タワン・ダッチャニー

タワン・ダッチャニー(ถวัลย์ ดัชนี、1939年2月27日[1] - 2014年9月3日[2])は、タイ王国の画家。世界的に最も知名度の高いタイ人アーティストの1人として知られている。

略歴[編集]

1939年2月27日、タイ北部のチエンラーイに生まれる[3]。1954年から1957年にかけて、バンコクのポーチャーン美術工芸学校で学ぶ[3]。1956年、第7回バンコク全国美術展初入選[3]。1958年から1963年にかけて、シラパコーン大学絵画彫刻版画学部で学ぶ[3]。タイ近代美術の父と言われたイタリア人画家シン・ピーラシーに学んだ[1]。1964年から1968年までオランダに留学[3]、国立芸術アカデミーで学ぶ[3]。壁画学専攻で修士、美学と形而上学で博士を取得[要出典]2001年、美術部門(絵画)で国家芸術家に指定される[要出典]

作風[編集]

現代人の奥に潜む狂気や退廃、暴力、エロス、死などを、独特の仏教観に根ざした独創的な画風により表現する[1]。黒を基調とし、獣や昆虫と合体したグロテスクでエロティックな人体と、聖者としての仏が絡み合う迫力ある作風を特徴とする[1]。その表現は仏教への冒涜と批判され、1971年には展覧会襲撃事件に発展するほどの反発を生み出した[1][3]。一方で、ククリット・プラーモートが「神話に生命を与えた」と評価するなど、徐々に斬新な作風と独創性は支持されるようになった[1]。1980年代から1990年代にかけて、大壁画を数多く手がけ、大衆の人気も獲得した[1]

アジア独自の芸術表現を築き上げ、世界に衝撃を与えた現代アジア美術界の巨匠と評される[1]

活動[編集]

絵画教育を振興するため「タワン・ダッチャニー基金」を設立した[要出典]。また、彼の出身地のチエンラーイに「精神と芸術村―現代自然史民族博物館」を設計・建設した[3]

受賞歴[編集]

国内美術館所蔵作品[編集]

  • 福岡アジア美術館(福岡市博多区下川端町3-1)
    • 崇拝(1964)[3]
    • マーラの戦い(1989)[4]
    • 我(1989)
    • 未来(1989)  

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i タワン・ダッチャニー”. 福岡アジア文化賞. 2022年4月22日閲覧。
  2. ^ [タイ]美術家タワン・ダッチャニー氏が亡くなる 経済ニュース 2014年9月3日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h i タワン・ダッチャニー プロフィール”. 福岡アジア文化賞委員会. 2022年4月閲覧。
  4. ^ タワン・ダッチャニー「マーラの戦い」”. 福岡アジア美術館. 福岡アジア美術館. 2022年4月22日閲覧。