ドクター・ジョン

ドクター・ジョン
Dr. John
フランス・ビエンヌ公演(2006年7月)
基本情報
出生名 Malcolm John Rebennack Jr.
生誕 (1941-11-21) 1941年11月21日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (2019-06-06) 2019年6月6日(77歳没)
ジャンル ブルース
R&B
ジャズ
職業 ミュージシャンシンガーソングライター
担当楽器 ピアノギター
活動期間 1950年代 - 2019年
レーベル アトコ・レコード
A&Mレコード
ワーナー・ブラザース・レコード
ライノ・エンタテインメント
MCAレコード
ヴァージン・レコード
ブルーノート・レコード
429レコード
ノンサッチ・レコード
コンコード・レコード
共同作業者 ザ・バンドカーリー・サイモンジェシ・エド・デイヴィスリンゴ・スタープロフェッサー・ロングヘアジョニー・ウィンターダーティー・ダズン・ブラス・バンド
公式サイト Dr. John the Nite Tripper
ニューオーリンズのステージで演奏(2012年4月29日)

ドクター・ジョンDr. John、本名Malcolm John Rebennack Jr.、1941年11月21日 - 2019年6月6日)は、アメリカ合衆国出身のミュージシャン

10代の頃より60年以上に渡って活動した、ブルース界の重鎮として知られる。ジャズの本場ニューオーリンズを拠点に多くの足跡を残し、同地音楽文化の象徴となっている。芸名ドクター・ジョンとは、19世紀のニューオーリンズにいたブードゥー教司祭の名から。

略歴[編集]

ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。1950年代からマック・レベナックの名でギタリストとして活動を始める。しかし1961年フロリダ州のモーテルで友人のミュージシャンのロニー・バロンをかばって左手を撃たれ、薬指が不自由になりギタリストを断念[1]。これを機にオルガン、ピアノを覚える。

その後ロサンゼルスへ渡り、作曲家などの活動を経て1967年に『グリ・グリ』でデビューする。濃厚なR&Bのセンスとニューオーリンズならではのブードゥー教文化を背景にしたサイケデリックな音楽性はキワモノ的なものであったが、収録曲「アイ・ウォーク・オン・ギルデッド・スプリンターズ」は、後にハンブル・パイポール・ウェラーにカヴァーされた。1972年の『ガンボ』はニューオーリンズの古いポピュラー音楽を蘇らせた試みとして高い評価を受けた。同年には、ローリング・ストーンズメイン・ストリートのならず者』にバック・コーラスでゲスト参加。1973年の『イン・ザ・ライト・プレイス』からのシングル「ライト・プレイス・ロング・タイム」は、全米9位の成功を収め[2]、同年にはコロムビア・レコードからジョン・P・ハモンドマイク・ブルームフィールドとのコラボレーション・アルバム『三頭政治』がリリースされた[3]1976年11月25日にはザ・バンドの解散コンサートにゲスト参加し、その時の模様は、映画『ラスト・ワルツ』でも紹介された。

1979年には、プロフェッサー・ロングヘアの遺作となったアルバム『クロウフィッシュ・フィエスタ』に全面参加。ロングヘアがピアニストであるため、ここでは原点に戻りギターを弾いている。

イン・ア・センチメンタル・ムード』(1989年)収録曲「メイキン・フーピー!」は、グラミー賞の最優秀ジャズ・ボーカル・パフォーマンス賞に輝き、彼にとって初のグラミー受賞となった[2]1992年のアルバム『ゴーイン・バック・トゥ・ニューオーリンズ』は、『ガンボ』と同様ニューオーリンズの古い音楽を取り上げた作品で、同アルバムはグラミー賞の最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞を受賞[2]

1994年のアルバム『テレヴィジョン』では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズアンソニー・キーディスと共演。1998年には、ドクター・ジョンも劇中バンド「ルイジアナ・ゲーター・ボーイズ」の一員として出演した映画『ブルース・ブラザース2000』が公開された。同年リリースのアルバム『アナザー・ゾーン』には、ポール・ウェラーやスピリチュアライズドのメンバーを含む多数のイギリス人ミュージシャンが参加し、同作によって初の全英アルバムチャート入りを果たした[4]

1999年、ドクター・ジョンがゲスト参加したB.B.キングのアルバム『レット・ザ・グッド・タイムス・ロール〜ザ・ミュージック・オブ・ルイ・ジョーダン』がリリースされる。同アルバムに収録された「Is You Is or Is You Ain't My Baby?」によって、キングと共にグラミー賞の最優秀ポップ・コラボレーション・ウィズ・ボーカル賞を受賞した[5]1999年には、デューク・エリントンの楽曲を取り上げたトリビュート・アルバムデューク・エレガント-ドクター・ジョン、エリントンを歌う-』発表。

2005年、故郷ニューオーリンズがハリケーン・カトリーナにより甚大な被害を受けたのに伴い、同年11月にチャリティEP『Sippiana Hericane』をリリースした[6]2008年のアルバム『シティ・ザット・ケア・フォーガット』もカトリーナ後のニューオーリンズを題材とした作品で、第51回グラミー賞において最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞し、自身5度目のグラミー受賞となった[7]

その後も精力的に活動を続け、ニューオーリンズの音楽文化を体現する存在として尊敬を集めている。スタジオ・ミュージシャンとしても幅広く活躍し、共演者はカーリー・サイモンジェシ・エド・デイヴィスリンゴ・スタープロフェッサー・ロングヘアジョニー・ウィンターダーティー・ダズン・ブラス・バンド他多数。

2011年にはロックの殿堂入りをしている[8]

2013年の第55回グラミー賞では、アルバム『ロックト・ダウン』で最優秀ブルース・アルバム賞を受賞し、自身6度目のグラミー受賞を果たした[9]コンコード・レコードから2014年に発表されたルイ・アームストロングのトリビュート・アルバム『スピリット・オブ・サッチモ』には、ボニー・レイット等のボーカリストや、テレンス・ブランチャード等のトランペット奏者がゲスト参加した[10]

2019年6月6日、心臓発作のため77歳で死去[11]

ディスコグラフィ[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • ジョン・ワート『ニューオーリンズR&Bをつくった男 ヒューイ・“ピアノ”・スミス伝』陶守正寛訳、DU BOOKS、2022年11月

脚注[編集]

外部リンク[編集]