが、眠っているだけだ、とも見ることができる。その場合、因果の法則も機能していると見ることができる。
  58. ^ 地獄の窯の中で苦しむ、という描写は、初期仏教の中にもある。
  59. ^ 必ずやわしは、お前にかどわかされた者ども全部で、地獄を一杯にしてくれよう。(38章84節)
  60. ^ 最後の審判の概念では、人は、復活の日まで、眠ったような状態になっていて、遠くの昔に肉体が消失したとしても、原子としての肉体をまとって初めて人格として復活するとしている。
  61. ^ 物事をよく反省する人々は、クルアーンの朗誦の中で、神の前にいる自分の姿を想起し、日々の己の生き方を顧みなさい、ということのようである。「真実の時」を生きるということに関して、イエスは、ルカ福音書17章20節において、次のように語ったとされている。「神の王国は、観察しうるような様で到来することはない。・・・神の王国は、あなたたちの現実のただ中にあるのだ」(出典『新約聖書』新約聖書委員会 岩波書店 2004年 P266 )。イエスに付き従っていた人々の現実のただ中に神の王国があるということは、個々の魂が集まった共同体が現在に顕現した神とつながっている、ということのようだ。イエスの教えの中には、「物事をよく反省する」ということは説かれていないが、イエスの教えにならって生きようとする祈りの生活の中に、自らを振り返るという行為が伴ってくると見ることができる。 初期仏教において、ブッダの言葉を朗誦によって伝えてゆくということが為されていた。朗誦によって、より高次の世界に通じるというものであった。(要出典)反省ということに関しては、八正道のなかにおける正見がそれに該当するようだ。
  62. ^ ここでは、復活の日が、神様しか知らない遠い未来のことであるか、人間が死んでしばらくしてからであるかについては、はっきりしていない。 ヨハネによる福音書において、イエスは、光を愛する人は光へ、闇を愛する人は闇へといくのが裁きである、と語ったとされている(出典 ヨハネによる福音書3章19節)。 最後の審判の思想は、旧約聖書の預言者イザヤの時代に現れてきたとされる。そこでは、未来に神の裁きがなされる時、悪人どもは滅ぼされ、弱いものや虐げられてきたものは、滅ぼされず、残されるとされる。そして、残った者によって、「新しい世界」が完成されるとされている。(出典『《生命》の倫理ー構造倫理講座Ⅲ』中村元 春秋社2005年P12) また、人は生前の行いによって、天国や地獄に霊体として復活する、という初期仏教の教えもある(出典『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P250 第1篇第3章第9節の注 中村元)。 初期仏教において、この世を去って、死後の魂の住む世界に生まれた男は、神の子と呼ばれ、女は、神の娘と呼ばれた(出典『ブッダ 神々との対話』中村元 岩波書店 1986年P292の注)。 また、偽善的な悪人ではあるが、見た目だけは、姿かたちが天使のような人は、あの世に行き人生の振り返りが終わると、姿かたちが悪鬼のように変化する現象は、裁きの時のようにも見えるとする見解もある(出典『真創世記 地獄篇』高橋佳子 祥伝社 1977年 P32)
  63. ^ 初期仏教では、人間の死後の姿について、この世で死んで、次の世界に生まれ変わるとされている。神々の世界(楽土)に生まれ変わる(復活のようなもの)か、地獄に生まれ変わる(復活のようなもの)かは、その人の生前の行いであるとされている。(出典『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P250 第1篇第3章第9節の注 中村元) また、復活ということに関して、涅槃経の中には、臨終近くのブッダにとっては、寿命によって肉体が滅びた後でも、弟子の要請があれば、この世にとどまって、引き続き弟子を指導することができる、と記されている。これは、ブッダが、神々の世界(楽土)に生まれ変わる代わりに、この世に霊体として生まれ変わる(復活する)ことができることを述べたものと見ることができる。(大般涅槃経) 日本で諸行無常を感ずる場面において、メディナ時代の啓示では、世の中は滅びても、肉体的人格としての「自己」は契約によって永遠に滅びない、と感じるようだ。世は滅びても、肉体だけは今のままのような姿で、復活し、不老不死になる、という見解である。
