チャールズ3世 (イギリス王)

チャールズ3世
Charles III
イギリス国王
公式肖像(2023年)
在位 2022年9月8日 - 在位中
戴冠式 2023年5月6日
ウェストミンスター寺院
別号
首相

全名 Charles Philip Arthur George
チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ
出生 (1948-11-14) 1948年11月14日(75歳)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドンバッキンガム宮殿
配偶者 ダイアナ・フランセス[1]
(1981年 - 1996年)
  カミラ・シャンド
(2005年 - 現在)
子女 ウィリアム
ヘンリー
家名 マウントバッテン=ウィンザー家
王朝 ウィンザー朝
王室歌 国王陛下万歳(イギリス国歌と同一)
父親 エディンバラ公爵フィリップ王配
母親 エリザベス2世
宗教 キリスト教イングランド国教会
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イギリス王室



チャールズ3世(チャールズさんせい、Charles III 1948年11月14日 - )はイギリスウィンザー朝第5代国王(在位: 2022年9月8日 - )、その他14か国の英連邦王国及び王室属領・海外領土の君主イングランド国教会首長英語版。全名はチャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージCharles Philip Arthur George)。日本語では「チャールズ国王(チャールズこくおう)」と表現される場合が多い。

エリザベス2世の在位中は、長らく皇太子(第21代プリンス・オブ・ウェールズ)であった。イギリス陸海空軍元帥[2]。公邸はクラレンス・ハウス

弟は、ヨーク公爵アンドルー王子エディンバラ公爵エドワード王子。妹は、プリンセス・ロイヤル・アン

経歴[編集]

生誕[編集]

エディンバラ公フィリップと同公爵夫人エリザベス王女(いずれも当時)の(3男1女のうち)第一子・長男としてバッキンガム宮殿にて1948年11月14日に誕生。12月15日には宮殿内で洗礼を受けた。「国王の女系/母系子孫は王子・王女の称号を与えられない」というのがイギリス王室の原則であったが、チャールズの場合は次期女王の長男であり将来国王になることが確実であったため、ジョージ6世国王は自身の初孫でもあったチャールズを王子とする勅令を出した。

また、誕生時の姓は「ウィンザー (Windsor)」だったが、1960年に母のエリザベス2世女王は、父のエディンバラ公爵フィリップ王配との間に誕生した子の姓を「マウントバッテン=ウィンザー[3]」とする枢密院令を出した。

王位継承者[編集]

幼少期のチャールズ(右端)と両親、妹のアン王女との家族写真(1957年)

祖父・ジョージ6世国王が1952年2月6日に崩御し、同日に母・エリザベス王女が即位してイギリス女王エリザベス2世)になると、第一王子チャールズは法定推定相続人として王位継承順位が1位となり、それに付随して、「コーンウォール公爵」ならびに「ロスシー公爵」の称号を得た。1958年には、女王エリザベス2世からガーター勲章が授与され、「チェスター伯爵」と「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を得ることにより、立太子された。

教育[編集]

幼少時から将来のイギリス国王となるべく、父フィリップの意向で厳しい教育を受けた。特に「息子にも自身の母校に通わせたい」という父の勧めでバークシャーのグラマースクールやスコットランドゴードンストウン校で、中産階級の児童らと就学したことが多かったが、当然の事ながら階級社会のイギリスにおいてチャールズと同一階層の生徒が一人もいなかったため、いじめやからかいの対象になってしまった。この経験が原因で、自分が父親となったときは2人の息子、ウィリアム王子とヘンリー王子を上流階級が多数を占めるイートン・カレッジに通学させたとも言われている。 1966年にはオーストラリアのジーロン・グラマー・スクールに2学期ほど留学し、後にオーストラリアでの思い出が一番だったとの振り返りをしている。

青年時代[編集]

1966年には、アストンマーティンの工場を訪問した母女王より同社の「DB6 ヴォランテ」を誕生日プレゼントに贈られた。その後も同社のモデルを愛用し、後に同社にワラントを下賜している。

