ダグ・ドレイベック

ダグ・ドレイベック
Doug Drabek
2012年6月17日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ビクトリア
生年月日 (1962-07-25) 1962年7月25日(61歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 ドラフト11巡目
初出場 1986年5月30日
最終出場 1998年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ダグ・ドレイベック英語: Doug Drabek, 本名:ダグラス・ディーン・ドレイベックDouglas Dean Drabek, 1962年7月25日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ビクトリア出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

息子のカイル・ドレイベックも元プロ野球選手である。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1980年MLBドラフトクリーブランド・インディアンスから4巡目(全体87位)で指名を受けたが契約せず、ヒューストン大学英語版に進学。

プロ入り後[編集]

1983年MLBドラフトシカゴ・ホワイトソックスから11巡目(全体279位)で指名を受け入団。

1984年はA級とAA級合計で13勝5敗を記録する[1] が、8月13日、7月18日に成立したトレードの見返りとして1選手と共にニューヨーク・ヤンキースに移籍。

1985年はAA級で13勝7敗・防御率2.99の好成績を挙げ[1]1986年5月30日のオークランド・アスレティックス戦でメジャーデビュー。6月半ばから先発ローテーションに定着し[2]、7勝を挙げた。11月26日に3選手との交換トレードで、他2選手と共にピッツバーグ・パイレーツに移籍。

パイレーツは移籍前年は最下位に終わり、トニー・ペーニャリック・ローデンジョニー・レイら高給取りのベテランを次々と放出してチームの若返りを図り、新人選手やトレードで獲得した若手選手を積極的に起用。1987年は11勝12敗をあげ、チームの最下位脱出に貢献。1986年から87年にかけて、バリー・ボンズが新人として昇格。他にも移籍してきたボビー・ボニーヤアンディ・バンスライクマイク・ダンらが活躍して、将来に希望をみせた。

1988年には15勝7敗、1989年には14勝12敗と活躍。そして1990年には22勝6敗、防御率2.76の成績でチーム11年ぶりの地区優勝に貢献。22勝と勝率.786はいずれもナ・リーグ1位で、サイ・ヤング賞に選ばれた。その後も、2年連続で15勝をあげ、チームの3年連続地区優勝に貢献。しかし、上記の選手たちの年俸高騰は再びチームの経営を圧迫し、ボニーヤが1991年限りでフリーエージェント(FA)で移籍。ボンズとドレイベックも1992年限りでFAでチームを離れた。この後、パイレーツは1993年から2012年にかけて20年連続で勝率5割未満というアメリカのプロスポーツ史上ワーストという不名誉な記録を残すことになる。

1993年には故郷に近いヒューストン・アストロズに移籍。初年度は15勝投手が3人居る投手陣[3] の中で9勝に終わり、しかもリーグ最多の18敗を喫した。

ストライキでシーズンが短縮された1994年は12勝を挙げ、初のオールスター出場を果たした。サイ・ヤング賞の投票でも4位であった。

1995年はリーグ最多の31先発をしたものの10勝にとどまり、1996年も7勝に終わった。1997年はホワイトソックス、1998年ボルチモア・オリオールズでプレーして、この年限りで現役を引退。最後の4シーズンは35勝40敗の成績に終わった。

現役引退後[編集]

2010年アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下ショートシーズンA級ヤキマ・ベアーズ英語版の投手コーチに就任[4]。以降はダイヤモンドバックス傘下球団で投手コーチを歴任しており、2021年はAA級アマリロ・ソッドプードルズ2022年はAAA級リノ・エーシズで投手コーチを務めた[5]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1986 NYY 27 21 0 0 0 7 8 0 -- .467 561 131.2 126 13 50 1 3 76 2 0 64 60 4.10 1.34
1987 PIT 29 28 1 1 0 11 12 0 -- .478 721 176.1 165 22 46 2 0 120 5 1 86 76 3.88 1.20
1988 33 32 3 1 1 15 7 0 -- .682 880 219.1 194 21 50 4 6 127 4 1 83 75 3.08 1.11
1989 35 34 8 5 1 14 12 0 -- .538 994 244.1 215 21 69 3 3 123 3 0 83 76 2.80 1.16
1990 33 33 9 3 3 22 6 0 -- .786 918 231.1 190 15 56 2 3 131 6 0 78 71 2.76 1.06
1991 35 35 5 2 2 15 14 0 -- .517 977 234.2 245 16 62 6 3 142 5 0 92 80 3.07 1.31
1992 34 34 10 4 3 15 11 0 -- .577 1021 256.2 218 17 54 8 6 177 11 1 84 79 2.77 1.06
1993 HOU 34 34 7 2 2 9 18 0 -- .333 991 237.2 242 18 60 12 3 157 12 0 108 100 3.79 1.27
1994 23 23 6 2 1 12 6 0 -- .667 657 164.2 132 14 45 2 2 121 2 0 58 52 2.84 1.07
1995 31 31 2 1 1 10 9 0 -- .526 797 185.0 205 18 54 4 8 143 8 1 104 98 4.77 1.40
1996 30 30 1 0 0 7 9 0 -- .438 786 175.1 208 21 60 5 7 137 9 0 102 89 4.57 1.53
1997 CWS 31 31 0 0 0 12 11 0 -- .522 731 169.1 170 30 69 5 4 85 12 2 109 108 5.74 1.41
1998 BAL 23 21 1 0 0 6 11 0 -- .353 484 108.2 138 20 29 2 5 55 1 0 90 88 7.29 1.54
通算:13年 398 387 53 21 14 155 134 0 -- .536 10518 2535.0 2448 246 704 56 53 1594 80 6 1141 1052 3.73 1.24
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

  • 最多勝利 1回:1990年

表彰[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Doug Drabek Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年5月18日閲覧。
  2. ^ 1986 Pitching Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年5月18日閲覧。
  3. ^ ピート・ハーニッシュ16勝、マーク・ポーチュガル18勝、ダリル・カイル15勝。
  4. ^ Cy Young winner to coach in Yakima”. MiLB.com (2009年12月17日). 2023年1月1日閲覧。
  5. ^ Gil Velazquez set to lead 2022 Reno Aces coaching staff”. MiLB.com (2022年1月1日). 2023年1月1日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]