デニス・ホッパー

デニス・ホッパー
Dennis Hopper
デニス・ホッパー Dennis Hopper
1988年撮影
生年月日 (1936-05-17) 1936年5月17日
没年月日 (2010-05-29) 2010年5月29日(74歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カンザス州ドッジシティ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
職業 俳優映画プロデューサー映画監督芸術家写真家
ジャンル 映画
活動期間 1954年 - 2010年
配偶者 ブルック・ヘイワード(1961年 - 1969年)
ミシェル・フィリップス(1970年)
ダリア・ハルプリン(1972年 - 1976年)
キャサリン・ラ・ナサ(1989年 - 1992年)
ヴィクトリア・ダフィ(1996年 - 2010年)
著名な家族 ルサンナ・ホッパー(娘)
スティーヴン・ブリル(娘婿)
主な作品
出演作品
理由なき反抗
ジャイアンツ
勇気ある追跡
イージー・ライダー
地獄の黙示録
ランブルフィッシュ
悪魔のいけにえ2
リバース・エッジ
ブルーベルベット
勝利への旅立ち
レッドロック/裏切りの銃弾
スーパーマリオ 魔界帝国の女神
トゥルー・ロマンス
スピード
ウォーターワールド
バスキア
ランド・オブ・ザ・デッド
監督作品
イージー・ライダー
カラーズ 天使の消えた街
 
受賞
カンヌ国際映画祭
新人監督賞
1969年イージー・ライダー
全米映画批評家協会賞
助演男優賞
1986年ブルーベルベット
特別賞
1969年『イージー・ライダー』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
助演男優賞
1986年勝利への旅立ち』『ブルーベルベット』
MTVムービー・アワード
悪役賞
1994年スピード
AFI賞
アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100(悪役部門第36位)
2003年『ブルーベルベット』
ゴールデンラズベリー賞
最低助演男優賞
1995年ウォーターワールド
その他の賞
備考
第49回ヴェネツィア国際映画祭 審査委員長(1992年)
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デニス・ホッパー(Dennis Hopper、1936年5月17日 - 2010年5月29日)はアメリカ俳優映画監督映画プロデューサー芸術家

来歴[編集]

家系としてはイングランド系アイルランド系、スコットランド系、ウェールズ系、オランダ系の血を引く。カンザス州ドッジシティ出身。13歳の頃、ウィリアム・シェイクスピアの演劇で複数の配役をこなしシェークスピア奨学金を得ていた。17歳でプロの劇団「ラ・ジョラ・プレイハウス」に入団し俳優としてデビューを果たした。1955年、テレビドラマ『メディック』のてんかん患者役を演じて評価されワーナー・ブラザースと契約を結んだ[1]

ジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』及び『ジャイアンツ』に出演。

1967年『白昼の幻想』でジャック・ニコルソンを脚本、ピーター・フォンダを俳優として迎え、1969年にはその2人を起用して監督・脚本・主演した『イージー・ライダー』はアメリカン・ニューシネマの代表作となり、ホッパーの名前も知られるようになった。本作でカンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞し、アカデミー脚本賞にノミネートされる。1970年代には飲酒や麻薬の問題、また映画会社との確執などで役に恵まれなかったが、1986年にデヴィッド・リンチが監督をした『ブルーベルベット』で復帰した。1988年、監督作品となる『カラーズ 天使の消えた街』では、実在するストリート・ギャングをエキストラに起用して話題となり[2]、全米週末興行収入成績第1位を記録した[3]。1990年『パリス・トラウト/静かなる狂気』で、実在した犯罪王パリス・トラウトを演じ、以降は性格俳優としても活躍する[1]

一方で、絵画や写真に関しても造詣が深く、画家として個展を開くなど精力的に活動。日本において「デニス・ホッパー写真展」が催された[1]

1991年に東京で行われたコム・デ・ギャルソンのファッションショー[1]や、1995年に審査員を務めたゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで度々来日している[1][4]。また、トヨタ・セリカ(ST200系)、ツムラバスクリンなど、日本企業のCMへの出演歴もある[1]。2005年にはゴリラズのアルバム『Demon Days』に参加した[5]

2008年にフランス最高の勲章、レジオン・ド・ヌール勲章を受賞[6]。2010年3月にはハリウッドの殿堂入りを果たした[7]

2009年10月に前立腺癌であることが報じられ、さらに2010年1月には癌が骨にまで転移し末期状態であると報じられた。 2010年5月29日、カリフォルニア州の自宅にて死去[7]

その他[編集]

5度の結婚をし、4人の子供がおり[8]、4番目の妻との間に息子で俳優のヘンリー・ホッパーがいる。1996年に結婚した最後で5番目のヴィクトリアとの間には娘(ゲイレン)をもうけている。生前は共和党の党員であったが[9]2008年アメリカ大統領選挙では民主党バラク・オバマを支持した[10]

デニス・ホッパーが2発の銃弾を撃ち込んで穴の開いた毛沢東の肖像画が、2011年1月11日、クリスティーズにて競売にかけられ、30万2500ドルで落札された。深夜に帰宅したデニス・ホッパーが、壁に掛かっていた毛沢東の肖像画(アンディ・ウォーホル作)と目が合い、驚いて銃で撃ったと言われている。後日、デニス・ホッパーが作者のウォーホルにこの絵を見せ、2人の共同制作の作品としたことで知られる[11]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

ゲーム[編集]

  • Grand Theft Auto: Vice City(2002年) スティーブ・スコット役、声の出演
  • Deadly Creatures(2009年) Wiiのアクションゲーム、声の出演

著作[編集]

監督作品[編集]

自身の監督作『ハートに火をつけて』を無断で編集した製作会社と対立し、監督名のクレジットを拒否したため、作品はアラン・スミシーの監督名義で完成している。その後、同作品のオリジナル・バージョンはデニス・ホッパーの監督名義に改め、『バックトラック』として日本公開された。[12]

関連書籍[編集]

参考文献[編集]

  • 「デニス・ホッパー ― 生き残った男の伝説」 (シネアルバム:芳賀書店、1996年)ISBN 4826101317

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 「デニス・ホッパー 生き残った男の伝説」芳賀書店、1996年 ISBN 4826101317
  2. ^ 「カラーズ 天使の消えた街」パンフレット
  3. ^ [1] Box Office Mojo データベース 全米週末興行収入成績(1988年4月29日 - 5月1日、5月6日 - 8日)
  4. ^ ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2011”. ゆうばり国際ファンタスティック映画祭. 2004年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月20日閲覧。
  5. ^ [2] Discogs Gorillaz - Demon Days
  6. ^ デニス・ホッパー、レジオン・ドヌール勲章を受章”. シネマトゥデイ (2008年10月20日). 2022年5月20日閲覧。
  7. ^ a b 米俳優のデニス・ホッパー氏が死去”. スポニチAnnex (2010年5月29日). 2010年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月30日閲覧。
  8. ^ [3] 毎日新聞 2010年5月31日[リンク切れ]
  9. ^ 「アレックス・コックス」スティーヴン・ポール デイヴィーズ著
  10. ^ デニス・ホッパーはオバマに1票!”. Moviecollection (2020年6月17日). 2022年5月20日閲覧。
  11. ^ D・ホッパーが撃った毛沢東の肖像画、2500万円で落札”. 朝日新聞 (2011年1月12日). 2022年5月20日閲覧。
  12. ^ [4]「ハートに火をつけて」all cinema データベース

外部リンク[編集]