スミレ属

スミレ属 Viola
スミレ
分類
: 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 Angiosperms
階級なし : 真正双子葉類 Eudicots
階級なし : バラ類 Rosids
: キントラノオ目 Malpighiales
: スミレ科 Violaceae
: スミレ属 Viola

本文参照

スミレ属Viola)は、スミレ科に含まれる属の一つ。スミレパンジービオラ(ヴィオラ)など多くの種を含む。

概論[編集]

スミレ科にはおよそ23属800種が知られているが、そのうち草本300種(400種~450種とも)のほとんどがスミレ属に属している[1]。科全体としては樹木の方が多く、スミレ属がほとんど草本からなるのはやや特殊である。スミレの仲間は現在盛んに種分化が進行していると考えられるため、非常に変化が激しく、日本では各地の変種や色変わりをも含めて、学名があるものが250もある。分布は沖縄から北海道までの全土に渡り、各地に固有種がある。道ばたや野原に咲くものもあれば、山奥の渓流のほとりに咲くもの、高山のお花畑に咲くものまで、様々である。

日本産のものはすべて草本である。河畔のヨシ群落に生息するタチスミレのように背が高くなるものもあるが、ほとんどが背の低い草で、茎を地表より高く伸ばさないものが多い。葉はハート型か、それを引き伸ばしたような形をしている。

花茎の中ほどに1対の小苞がつく。花の形は基本的には似ていて、左右対称で、見ただけでスミレとわかるものである。花は5弁、そのうち1つが大きく、基部は後ろに突き出して袋状のきょを作る。多くは下側の大きい花びら(唇弁)に若干の模様が出る。果実朔果さくかで、熟すると三つに割れ、断面に種子が並んでいるのが見えるようになる。そのうちに果実が乾燥して縮み、種子は押し出されて弾け飛ぶ。種子にはエライオソームと言われる付属物があり、これがアリを誘引して、種子散布の助けになると考えられる。また、閉鎖花をつけるものがよくある。 高山のものは黄色い花をつけ、それ以外のものは紫、青か白系統のものが多い。

スミレの語源は昔の大工用具「墨入れ」に由来し、距を墨入れに見立てたものとしたと云う牧野富太郎の唱えた説がよく知られているが、異説もある。

人間との関わり[編集]

日本では野に咲く花の代表として知られ、古くから親しまれてきた。しかし、世界中には様々なスミレがあり、園芸用に栽培されているものも多数ある。身近に見られる例で、花びらが大きくて平たく広がった交配種のグループはパンジー (pansy) と呼ばれる。日本の園芸用語として、小型の物はヴィオラ (viola) の呼称で呼ばれることがある。従前、“三色スミレ”という呼称で愛されたが、交配親のひとつであるViola tricolorとパンジー全体の呼び名との混用もあり、現在では余り使用されなくなった。[要出典]

欧米では、パンジー以上にヴァイオレット(ニオイスミレ)が栽培され、香水や化粧品に加工される他、観賞用植物としてもさまざまな品種が作出されている。欧州でスミレの使用についての最初の記録は古代ギリシャで、薬用に使われていた[2]。中世においてもその花、葉、根が薬用に使われ、特に菫油は眼病や頭痛に効くとされた[3]キリスト教の伝統では、スミレは聖母マリアと関連付けられており、謙虚さの象徴であり[4]、花輪に使用される[2]チューダー朝時代には、頭痛やうつ病、便秘に効くとされ、ストリューイング・ハーブ(床などに撒く香草。中世の英国では体臭消しのため、入浴する代わりに香りのよいハーブを撒き、人が踏み歩くことで芳香を出した)にも適していた[2]。18世紀までに化粧品や香水に使われるようになり、フランスやイギリスで商業的に発展した[2]。不快な匂いが蔓延する大都市では匂い消しに小さな花束にしたものが広く販売され、服のポケットやボタン穴、帽子などに付けて使用された[2]

この他、観賞用のスミレとして外国から持ち込まれた物にアメリカスミレサイシン Viola sororiaがある。花の色などが異なる複数の品種があるが、繁殖力が非常に強いこともあって各地で既に野生化しており、一部では問題視されている。主に南西諸島から九州にかけて見られるツクシスミレも、かつて観賞用のスミレとして持ち込まれたものが野生化したものと見られている。