1967年10月に、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した。在学2年目には、ウェールズ語歴史を学習するためにウェールズ大学に入学している。1968年には21歳で皇太子としての叙任式を行った。1970年にはイギリス議会上院の貴族院に議席を得ている。

軍歴[編集]

ノルウェー訪問時(1969年)
スペイン訪問時(1973年)

ケンブリッジ大学への入学後に、イギリス王室の習慣に則りイギリス海軍イギリス空軍に入隊した。1971年3月以降に、イギリス海軍のデ・ハビランド・カナダ DHC-1BAC ジェット・プロヴォストでの飛行訓練を経て、小型ターボプロップ機のホーカー・シドレー・アンドーヴァーや、王室専用機で中型ジェット輸送機のBAe 146の操縦も行っている。

またダートマスのイギリス海軍学校での訓練を経て、イギリス海軍駆逐艦の「ノーフォーク英語版」や「ミナーヴァ英語版」、「ジュピター」への乗務を行った。1976年2月には掃海艇ブロニントン英語版の艇長となった[4]

慈善事業と環境問題[編集]

この頃より国内の貧困問題解決にも取り組んでおり、1976年には、イギリスの貧困層の若年者に対する学業の機会や職業訓練を与えることを目的に活動する「ザ・プリンス・トラスト」を立ち上げた。チャールズ皇太子自らが、特にイギリス連邦諸国からの移民の貧困問題解決に取り組む活動に対して、様々な形での支援を行っている。

また環境問題にも強い関心を抱いており、自身の私的な不動産であるコーンウォール公領では、有機食品を生産している。また、自らが所有するハイグローブの別荘で栽培された農産物を使用している。さらに、自ら所有する家庭菜園でも有機農法を実践している[5]など、自ら様々な形でそれを実践している。

ルイス・マウントバッテンの死[編集]

アメリカ合衆国訪問時(1981年)

1979年8月に、自身の大叔父でもあり幼少時より慕っていた海軍元帥でもあるルイス・マウントバッテン(チャールズ3世の父方祖母アリス・オブ・バッテンバーグの弟)が、休暇に訪れていたアイルランド北西部のドネゴール湾で、ヨットで出航直後にIRA暫定派の仕掛けた爆弾により爆破され死亡した。これにチャールズは大きなショックを受けたと言われている。

マウントバッテンの突然の死に気を落としたものの、1980年7月にサセックスペットワース英語版近くのカントリー・ハウスバーベキューをしていた際にマウントバッテン卿の死を悲しんでいる皇太子を、スペンサー伯爵令嬢ダイアナ・フランセスが「貴方の寂しさは理解できるし、貴方には誰かが必要だ」と慰めたことに心打たれ[6]、その後に交際することになる。

ダイアナとの結婚[編集]

1981年2月6日にチャールズがウィンザー城でダイアナに求婚した。チャールズは「スキー旅行に出てる間、どんなに貴女に会いたかったことか」と述べたうえで「私と結婚してほしい」と簡潔に求婚したが、ダイアナは「冗談だと思って笑っていた」という。チャールズは真剣な求婚であることを強調し、「貴女はいつの日か王妃となるのだ」と述べたという。ダイアナはこのプロポーズを受け入れた[7]

チャールズの決定により皇太子の結婚式は1981年7月29日セント・ポール大聖堂で挙行されることになった。祝典は実質的に結婚式前夜の7月23日夜から始まっていた。ハイド・パークでは1万2000発の花火が打ち上げられ、国中がお祭り騒ぎになった。イギリスがこれほど全国民あげての祝賀ムードに包まれたのは1953年のエリザベス2世戴冠式以来のことであったという[8]

セント・ポール大聖堂には世界中の王族や元首などが集合していた。日本皇室からは皇太子明仁親王美智子皇太子妃(いずれも当時)が、アメリカ合衆国からはファーストレディ(大統領夫人)のナンシー・レーガンが参列した。この結婚式の模様はテレビ中継され、全世界70か国の7億5000万人もの人々が視聴し見守っていた。日本ではNHKが午後5時35分から午後6時40分まで放送[9]