  64. ^ 例えば過去に罪を犯した人が、死ぬ間際に心を入れ替えたとした場合、肉体は、罪を犯した時点での肉体が蘇るのか、死ぬ間際の肉体が蘇るのかについては、はっきりしない。遺伝子は同じでも、地球上の物質を取り込んで構成されている肉体は、瞬間瞬間異なっていると見ることができる。
  65. ^ 肉体の復活について言及するのは、「敵」を地獄に落とす啓示が下されるようになってからともいえる。「神ならざる者」が「神」を語る宗教には、ある企てがあるとされる。それは、死んだすぐ後に、魂があの世に行って、この世よりもいい世界で生きている、ということがわからないようにする必要がある、ということである。人間の魂は死ぬとしばらくして、霊的な体として生まれることや、その魂の生前の心境に応じた世界で暮らすためにいくつかの世界があることがことが知られてしまうと、人間を惑わすことがむつかしくなる。そのため、真実がわからないように、肉体の自分にこだわるように仕組んでいるとする見解がある(出典『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経 猟師経 前書きP366 春秋社2004年 中村元監修 羽矢辰夫訳)(出典『心眼を開く』 高橋信次 三宝出版 1974年 P28)最後の審判や、肉体を持った蘇りというのは、真実の神にたどり着いた信者を惑わす、昔からある魔の手法である、という見方もできるようだ。
  66. ^ 神の重要な属性としては、慈悲・真・善・約束を守る・啓示に矛盾がない、などがあるとされる(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店1991年 P88)
  67. ^ 四福音書のイエスの言行には「人間を育む慈悲の神」は出てきているが、「唯一の神」は出てきていない。唯の字をはぶいた「一なる神」という概念を、ユダヤ教の聖書を引用するときに使ったとされている。(出典『新約聖書』新約聖書委員会 2004年 岩波書店 P52 マルコ12章29の注11 佐藤研訳)史的イエスの考察にとって重要と思われる『闘技者トマスの書』や、『トマス福音書』に出てくる神は、この、「一なる神」や、あるいは、ブッダの説いた「人格的な面を持つ神(ダルマ)」に近いようだ。全宇宙の神として観た場合、「一なる神」は、ブッダが説いた「人格的な面を持つ神(ダルマ)」というものに似ているといえる(出典『原始仏典第4巻 中部経典 Ⅲ』第100経 清らかな行いの体験ー サンガーラヴァ経 前書きP426 春秋社2005年 中村元監修 山口務訳)、(出典『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店1982年 P252注303 中村元)。 それとは異なり、「座して全存在を支配している人格神」というのは、旧約聖書のイザヤ書(14章)や、新約聖書の使徒行伝やヨハネによる黙示録に出てくる「神の座に座す唯一神」に該当するといえる。
  68. ^ それは、アッラーが何かに負けていた後に勝利することはあり得ない、とする見解である。『クルアーン入門』松山洋平 作品社 2018年P268
  69. ^ 一説には、これはジブリエールのことであるとされているが、誰のことを指しているのかは不明である。(出典『コーラン 下』井筒俊彦著 岩波書店1958年P154の注)
  70. ^ また、このイザヤ書第14章は、聖なる存在について書かれたものではなく、魔的な存在に感応して書かれたものであるとする見解がある。(出典『真創世記地獄篇』高橋佳子 祥伝社 1977年 P228)
  71. ^ (出典『マホメット』藤本勝次著 中央公論社 1971年 P12)。この点について、四福音書におけるイエスの教えでは、空の鳥の一羽一羽でさえ、神は養っていてくださる、とされている。地球環境を整えているという点では、初期の啓示とイエスの説いた思想はほぼ同じであるといえる。
  72. ^ 神の裁きが、十戒を守る、「契約」という関係から、自分の現世で得た稼ぎ高だけきっちりと払っていただく、という取引関係に近いものに啓示されている、と見ることができる。
  73. ^ 善と悪は同じではない。だが、(他人に何か悪いことをされたら)もっと善いことで(その悪を)追い払え。そうすれば、いくら不倶戴天の仇敵だとて、まめやかな友だちのようになること疑いない。(41章34節)