歴史上の人物で、ナポレオン1世のスミレ好きは有名で、妻ジョセフィーヌの誕生日にはスミレを送っていたとのこと。島流しになった際も、「スミレが咲く頃には戻ってくる」と言い残したとの話もある。これを含め、ヨーロッパで言及されるスミレはニオイスミレのことであることが多い。また、イギリスのヴィクトリア女王もスミレが好きで、日記にスミレについての記述が105回も登場し、とくに晩年はスミレの栽培が盛んだったコート・ダジュールで毎年休暇を楽しんだ[2]。ヴィクトリア時代のイギリスでは、スミレはその花姿から謙虚さや忠誠心の象徴とみなされていた[2]

パンジーなど、一部はエディブル・フラワーとしても利用される。

スミレは山野でごく自然に見られるイメージがあるが、それ自体が人間との関わりの結果とも言える。スミレはかなり劣悪な環境下でも生える一方、周囲の草が濃く草丈が高いと生えにくい傾向がある。そのため、人の手の入りやすい野原や登山道脇などが生育に適した環境になる場合が多い。これが、人の目に触れることが多い理由の一端である。絶滅が危惧されているスミレの仲間に関して各地で保護活動が行われている理由の一つにも、このような性質がある。

詩歌に詠われたスミレ[編集]

ドイツ中世の愛の歌ミンネザングには「5月の野に最初の菫を見に行きましょう」(ir sult ûf des meien plân / den êrsten vîol schouwen.)という詩句が見られる[5]。ドイツ語圏で、13世紀後半に現れたナイトハルト・フォン・ロイエンタールを主人公とする笑話(Schwank)をもとに14世紀から15世紀16世紀にかけてナイトハルト劇(Neidhart-Spiele)が上演されたが、それは菫をめぐって筋が展開する笑劇である[6]ウィリアム・ワーズワースが詠んだ詩「スミレは苔のはえた石の下で半ば人目にかくれて咲いている。空にひとつ光っている星のように美しい。」が有名。モーツァルトゲーテの詩に曲を付した「すみれ(Das Veilchen)」(K.476)もそれに劣らずよく知られている[7]。モーツァルト最晩年の歌曲「春への憧れ(Sehnsucht nach dem Frühling)」(K.595)第1番にもスミレが春のシンボルとして歌われている[8]1787年作曲の歌曲「夕べの想い(Abendempfindung an Laura)」(K.523)第5番には「すみれを摘んで僕の墓に置いておくれ」と歌われている[9]。フランスに移住し故郷のドイツを思ってハインリヒ・ハイネが歌った望郷の詩には、「ぼくは昔 美しい祖国を持っていた / そこでは 樫の木が / 高く育ち すみれは優しくうなずいてくれた / それは夢だった」とスミレへの憧れが表されている[10]。「ゲーテ以後の最大の抒情詩人と言われる」(小島尚)エドゥアルト・メーリケ(1804-1875)の詩「春だ」("Er ists”)―長篇小説「画家ノルテン」に挿入されている―においては、「すみれははや夢みつつ/やがて咲き出ようとしている」(小島尚訳)と詠われている[11]。なお、宝塚歌劇団のシンボル・ソングである「すみれの花咲く頃」は、1928年ドイツの元歌では「白いリラの花がまた咲くとき」(Wenn der weiße Flieder wieder blüht)である[12]オペラの世界では、ヴェルディの「椿姫」(La Traviata)のヒロインにヴィオレッタ(Violetta「すみれ」)の名が当てられている [13]

象徴[編集]

スミレをシンボルとする日本の市区町村[編集]

スミレをシンボルとする日本国外の自治体[編集]

日本のスミレ[編集]

リュウキュウコスミレ(沖縄県今帰仁村・2007年3月)
アカネスミレ(山梨県山中湖村・2007年4月)

スミレ属は世界の温帯に約400種、日本には約50種がある[14]しかしながら、地方変異やさまざまな変異があり、非常に多くの変種や品種が知られている。単なる形変わりと思われるものまで含めれば、学名が与えられているものの数は200にも達する。人目を引く色や姿であり、愛好家が多い関係もあるが、非常に変異の多いのもまた事実である。そうした背景に加えて我が国は世界の陸地のわずか0.3%の国土しか持たない狭い国土にもかかわらず世界のスミレ種の10%以上の種が存在し(変種、亜種、交雑種を含めればそれ以上)を産することから“日本はスミレ王国”とさえ言われる。[要出典]