新婚旅行は王室専用ヨット「ブリタニア号」での地中海エーゲ海クルージングだった[10]。マスコミに追跡されないよう王立海軍の協力を得て極秘裏に行われた。マスコミはギリシャに飛んで皇太子夫妻を探し回ったが、ついに発見できなかった[11]

結婚生活[編集]

ロナルド・レーガン及びナンシー・レーガン米大統領夫妻並びにチャールズ皇太子及びダイアナ同妃(1985年11月)
弟の一人、ヨーク公アンドルー王子の結婚パレードの際のチャールズとダイアナ(1986年7月)

その後チャールズは、妃のダイアナとともに日本インド、アメリカ合衆国やスペインなど世界各国を訪問したほか、多くの王室の公式行事のみならず、民間の行事にも共に参加している。また1982年には第1子(長男)のウィリアムが、また1984年には第2子(次男)のヘンリーと2人の王子が誕生するなど一見、2人の関係は良好に続いていくかに見えた。

しかし、ダイアナは窮屈な王室のしきたりに馴染めず、またチャールズの音楽の趣味や狩猟などの保守的な趣味に対して否定的であり、夫婦相互の溝は広がりつつあった。なお後のダイアナの発言によれば「1984年に次男ヘンリーが生まれた時点で、気持ちの上での2人の関係は終わっていた」という[12]

実際に、チャールズは1985年から1986年にかけてコーンウォール公領のハイグローヴ邸で居住することが増えた。1987年にはケンジントン宮殿はチャールズ不在状態が常態化してダイアナが事実上の女主人になっていたという[13]。同年の皇太子夫妻のポルトガル訪問にも夫妻は別々に寝所をとっている[12]

チャールズは婚約以来カミラ・パーカー・ボウルズとの関係を断っていたが、この頃から交際を再開するようになった[14][15]。さらにダイアナも複数の男性との不倫を繰り返した。この様な中でダイアナは、1992年10月の大韓民国訪問の際、チャールズと一緒にいる時は不機嫌そうな顔で、一緒にいない時はにこやかな顔でマスコミの撮影に応じたのだった[16]

その後チャールズとダイアナの合意により、1992年12月9日に「皇太子と同妃が別居生活に入ること」が正式に発表された[17][18]。ダイアナが暮らすケンジントン宮殿からはチャールズの私物や痕跡が取り払われ、一方チャールズが暮らすハイグローヴ邸からはダイアナの私物や痕跡が取り払われていった。その後1993年12月3日に、ダイアナは「王室における公務からの引退」を宣言した[19]

離婚と死別[編集]

ダイアナの葬儀

1996年2月28日にチャールズとの会見を終えたダイアナは、「離婚の合意に達したこと」を発表した。その中で彼女は「今後も実の母親として王子2人の養育に関する全てに携わり続け、またプリンセス・オブ・ウェールズの称号を維持し、ケンジントン宮殿にも留まり、セント・ジェームス宮殿にある執務室も運営し続ける」旨を主張した。その後もダイアナとの離婚交渉は4カ月にわたって続いたが、8月28日の離婚確定判決をもって正式にチャールズとダイアナの結婚生活は幕を閉じた[20]

その後ダイアナはハスナット・カーンドディ・アルファイドとの二股交際を行ったほか、チャールズのテレビ出演や伝記出版の反撃に、チャールズとの関係や王室への批判のためにマスコミに出演した。なおその後1997年8月31日パリで交際相手のアルファイドとともに交通事故死したが、この際にチャールズはダイアナの姉妹とともにパリへ移動している。ダイアナがパパラッチによる過剰な報道から逃避するがために法定速度を超過した自動車に同乗していて事故死したことや、その後も自身や2人の王子に対する過剰報道が続いたこともあり、チャールズは報道機関に2人の王子に対する報道の自粛を要請。イギリスの各報道機関との間で協定が結ばれた[要出典]

香港返還と中国対応[編集]

