トルコ航空301便墜落事故

トルコ航空301便
1973年に撮影された事故機
事故の概要
日付 1974年1月26日
概要 パイロットエラー着氷による制御不能
現場 トルコの旗 トルコ イズミル
北緯38度17分21秒 東経27度09分18秒 / 北緯38.28917度 東経27.15500度 / 38.28917; 27.15500座標: 北緯38度17分21秒 東経27度09分18秒 / 北緯38.28917度 東経27.15500度 / 38.28917; 27.15500
乗客数 68
乗員数 5
負傷者数 7
死者数 66
生存者数 7
機種 フォッカー F28-1000 フェローシップ
機体名 Van
運用者 トルコの旗 トルコ航空
機体記号 TC-JAO
出発地 トルコの旗 イズミル・ジュマオバス空港
目的地 トルコの旗 イスタンブール国際空港
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トルコ航空301便墜落事故は1974年1月26日にトルコで発生した航空事故である。イズミル・ジュマオバス空港からイスタンブール国際空港へ向かっていたトルコ航空301便(フォッカーF28-1000フェローシップ)が離陸直後に墜落し、乗員乗客73人中66人が死亡した[1]

飛行の詳細[編集]

事故機[編集]

事故機のF28は、2機のロールス・ロイス RB183-2「スペイ」Mk555-15ターボファンエンジンを搭載していた。フォッカー社でのシリアルナンバーは11057で1972年9月5日に製造され、1973年1月13日に初飛行していた。総飛行時間は2,269時間で、3,133サイクルを経験していた[2][3][4]

乗員[編集]

機長は37歳の男性で、F28とF27での飛行資格があった。機長は1958年に空軍士官学校を卒業しており、F-86F-104T-34で2,600時間の飛行経験があった。1970年にトルコ空軍を退役し、トルコ航空へ入社した。1972年にF28の機長としての飛行資格を取得し、翌年にチェックパイロットとしての資格も取得した。F28では577時間の飛行経験があった[3][4]

副操縦士は36歳の男性であった。副操縦士も過去に空軍士官学校を卒業し、1973年までトルコ空軍に在籍していた。C-47C-54H-19などで2,794時間の飛行経験があり、F28では395時間の経験があった[3][4]

事故の経緯[編集]

EET7時07分[注釈 1]、パイロットは離陸準備を完了した。7時10分ごろ、301便はイズミル・ジュマオバス空港の滑走路35からの離陸滑走を開始した。約3,200フィート (980 m)地点で離陸速度に達し、機体は上昇した。しかし、高度8-10m付近で、突如機体が左にヨーイングしだし機首が下がった。301便は地面に接触し、排水溝に衝突しながら滑り落ちて炎上した[1][5]。救助隊がすぐに現場へ急行したが、激しい炎に機体は飲まれており、現場で60人の死亡が確認された。また、病院へ搬送後に6人が死亡し、最終的に乗員4人と乗客62人が死亡した。遺体の損傷は激しく、特定は困難であった[6]

当時、フォッカー F28で発生した事故の中で最悪の事故であり、トルコでは2番目に大きな航空事故であった[1]。 また、その時点でのトルコで最悪の航空事故は1963年アンカラ空中衝突事故ミドル・イースト航空265便 ビッカース 754D バイカウントトルコ空軍C-47による事故)であった[注釈 2][7]

事故調査[編集]

事故発生当初はエンジン故障が原因と報じられた[6]。調査から、301便は2,800フィート (850 m)の地点で離陸速度に達するはずだった。しかし実際には3,200フィート (980 m)滑走し、速度が124ノット (230 km/h)に達してから離陸していた。離陸後、速度は133ノット (246 km/h)まで増加したが、その後124ノット (230 km/h)まで減速して墜落した。この事から、離陸時の迎角が通常よりも大きかったと推定された。また、離陸時の気温は3℃で、湿度は97%だった。この気象条件下では主翼、及び昇降舵に着氷が生じる可能性が高く、ほぼ同じ条件下で駐機されていたF28に着氷が生じていた。また、1969年2月25日にはLTUインターナショナルのF28が似た条件下での離陸に失敗するという出来事が発生していた[5][8]。報告書では迎角が大きかったとしても、着氷が生じていなければ墜落はしなかっただろうとされた[1][3][9][10]。また、消防隊の装備が不足していたことについても指摘された[5]

事故の16年後、当時の運輸大臣であったハサン・フェルダ・ギュリーがミリエット紙の取材に対して、「パイロットが酔っていたという事実を隠蔽した」と証言した。証言によれば、機長と副操縦士の遺体からは多量のアルコールが検出されており、事故前夜から当日にかけて飲酒を行っていたと推測された[11]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ UTC5時07分
  2. ^ なお、301便の事故から二ヶ月後には、トルコ航空としては史上最悪の事故となるトルコ航空981便墜落事故がフランスで発生する。981便の墜落事故は当時としては史上最悪の航空事故となり、2018年に至っても4番目に大きい航空事故である。

出典[編集]

  1. ^ a b c d Accident description Turkish Airlines Flight 301”. Aviation Safety Network. 2020年10月14日閲覧。
  2. ^ History of TC-JAO”. planespotter.org. 2009年10月3日閲覧。
  3. ^ a b c d CRASH OF A FOKKER F28 FELLOWSHIP 1000 IN IZMIR: 66 KILLED”. Bureau of Aircraft Accidents Archives. 2020年10月14日閲覧。
  4. ^ a b c report, p. 110.
  5. ^ a b c report, p. 109.
  6. ^ a b 63 Killed in Crash of Airliner in Turkey”. ロサンゼルス・タイムズ. 2020年10月14日閲覧。
  7. ^ Turkey air safety profile”. Aviation Safety Network. 2020年10月14日閲覧。
  8. ^ Accident description LTU”. Aviation Safety Network. 2020年10月14日閲覧。
  9. ^ TC-JAO”. Air Disaster. 2009年10月3日閲覧。
  10. ^ report, pp. 114–115.
  11. ^ CHP ZİHNİYETİ, HÜRRİYET’İN BİTİŞİ VE TRAFİK KAZALARI”. Yenisoz. 2020年10月14日閲覧。

参考文献[編集]