スミレ属の種についてはウィキスピーシーズのスミレ属を参照


脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 上野紘機『スミレが、好き。』私家版、2022年3月15日、p.14
  2. ^ a b c d e f g In search of Queen Victoria’s favourite flowerEnglish Heritage, 18 January 2017
  3. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VIII. München: LexMA Verlag 1997 (ISBN 3-89659-908-9), Sp. 1447 (Beitrag von U.Stoll zu >Veilchen<).
  4. ^ Klementine Lipffert: Symbol-Fibel. Kassel : Johannes Stauda-Verlag 1976 (6. Aufl.), p.73. ISBN 3-7982-0095-5.- Wilhelm Molsdorf: Christliche Symbolik der mittealterlichen Kunst. Graz, Austria: Akademische Druck- u. Verlagsanstalt 1968, p.142.
  5. ^ Jacob und Wilhelm Grimm: Deutsches Wörterbuch. Band 25. (Zwölfter Band I. Abteilung).München: Deutscher Taschenbuch Verlag 1984 (ISBN 3-423-05945-1), Sp. 41.
  6. ^ ハンス・ザックス『謝肉祭劇集』藤代幸一・田中道夫訳 南江堂1979 (1097-001592-5626) 19-43頁には、「ナイトハルトと菫(三幕物)」が [本邦初訳] として紹介され、同書205頁には、同劇の1971年ニュルンベルク公演の模様が記されている。- 大澤峯雄『自我と世界――ドイツ文学論集――』同学社 1989、229-230頁。- この脚本は、ドイツ語原文では例えばHans Sachs, Fastnachtsspiele. Ausgewählt und herausgegeben von Theo Schumacher. 2., neubearbeitete Auflage. Tübingen: Niemeyer 1970. (= Deutsche Texte 6; ISBN 3 484 19014 0) S. 112-133で読むことができる。
  7. ^ 上野紘機『スミレが、好き。』私家版、2022年3月15日、pp.186-190
  8. ^ 田辺秀樹 『やさしく歌えるドイツ語の歌』日本放送出版協会 2006年12月10日 第3刷、p.95。ISBN 4-14-039434-X. なお、作詞は北ドイツの詩人クリスチアン・アドルフ・オーバーヴェック(1755-1821)による。
  9. ^ 田辺秀樹 『モーツァルト―カラー版作曲家の生涯―』新潮社新潮文庫草374 = 1) 1984年、180-181頁。ISBN 4-10-137401-5
  10. ^ 立川希代子「「橋」としてのハイネ」〔内田イレーネ・神谷裕子・神田和恵・立川希代子・山田やす子『異文化理解の諸相』近代文芸社2007 (ISBN 978-4-7733-7452-0) 所収 125-185頁の中、181頁〕
  11. ^ 安藤一郎/木村彰一/生野幸吉/高畠正明編『世界文学全集—48 世界詩集』講談社 1972年、435頁。
  12. ^ 田辺秀樹 『やさしく歌えるドイツ語の歌』日本放送出版協会 2006年12月10日第3刷 pp.20-23. ISBN 4-14-039434-X. - 再び白いライラックが咲いたら
  13. ^ Rosa und Volker Kohlheim: de:Duden. Lexikon der Vornamen. 4., völlig neu bearbeitete Auflage. Mannheim/Leipzig/Wien/Zürich: Dudenverlag 2004 (ISBN 3-411-04944-8), S. 302.
  14. ^ 『日本の野生植物 草本II離弁花類』(1999)、p.243

参考文献[編集]

  • いがりまさし『増補改訂 日本のスミレ』(増補改訂第2版3刷)山と渓谷社〈山渓ハンディ図鑑6〉、2008年7月1日。ISBN 978-4-635-07006-5 
  • 佐竹義輔大井次三郎北村四郎 他『日本の野生植物 草本II離弁花類』平凡社、1999年。ISBN 4-582-53502-X 
  • 豊国秀夫『日本の高山植物』山と溪谷社〈山溪カラー名鑑〉、1988年9月、315-327頁。ISBN 4-635-09019-1 
  • 上野紘機『スミレが、好き。』私家版、2022年3月15日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]