ブリタニア号

このような状況下でもチャールズは公務を続け、1997年6月30日香港の返還・譲渡式典や、駐香港イギリス軍の撤収式典にクリストファー・パッテン総督らとともに参加し、翌日、かつてダイアナと同乗したヨット「ブリタニア号」で中国領となった香港を離れている。

なおチャールズはリベラルな発言・行動で知られており、特に中国共産党一党独裁国家である中華人民共和国には冷ややかな態度をとっている。香港返還式典の際には、チャールズが日記で中国共産党の上層部を「恐ろしく古びたろう人形のようだ」と表現していた[21][要出典]ことが話題となった。1999年に中国の江沢民国家主席がイギリスを公式訪問した際、チャールズ皇太子は、中国政府側が駐英中国大使館で開催した答礼夕食会を意図的に欠席したとされている。

また同国が軍事侵略したチベットには長年強い関心を寄せており、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世とも交流がある[22]2008年1月には、世界の要人でいち早く、北京オリンピックの式典・競技に一切出席しない意向を民間団体に表明したことが明らかになった[23]。同年3月に中国が実効支配しているチベット自治区において争乱が生じた際には、3月20日に5月頃ダライ・ラマ14世と会談することが公表された。

カミラとの再婚[編集]

ジョージ・W・ブッシュ及びローラ・ブッシュ米大統領夫妻並びにチャールズ及びカミラ夫妻(2005年11月)

イングランド国教会にはその首長たる国王が離婚経験者と結婚する事を認めない規定があり[24]、実際、エドワード8世は離婚歴のあるウォリス・シンプソンと結婚するために退位している。 しかし、元妃の死後、チャールズは、カミラと公然と交際するようになり、2005年4月8日ウィンザー城礼拝堂で正式に婚姻を結ぶことが発表された。教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀と重なったため4月9日に日取りを繰り延べた。後妻のカミラは、前妻・故ダイアナ妃に配慮し、プリンセス・オブ・ウェールズ(皇太子妃)ではなく「コーンウォール公爵夫人」と呼称するとした[25]


多くのイギリス国民の間では「スキップ・チャールズ」とも言われ、ダイアナの死の直後は「エリザベス2世没後の王位は息子のチャールズではなく、孫のウィリアム王子が継承すべきだ」とする世論が多数を占めた。10年後の2007年の時点ではチャールズとカミラに対する印象は好転し[26]、2022年3月に行われた世論調査では43%がチャールズを好意的に見ているものの、ウィリアム王子に王位を譲るべきと考える人はなおも42%を占めた[27]

2010年代から即位まで[編集]

バッキンガム宮殿のバルコニーに立つチャールズ(2012年6月)

2011年4月20日には、皇太子の在任期間が59年73日となり、これまで最長であった高祖父のエドワード7世の記録を抜いて歴代1位となった。一方、チャールズがプリンス・オブ・ウェールズに叙されたのは9歳8ヶ月の時だったため、その後も生後すぐに叙されたエドワード7世の方がプリンス・オブ・ウェールズとしての期間が最も長かった(59年45日)。だが、この記録も2017年9月9日にチャールズによって更新された。

国内外で活発に公務を行っており、2013年2014年2015年と3年連続でサウジアラビアを訪問した。また、2015年5月にはカミラとともに初めてアイルランドを公式訪問した。

なお将来イングランド国教会の首長に就く立場ではあるが、他の宗教に対しても寛容な姿勢で知られており、イギリス国内におけるイスラム教の研究に様々な貢献を行っている。

2020年3月25日、2019新型コロナウイルスの検査で陽性となったが、軽症と伝えられた[28]

母エリザベス2世の崩御および自身の国王即位[編集]

エリザベス2世の没後6日目、ウェストミンスター・ホールに向かう葬列の中のチャールズ

即位する前の世論調査では、チャールズに好感を抱くイギリス国民の割合は42パーセント[29]であり、2018年に、BMGリサーチによって行われた世論調査によれば、46パーセントのイギリス人が、「チャールズが即位後可及的速やかに退位して、長男のウィリアム王子に譲位すべき」と考えている事が判明した[30]。2021年に行われた世論調査によれば、イギリス国民の60パーセントが彼に好感を抱いていると報じられた[31]

