ジョー・メドウィック

ジョー・メドウィック
Joe Medwick
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニュージャージー州
生年月日 1911年11月24日
没年月日 (1975-03-21) 1975年3月21日(63歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手左翼手
初出場 1932年9月2日
最終出場 1948年7月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1968年
得票率 84.81%
選出方法 BBWAA[:en]選出

ジョセフ・マイケル・メドウィックJoseph Michael "Joe" Medwick, 1911年11月24日 - 1975年3月21日[1])は、1930年代 - 1940年代に活躍したMLBプロ野球選手左翼手)。ニュージャージー州カータレット生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Ducky"(子ガモ)、後に"Muscle"(マッスル)とも。1930年代の「ガスハウス・ギャング」と呼ばれたセントルイス・カージナルスを象徴する打者。

経歴[編集]

1911年、ニュージャージー州でハンガリー移民の両親の間に生まれる。1932年にカージナルスに入団。1年目に26試合に出場、打率.349を記録し、2年目からレフトのレギュラーに定着する。よたよたと歩く姿から、当初ファンに"Ducky"とあだ名をつけられていたメドウィックは、愛称ににつかわない激しいプレースタイルから、後にチームメイトに「マッスル」という別のあだ名で呼ばれるようになる。1934年に自身初めてワールドシリーズに出場した時は、長打を放った後三塁ベースに激しく滑り込み、対戦相手のデトロイト・タイガースの三塁手マーヴ・オーエンを引っ掛けた。デトロイトのファンからはゴミが投げつけられ、コミッショナーケネソー・マウンテン・ランディスから、第7戦の出場停止の処分を受けている。

その後彼のバットは1935年以降猛威をふるう。1935年に224安打打率.353、126打点を挙げたのをはじめ、翌1936年にはリーグ最多の223安打、打率.351、138打点を記録する。またこの年は、月間50安打をシーズンで二度達成するという記録も作っている。翌1937年がメドウィックの打撃成績のピークで、本塁打31本を放ち本塁打王となったのをはじめ、打率.374、154打点を挙げて三冠王に輝いた[2]。この年は更に最多得点、最多二塁打、リーグ最高長打率(.641)など打撃部門の成績を殆ど独り占めし、同年のリーグ最優秀選手にも選ばれた。更にこの年に出場したオールスターゲームでは、ゲーム史上初めて4安打を放った選手となった。

1940年6月12日にセントルイス・カージナルスからブルックリン・ドジャーストレードされた。その6日後の6月18日に悲劇が彼を襲った。カージナルスのボブ・ボウマン投手の投球を頭部に受けてしまったのである。ボウマンは試合前にホテルでメドウィックやレオ・ドローチャー(ドジャース監督)と口論になっていたので、「ビーンボールでは無いか」と疑われた。当のボウマンはドジャースのチャック・ドレッセン三塁コーチサイン盗みによって起こった事故だと非難した。カーブのサインを見るたびにドレッセンがいつも口笛を吹くと指摘している。ドレッセンの口笛を聞いたメドウィックはカーブだと決め付けて前方に踏み出したが、ボーマンは代わりにインコース高めに速球を投げ込み、投球はメドウィックの頭部を直撃してしまった[3]。直ぐに病院へ運ばれ、骨折はしていないものの脳震盪を起こしている事が判明した。MLBで打撃用ヘルメットが導入されるのはこれより30年以上も後、1971年まで待たなければならない。大方の予想に反して5日か6日で退院して直ぐにチームに復帰したものの、この事故以後の彼の長打力は鳴りを潜めてしまった[1]

1941年以降はドジャース、ニューヨーク・ジャイアンツボストン・ブレーブスなどを渡り歩き、戦後の1947年にカージナルスに復帰、1948年に20試合に出場したのを最後にメジャーリーグからは引退。その後は1952年頃までマイナーリーグでプレイしており、1949年選手兼任コーチでプレイしていたという。

現役引退後は古巣カージナルスのアドバイザーとしてスプリング・トレーニングにて指導を晩年まで行った。アメリカ野球殿堂入りについては前述の激しい気性からチームメイトや報道関係者との対立が多かったためか落選続きが長く、メジャーリーグでの最後のプレイから20年経った1968年にようやく投票により殿堂入り選手に選出された。