  74. ^ 最初期の啓示が変化していって「神の怒り」ということで一神教的な倫理観が姿を現わし、戦う敵を地獄に落とす唯一神教になっていくのは、メディナ期になってからであるとされている。メディナ期においては、信者は神の奴隷であり、絶対服従せよ、という盲目的な信仰が推奨されている(出典 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P88)。 神の義務という見地からすると、偶像崇拝者の生き残りを奴隷の身分に落とすことは、この義務に反することであると見ることができる。一般的に奴隷とは、戦いで得られた戦利品のようなものと考えられるので、この場合、戦いに勝つという非情さや、奴隷への支配欲が、神の属性に加わってくると見ることができる。
  75. ^ 担保というと、借金を返すための保証物件が思い浮かぶが、それは、地獄に行く魂に、それを売り渡すための差し押さえの紙が貼られているようなイメージが思い浮かぶようでもある。
  76. ^ それは、永遠に調和を求めるあり方と、永遠に不調和を維持してゆくあり方に分かれる、と言い換えることができる。
  77. ^ 初期仏教では、地獄に落ちた魂であっても、年月が経てば、そこから出て、明るい楽土に生まれかわることができるとされている。また、帝釈天という天の国にいる存在も、地獄に堕ちることがあるとされているので、死後の世界において、上がったり下がったりすることはあるようだ。(出典『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』春秋社 2004年 第10経の注5 P678 及川真介訳)
  78. ^ 「永遠の肉体的苦痛」というのは、不老不死よりも、さらに極端な思想であるといえる。初期仏教でも、地獄に堕ちた魂が、炎に焼かれるということが言われているが、それは、再び肉体を持って焼かれるということではない。肉体での不老不死というものは、エジプト文明をはじめとして、世の権力者が陥りやすい思想であるといえる。
  79. ^ (出典 『コーラン 下』井筒俊彦著 岩波書店 1958年 P295の注)イスラームによれば、モーセがユダヤ教として、次にイエスがキリスト教として「永遠の宗教」を二つの違った歴史的形態として実現した。しかしこれらの宗教は、そのもともとの教えとは異なった姿で保存されたとしている。(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P55)。「出エジプト記」34章28には、「モーセは神の山にいる40日間断食をした」とある。また、マタイ4章1-11節には、イエスは公生活の前に40日間荒野で断食したとされている。
  80. ^ ラマダーン月の制定以前から、ムハンマドは断食の制度を採用していたとされている。(出典「マホメット」藤本勝次著P93)
  81. ^ ヒラー山にてムハンマドが行った長期の瞑想生活と、神による直接の啓示には、深い関係があるといえる。ムハンマドの為した瞑想の期間と、モーセやイエスの40日という期間とは、宗教的に深いつながりがあるとする見方ができるようだ。その観点からすると、モーセの律法・イエスの教え・ムハンマドの啓示には、共通の聖なる宗教が流れているとする見解がある。(要出典)
  82. ^ モーセの啓示の場合、わたしの面前に他の神々があってはならない、とされているので、万有の主をあがめる場合、特定の被造物を「神のお宿」とすることは、禁じられている、と言える。「神のお宿」の伝説を有する聖石を中心に祭祀をつくることは、モーセが、十戒の刻まれた神の最初の石板をたたき割ったこととは、対照的な崇拝の仕方だと言える。
  83. ^ 宗教学的には、石を立ててこれを「神のお宿」とし、これをめぐって祭祀をつくることは、多神教の中でも最も下等な形態であるとされている。アラビアのカーヒンは、神のお宿を崇拝する聖石信仰に直属した巫者であり、その姿はおどろおどろに髪を振り乱し、狂乱の態もすざましいものであったとされる。偶像崇拝者の伝統的な宗教行事であった聖石信仰は、当時のイスラームの人々の心に、たいへん深く食いることになったとされている。(出典 『コーラン 下』井筒俊彦 岩波書店 1958年 P318 解説)
  84. ^ 新約聖書には、この世の権力と地位は、悪魔が管理していることが記されている。(マタイ福音書4章9)初期の仏教にも、この世の権力と地位は、悪魔が管理していることが記されている。(『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経 猟師経 前書きP366 春秋社2004年 中村元監修 羽矢辰夫訳)