2022年9月8日、母エリザベス2世女王の崩御に伴い、同日に国王『チャールズ3世 (Charles III)』として即位した[32]。73歳の彼が国王に即位した事により、1830年に64歳で即位したウィリアム4世の国王最高齢即位の記録が更新された[33]。また、皇太子としての在位期間は70年234日に及び、世界史上歴代1位かつ最長記録更新となった。また、女王(女性国王)から男性国王への代替わりによってイギリス国歌が「女王陛下万歳 (God Save the Queen)」から「国王陛下万歳 (God Save the King)」に変更された。

チャールズの戴冠式の計画は、「ゴールデン・オーブ(金の宝珠)作戦」というコードネームのもとで練られていた。有力貴族やその他の高官によって構成された委員会の議長は、軍務伯の地位を世襲している第18代ノーフォーク公爵エドワード・フィッツアラン=ハワードで、憲政上、チャールズや女王の秘書官から独立した存在である[34]。チャールズの戴冠式は2023年5月6日にロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われることとなり[35]1953年6月2日に行われたエリザベス2世の戴冠式に比べて、規模が縮小された簡素な式典になると報道された[36]

9月9日18時(英国夏時間)、チャールズは即位後国民に向けた初めてのテレビ演説を行い、自身の母親の死を悼むとともに長男のウィリアム王子プリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)に叙する事を表明した[37]

2日後の9月10日には、セント・ジェームズ宮殿リズ・トラス首相、枢密院メンバー、イギリス連邦諸国の代表、首相経験者6人(ジョン・メージャートニー・ブレアゴードン・ブラウンデーヴィッド・キャメロンテリーザ・メイボリス・ジョンソン)などから構成される「王位継承評議会英語版」が開催され、正式に即位が布告された[38][39][40]。その9日後の9月19日、母・エリザベス2世の国葬ウェストミンスター寺院で執り行われ、イングランド国教会首長英語版として参列した。

10月25日にはトラス首相の辞任に伴い、バッキンガム宮殿で自身の即位後で最初の首相任命をリシ・スナク保守党党首に対して行う[41]11月22日には南アフリカ共和国大統領シリル・ラマポーザが訪英[42]。スナク首相らと共に迎え、自身の即位後で初となる外国首脳の公式訪問を受けた[42]12月6日にはロンドン近くにて市民と交流中だったところ20歳の男に卵を投げつけられたとみられる事件が発生した[43]

12月25日、自身の即位後初の国民向けのクリスマスビデオメッセージを送った[44][45]

戴冠式を終えたチャールズとカミラ

2023年5月6日ウェストミンスター寺院で自身とカミラの戴冠式が執り行われた。日本からは秋篠宮文仁親王同妃紀子が参列した[46]。また、天皇徳仁皇后雅子からの祝電が送られた[47]。式典には王族に加え、首相経験者及び各国の君主や首脳ら2千人超が参列した。ウクライナ侵略に伴い英国政府の制裁対象になっているロシアベラルーシは招待されなかった。式典では、国王チャールズ3世は英国とイギリス連邦の統治を「厳粛に約束する」と宣誓した。イングランド国教会における最高位聖職者カンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビーからイギリス王室の至宝「聖エドワード王冠」を授かり、妻のカミラ王妃も冠をかぶった。最も神聖とされる君主に聖なるを塗る儀式も執り行われた。また、国王の意向でキリスト教以外の宗教代表が初めて式の進行に携わった。ヒンドゥー教徒であるリシ・スナク首相が聖書朗読を行い、女性聖職者が新約聖書の一部を読み上げるなど「多様性」を重視する試みを打ち出した。式典終了後、国王・王妃は歴代国王が使用した豪壮な馬車「ゴールド・ステート・コーチ」に乗り、バッキンガム宮殿に戻った。馬車に随伴して計7千人のイギリス軍兵士らがパレードした。その後、国王は王妃らと宮殿のバルコニーに現れ、集まった国民に手を振った。軍楽隊や騎兵隊、700年の歴史を持つ木製の戴冠式用椅子、国王に油を塗るための古いスプーンなど多くの伝統や道具が用いられた。英国の戴冠式は、王位継承に伴い君主が王冠をかぶる伝統儀式で過去約1千年にわたって開かれてきたが、記録的なインフレーションによる国民の生活苦に配慮し、母・エリザベス2世の式典より招待客数を減らして時間を短縮するなど簡素化が図られた[48][49]