1975年3月21日心臓発作のため、フロリダ州セントピータースバーグで死去。63歳没。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1932 STL 26 109 106 13 37 12 1 2 57 12 3 -- 0 -- 2 -- 1 10 -- .349 .367 .538 .905
1933 148 626 595 92 182 40 10 18 296 98 5 -- 3 -- 26 -- 2 56 15 .306 .337 .497 .835
1934 149 646 620 110 198 40 18 18 328 106 3 -- 4 -- 21 -- 1 83 15 .319 .343 .529 .872
1935 154 670 634 132 224 46 13 23 365 126 4 -- 2 -- 30 -- 4 59 15 .353 .386 .576 .962
1936 155 677 636 115 223 64 13 18 367 138 3 -- 3 -- 34 -- 4 33 14 .351 .387 .577 .964
1937 156 677 633 111 237 56 10 31 406 154 4 -- 1 -- 41 -- 2 50 11 .374 .414 .641 1.056
1938 146 634 590 100 190 47 8 21 316 122 0 -- 0 -- 42 -- 2 41 21 .322 .369 .536 .905
1939 150 667 606 98 201 48 8 14 307 117 6 -- 14 -- 45 -- 2 44 15 .332 .380 .507 .886
1940 37 164 158 21 48 12 0 3 69 20 0 -- 0 -- 6 -- 0 8 8 .304 .329 .437 .766
BRO 106 452 423 62 127 18 12 14 211 66 2 -- 0 -- 26 -- 3 28 11 .300 .345 .499 .844
'40計 143 616 581 83 175 30 12 17 280 86 2 -- 0 -- 32 -- 3 36 19 .301 .341 .482 .823
1941 133 579 538 100 171 33 10 18 278 88 2 -- 2 -- 38 -- 1 35 20 .318 .364 .517 .881
1942 142 587 553 69 166 37 4 4 223 96 2 -- 2 -- 32 -- 0 25 15 .300 .338 .403 .742
1943 48 184 173 13 47 10 0 0 57 25 1 -- 0 -- 10 -- 1 8 4 .272 .315 .329 .645
NYG 78 336 324 41 91 20 3 5 132 45 0 -- 3 -- 9 -- 0 14 13 .281 .300 .407 .708
'43計 126 520 497 54 138 30 3 5 189 70 1 -- 3 -- 19 -- 1 22 17 .278 .306 .380 .686
1944 128 535 490 64 165 24 3 7 216 85 2 -- 6 -- 38 -- 1 24 12 .337 .386 .441 .826
1945 26 97 92 14 28 4 0 3 41 11 2 -- 3 -- 2 -- 0 2 3 .304 .319 .446 .765
BSN 66 231 218 17 62 13 0 0 75 26 3 -- 0 -- 12 -- 1 12 6 .284 .325 .344 .669
'45計 92 328 310 31 90 17 0 3 116 37 5 -- 3 -- 14 -- 1 14 9 .290 .323 .374 .697
1946 BRO 41 85 77 7 24 4 0 2 34 18 0 -- 1 -- 6 -- 1 5 1 .312 .369 .442 .811
1947 STL 75 166 150 19 46 12 0 4 70 28 0 -- 0 -- 16 -- 0 12 3 .307 .373 .467 .840
1948 20 20 19 0 4 0 0 0 4 2 0 -- 0 -- 1 -- 0 2 1 .211 .250 .211 .461
通算:17年 1984 8142 7635 1198 2471 540 113 205 3852 1383 42 -- 44 -- 437 -- 26 551 203 .324 .362 .505 .867
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]


表彰[編集]

  • 記録
    • 最多安打:2回(1936年 - 1937年)
    • 最多二塁打:3回(1936年 - 1938年)
    • 最多三塁打:1回(1934年)
    • 最多塁打:3回(1935年 - 1937年)
    • 最多長打:3回(1935年 - 1937年)
    • 最多得点:1回(1937年)
    • 三冠王:1回(1937年) ※ナ・リーグ三冠王はメドウィック以来誕生していない
    • ワールドシリーズ出場:2回(1934年、1941年)
    • オールスターゲーム出場:10回(1934年 - 1942年、1944年)
    • MLBオールセンチュリー・チームにノミネート(1999年
    • 2か月連続月間50安打(1936年7月 - 8月) ※メジャータイ記録。2004年にイチローが68年ぶりに達成し、記録が注目された
    • シーズン二塁打数:64(1936年) ※メジャー歴代2位タイ

脚注[編集]

  1. ^ a b Joe Medwick” (英語). SABR.org. 2021年5月8日閲覧。
  2. ^ なお、ナショナル・リーグにおいては1937年のメドウィックを最後に三冠王が出ていない。その後三冠王を達成したテッド・ウィリアムズミッキー・マントルフランク・ロビンソンカール・ヤストレムスキーミゲル・カブレラは達成時はいずれもすべてアメリカン・リーグ所属チームに在籍していた。
  3. ^ ブライアン・マッケンナ (英語). Early Exits: The Premature Endings of Baseball Careers. Scarecrow Press. p. 115. ISBN 978-0810858589. https://books.google.co.jp/books?id=UyUNlDsfSaYC&pg=PA115&dq=joe+medwick+retired&hl=en&sa=X&ei=3D4bUqb7G4jg2gXf24GIDw&redir_esc=y#v=onepage&q=joe%20medwick%20retired&f=false 

関連項目[編集]

出典・外部リンク[編集]