  85. ^ 偶像崇拝者の行うハッジで最も有名な儀式は、タワーフ(カアバ神殿の周りを反時計回りに7回まわること)である。カアバ神殿において偶像崇拝者たちは、平らな台地をまわる太陽の軌道をたどって(天動説)ゆっくり駆け巡ることで、宗教的な瞑想状態に入ってゆけると考えていた。偶像崇拝者にとってタワーフは一般的な信仰行為として広く支持されており、マッカの住民たちとそこを訪問する偶像崇拝者は、一年中それを行っていたとされる。(出典『ムハンマド』カレン・アームストロング著 徳永理沙訳 国書刊行会2016年 P30)。ハッジの儀式において、隊商としての偶像崇拝者は、クライシュ族の検問を受けたのち、支払いを済ませると、ハラムに自由に詣でることが出来るようになる。ハラム近郊の道を進みながら、偶像崇拝者は儀式的な言葉をさけぶ。この行為によって彼らの信じる偶像に、その信者の到来を知らせる、という意味があるとされている。360体ほどの部族ごとに作られた偶像の中の、自分の信じる神の場所まで偶像崇拝者は到達すると、その地域の伝統とされる雨乞いの儀式を執り行う。偶像崇拝者は、サファーとマルワの二つの丘の間を、7回軽く走る。そして、偶像崇拝者は、カアバ神殿の東にあると信じられていた雷神の住みかに向かう。そこは、ムズダリファの谷と呼ばれる場所で、偶像崇拝者は、一団となってそこに向かって走ってゆくこととされている。そののち、偶像崇拝者は25キロほど離れたマッカ郊外へと向かう。目的はアラファ山の傍らにある平野で、寝ずに夜を明かすためだと言われている。そして、ミナ―の谷にある三本の柱に小石を投げつけ、巡礼の最後として、生贄を神にささげる儀式へと進む。その生贄は、雌ラクダであるとされている。(出典『ムハンマド』カレン・アームストロング著 徳永理沙訳 国書刊行会2016年 )

出典

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  2. ^ a b 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P124
  3. ^ 『マホメットの生涯』ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和夫訳 河出書房新社 2002年P117
  4. ^ 『ムハンマド』カレンアームストロング著 徳永理沙訳 国書刊行会 2016年 P71
  5. ^ 『ムハンマド』カレンアームストロング著 徳永理沙訳 国書刊行会 2016年 P72
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  7. ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P125
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  9. ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P126
  10. ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P127
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  18. ^ 『クルアーン入門』松山洋平 作品社 2018年 P1
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  84. ^ 『コーラン 中』井筒俊彦 岩波書店P82
  85. ^ 『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著小林朋則訳中央公論新社P13

参考文献

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  • 『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 松山洋平 小布施祈恵子 後藤絵美 下村佳州紀 平野貴大 法貴 遊 共著
  • 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年
  • 『コーラン 1』藤本勝次 伴康哉 池田修 訳 中央公論新社 2002年

関連項目

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