その他のスキャンダル[編集]

訪日歴[編集]

皇太子時代に以下の計5回、訪日している[57]

称号・呼称[編集]

A logo with "CR III" and a crown
2022年9月に発表されたチャールズ3世のロイヤル・サイファー。テューダー王冠を戴いている。[58]

イギリスにおける称号・呼称[編集]

チャールズ3世は、イギリスを含め15の国家(英連邦王国)の国王・元首かつコモンウェルス首長イギリス連邦の長)、イングランド国教会首長(信仰の擁護者)である。そして、英連邦王国(レルム)各国で異なる正式称号を所有している。

そのうち、イギリス(王室属領海外領土も含む)における正式称号は以下のものである。

呼称の変遷[編集]

  • 1948年11月14日 - 1952年2月6日(3年84日)
    • チャールズ・オブ・エディンバラ王子殿下 (His Royal Highness Prince Charles of Edinburgh)
  • 1952年2月6日 - 2022年9月8日(70年234日)
    • コーンウォール公爵殿下 (His Royal Highness The Duke of Cornwall)
  • スコットランドにおける呼称:1952年2月6日 - 2022年9月8日(70年234日)
    • ロスシー公爵殿下 (His Royal Highness The Duke of Rothesay)
  • 1958年7月26日 - 2022年9月8日(64年64日)
  • 2022年9月8日 - 現在(1年203日)
    • 国王陛下 (His Majesty The King)
    • 神の恩寵によるグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国およびその他のレルムと領土の国王、コモンウェルス首長、信仰の擁護者(By the Grace of God, of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of His other Realms and Territories King, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith)

即位後の呼称について[編集]

皇太子時代、将来の王名としては「『ジョージ7世(George VII)』を希望している」との説があった[60]。2005年には「『ジョージ7世』名の採用を内々で検討している」と報道されたが、王宮はこの報道を否定し、当時は「王名についての検討は行ってない」としていた[61]チャールズ1世2世が既に存在するため、チャールズを名乗った場合には3世となるが、18世紀にジャコバイトに支持されて王統奪還を目指した若僭王も「チャールズ3世」を自称(僭称)した歴史がある。最終的に即位の際、「チャールズ3世(Charles III)」と名乗ることがバッキンガム宮殿から発表された[62]

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子女[編集]

前妻のダイアナ元妃との間に儲けた2男がいる。また、5人(3男2女)の孫がいる。

生年月日 結婚 子女
年月日 配偶者
ウィリアム皇太子 (1982-06-21) 1982年6月21日(41歳) 2011年4月29日 キャサリン・ミドルトン ジョージ・オブ・ウェールズ王子
シャーロット・オブ・ウェールズ王女
ルイ・オブ・ウェールズ王子
サセックス公爵ハリー王子 (1984-09-15) 1984年9月15日(39歳) 2018年5月19日 メーガン・マークル

人物[編集]

  • 歴史的建造物の保存や都市景観の問題に関心が深く、『英国の未来像 建築に関する考察』[63] を著して、ロンドンのシティ・ホールやロイズ保険ビル、HSBCタワーなどの近代的な建築物のデザインを批判し、歴史的建造物の保存への関心を高めるよう提唱した。また、同名のドキュメンタリー番組に自ら出演し、日本ではNHKが1989年4月18日に『チャールズ皇太子・現代建築への提言』の題名で放送した。
  • 1992年に創設したイギリスの有機食品ブランドダッチー・オリジナルズ英語版[64]オーナーである。動物愛護の観点から2008年3月に自邸でのフォアグラの使用を禁止した[65]
  • ファーストフードに非常に批判的であり、2006年2月27日には訪問先のアラブ首長国連邦で「糖尿病対策としてマクドナルドを禁止すべきだ」と発言し、物議を醸した。これに対してはイギリスのトップシェフ[誰?]から「一度もビッグマックを口にしたことがないと思われる皇太子が、このようなコメントを発表するのは間違っており、愚かなことだ」と批判する[誰?]もある[66]
  • 科学的な根拠が全くない疑似科学であるホメオパシーハープ療法など代替医療を強く支持している。ホメオパシーはイギリスにおいて深刻な社会問題となっており、「非科学的」と政府が主張しているが多くの英国民に支持されている。政府は代替医療の保険適用を中止する検討会を開催していたが、チャールズは2009年に8つの政府機関へホメオパシーに対するNHSの保険適用の拡充を訴えるレターを送り、さらに2010年には閣僚との秘密裡の会談でも同様の主張をおこなった。政策への関与が禁止されているロイヤルファミリーの一員が影響力の行使を企てたこと、将来君主となるべき人物が疑似科学を信奉していることが強く批判されている[67][68]。チャールズは1993年に代替医療の推進を目標とする団体プリンスズ・ファンデーション・フォー・インテギュレティド・ヘルス[69] を立ち上げたが、元責任者が詐欺とマネーロンダリングの疑いで逮捕され、団体もこの犯罪に利用されていたことが判明したため2010年に解散した[70]。日本における代替医療の賛同者はチャールズの音頭により5か年計画で国家レベルでの代替医療の研究が進められているとしている[71]
  • スーツ及びタキシード等のジャケットはダブルブレストのものを好んで着用する。
  • 2012年5月10日英国放送協会の60周年記念で訪れた皇太子が天気予報のコーナーに出演した[72][73][74]この時、王室に関係の深い地域の天気予報も表示された。
  • 2016年9月15日スコットランドの王室所有のバルモラル城敷地内で乗用車を運転中にシカと衝突する交通事故を起こしたことが、英国内の報道で明らかとなった[注 1]。チャールズ自身の運転は非常に慎重だったが、シカは突然道路に侵入してくる場合が多いので避けきれなかった可能性が指摘されている。この事故でチャールズが運転していた「アウディ・A4・オールロードクワトロ」は大破したが、チャールズ自身は命に別条はなかったという[75][76]

御用達ブランド[編集]

チャールズがロイヤル・ワラント(御用達指定)を与えたブランド(一部)。2017年3月時点では、合計159社がワラントを授与されている。

系譜[編集]

チャールズ3世の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. デンマーク国王クリスチャン9世
 
 
 
 
 
 
 
8. ギリシャ国王ゲオルギオス1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. ヘッセン=カッセル方伯女ルイーゼ
 
 
 
 
 
 
 
4. ギリシャ及びデンマーク王子アンドレアス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. ロシア大公コンスタンチン・ニコラエヴィチ
 
 
 
 
 
 
 
9. ギリシャ王妃・ロシア大公女オリガ・コンスタンチノヴナ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. ロシア大公妃・ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ
 
 
 
 
 
 
 
2. エディンバラ公フィリップ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. ヘッセン大公子アレクサンダー
 
 
 
 
 
 
 
10. バッテンベルク公子・ミルフォード=ヘイヴン侯爵ルイス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. バッテンベルク侯妃ユリア・ハウケ
 
 
 
 
 
 
 
5. バッテンベルク公女アリス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. ヘッセン大公ルートヴィヒ4世
 
 
 
 
 
 
 
11. ヘッセン大公女ヴィクトリア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. ヘッセン大公妃・イギリス王女アリス
 
 
 
 
 
 
 
1. イギリス国王チャールズ3世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. イギリス国王エドワード7世
 
 
 
 
 
 
 
12. イギリス国王ジョージ5世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
25. イギリス王妃・デンマーク王女アレクサンドラ
 
 
 
 
 
 
 
6. イギリス国王ジョージ6世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. テック公フランツ
 
 
 
 
 
 
 
13. イギリス王妃・テック公女メアリー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
27. テック公妃・ケンブリッジ公女メアリー・アデレード
 
 
 
 
 
 
 
3. イギリス女王エリザベス2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. ストラスモア伯爵クロード
 
 
 
 
 
 
 
14. ストラスモア伯爵クロード・ジョージ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. ストラスモア伯爵夫人フランシス・ドーラ・スミス
 
 
 
 
 
 
 
7. イギリス王妃・ストラスモア伯爵エリザベス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. チャールズ・キャヴェンディッシュ=ベンティンク牧師
 
 
 
 
 
 
 
15. ストラスモア伯爵夫人セシリア・ニーナ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. キャロライン・ルイーザ・バーナビー
 
 
 
 
 
 
  • 母方の高祖父・エドワード7世と父方の高祖母・アリスが兄妹(イギリス女王ヴィクトリアの子女)。
  • 母方の高祖母・アレクサンドラと父方の曾祖父・ゲオルギオス1世が姉弟(デンマーク国王クリスチャン9世の子女)。

系図[編集]

  • 赤枠の人物は、存命中。
  • 黒枠の人物は、故人。
  • 太枠の人物は、イギリス君主の子女。
注釈
  1. ^ 国王エドワード8世1936年の退位後、ウィンザー公爵となった。


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ バルモラル城の敷地内は王室の私有地で外部関係者の立ち入りは制限されており、チャールズは敷地内を移動する際には自分で乗用車を運転して移動している。

出典[編集]

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参考文献[編集]

  • 君塚直隆『女王陛下の外交戦略 エリザベス二世と「三つのサークル」』講談社、2008年3月。ISBN 978-4062145664 
  • 君塚直隆『チャールズ皇太子の地球環境戦略』勁草書房、2013年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
その他
チャールズ3世 (イギリス王)

1948年11月14日 - 存命中

爵位・家督
先代
エリザベス2世
イギリスの旗 連合王国国王
第10代:2022年9月8日 -
現職
(後継者)
(ウィリアム皇太子)
カナダの旗 カナダ国王
第7代:2022年9月8日 -
オーストラリアの旗 オーストラリア国王
第7代:2022年9月8日 -
ニュージーランドの旗 ニュージーランド国王
第6代:2022年9月8日 -
ジャマイカの旗 ジャマイカ国王
第2代:2022年9月8日 -
バハマの旗 バハマ国王
第2代:2022年9月8日 -
グレナダの旗 グレナダ国王
第2代:2022年9月8日 -
パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア国王
第2代:2022年9月8日 -
ソロモン諸島の旗 ソロモン諸島国王
第2代:2022年9月8日 -
ツバルの旗 ツバル国王
第2代:2022年9月8日 -
セントルシアの旗 セントルシア国王
第2代:2022年9月8日 -
セントビンセント・グレナディーンの旗 セントビンセント・グレナディーン国王
第2代:2022年9月8日 -
ベリーズの旗 ベリーズ国王
第2代:2022年 -
アンティグア・バーブーダの旗 アンティグア・バーブーダ国王
第2代:2022年9月8日 -
セントクリストファー・ネイビスの旗 セントクリストファー・ネイビス国王
第2代:2022年9月8日 -
イギリス王室
先代
エドワード王子
イングランドの旗 皇太子
1958年7月26日 - 2022年9月8日
次代
ウィリアム皇太子
イングランドの旗 コーンウォール公
1952年2月6日 - 2022年9月8日
スコットランドの旗 ロスシー公
1952年2月6日 - 2022年9月8日
イギリスの爵位
先代
フィリップ王配
イングランドの旗 エディンバラ公
2021年4月9日 - 2022年9月8日
次代
エドワード王子
名誉職
先代
グロスター公ヘンリー
バス勲章グレート・マスター
1974年6月10日 - 2022年9月8日
空位
即位のため一時的に空位