ジョニー・ウィルキンソン

ジョニー・ウィルキンソン CBE
フルネーム Jonathan Peter Wilkinson
生年月日 (1979-05-25) 1979年5月25日(44歳)
出身地 イングランドの旗 イングランドサリー州
身長 1.78 m (5 ft 10 in) [1]
体重 89 kg (14 st 0 lb) [1]
学校 Lord Wandsworth College
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション フライハーフ、インサイドセンター
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
Farnham ()
更新日:  8 July 2014
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1997–2009
2009–2014
ニューカッスル・ファルコンズ
トゥーロン
182
141
(2,049)
(1,884)
更新日:  8 July 2014
代表
チーム 出場 (得点)
1998–2011
2001, 2005
イングランドの旗 イングランド
イギリスの旗 B&I Lions
91 [2]
6
(1,179)
(67)
更新日:  8 July 2014
公式ウェブサイト
http://www.jonnywilkinson.com

ジョニー・ウィルキンソンJonny Wilkinson)、本名ジョナサン・ピーター・ウィルキンソンJonathan Peter Wilkinson CBE1979年5月25日 - )は、イングランドの元ラグビー選手。元イングランド代表スタンドオフ(フライハーフ)。サリー州フリムリー出身。身長178cm、体重89kg。2014年5月31日の試合を最後に引退。

歴代最多のワールドカップ通算277得点(1トライ、28コンバージョン、58ペナルティゴール、14ドロップゴール)を記録するなど、2000年代のラグビー界を代表するスター選手だった。クラブでも活躍し、所属チームのRCトゥーロンをフランス・チャンピオンに導いた。

来歴[編集]

少年時代からラグビーのイングランド代表になることを夢見ており、ラグビーのみならず、テニスクリケットバスケットボールなど多くのスポーツに親しむ。学業にも優れ、高校卒業後はダラム大学に進学した。しかし、ニューカッスル・ファルコンズへの入団が決まったため、1997年に退学した。

1998年4月4日、18歳でイングランド代表デビュー。翌1999年にはラグビーワールドカップに出場。2000年シックス・ネイションズでは主力としてプレーし、同年と2001年のイングランドの連覇に貢献した。

2003年ワールドカップでは大会を通じて大車輪の活躍をみせた。準決勝のフランス戦では自身のキックだけで23点を記録し、28対17での勝利の立役者となる。オーストラリアとの対戦となった決勝では延長残り30秒からドロップゴールを決め、チームを優勝に導いた。この大会ではドロップゴールやペナルティゴールなどキックのみで113点をたたき出し、トライを獲らずに得点王に輝いた。また、イングランドの得点の8割がウィルキンソンのキックから生まれたものであった。

2004年には代表での活躍により大英帝国勲章を授けられ、ローレンス・ダラーリオに代わる代表の新キャプテンに指名された。しかし、肩、腕、膝など相次ぐ故障に苦しみ、試合から遠ざかる。2005年にはブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズのニュージーランド遠征に参加した。また、ニューカッスルの一員として来日したが、怪我のため欠場した。2006年のシックスネイションズでは全5試合に出場したが、彼のコンディションについては懐疑的な声も寄せられた。

2007年のシックスネイションズにおけるスコットランド代表戦では27点を記録(内訳は1トライ、2ゴール、5ペナルティゴール、1ドロップゴール)し、42対20での勝利に貢献し、復活を印象づける。続くイタリア戦では15点を挙げ、シックスネイションズでの通算得点を歴代最多となる421点に伸ばした。

直前まで怪我に苦しみながらも、同年のワールドカップでも代表入り。最初の2試合こそ欠場したが、オーストラリアとの準々決勝ではチームの総得点となる12点を挙げ、試合に勝利すると同時に通算231点でワールドカップの最多得点記録保持者となった。準決勝のフランス戦では追い詰められた状況から40メートルのドロップゴールを沈め、14対9での勝利を演出。南アフリカとの決勝戦には敗れたが、その活躍は不振のイングランドを蘇生させたと讃えられた[3]

2008年、シックスネイションズにおけるイタリア代表戦で代表通算1000得点を達成した。しかし同年9月に怪我で所属チームを離脱しシーズンを終えた。

2009年、フランスのRCトゥーロンと2年契約を結び、12年間にわたって在籍したニューカッスル・ファルコンズを離れた。

2011年12月、自身のウェブサイトで国際試合からの引退を発表した[4]

2014年5月31日の引退試合はフランスのトップ14決勝戦だった。RCトゥーロンは、前年の決勝戦では苦杯を舐めさせられたカストル(Castres Olympique)を18-10で下したが、キャプテンのウィルキンソンは15ポイントを得点するなど大活躍し、試合後、サンドニ競技場にはファンによるイギリス国歌の歌声が流れた。外国の国歌を歌うというのは異例だが、サー・ジョニー・ウィルキンソンに親愛と敬意を表してのことだった。 なお、RCトゥーロンはすでに5月24日にカディフを23-6で下し欧州杯(ハイネケンカップ)二連覇を決めている。

人物[編集]

キック前に精神統一を図るウィルキンソン

左利きながら両足とも正確無比のキックの技術を誇る。プレースキックを蹴る前には、両手を組み精神集中を図ることが多い。キックが注目されがちであるが、激しいタックルも持ち味である。

甘いマスクで、イギリスではベッカムと並んで人気のあるスポーツ選手であり、通称「ラグビー界のベッカム」。本家ベッカムとはアディダスのCMで共演し、サッカーボールでのフリーキックやラグビーボールでの華麗なリフティングを披露している。

2013年10月28日に、トゥーロン近郊のバンドル市役所において、8年来同棲していたシェリー・ジェンキンスと結婚した。式はごく内輪なものだった。

2015年ラグビーワールドカップイングランド大会の開会式で披露された「1823年ラグビー校でのラグビーフットボール発祥の故事」を再現したショートフィルムに「ラグビー校の庭師」役としてヘンリー王子とともにカメオ出演した。ボールを抱えて疾走する少年を見て「彼は何をしているんだ?」と「庭師ヘンリー」に言葉をかけた(「庭師ヘンリー」は「気にするなジョニー、あんなもの(のちにラグビーフットボールと呼ばれるもの)、絶対に流行らん」と応じた)。

兄のマーク・ウィルキンソン英語版もニューカッスル・ファルコンズでプレーしたラグビー選手である。

練習量が非常に多く、練習の重要性も非常に理解していることでもしられているが、サンドイッチをほおばりながら、キックの練習をしていることがあるなど(それだけ練習が大好きという姿勢であるかもしれないが)真摯とはいえない一面もあった[5]

記録[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b RFU England Player Profile, Jonny Wilkinson”. Rugby Football Union. 2011年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月23日閲覧。
  2. ^ Jonny Wilkinson | Rugby Union | Players and Officials | ESPN Scrum”. Scrum.com. 2013年8月14日閲覧。
  3. ^ 情熱の男が牽引したアルゼンチンの快進撃。 NumberWeb 2007年11月15日
  4. ^ イングランドのウィルキンソンが引退 nikkansports.com 2011年12月13日
  5. ^ 『ぐんぐんうまくなる!ラグビー』114頁。

外部リンク[編集]

受賞や功績
先代
フランスの旗 ファビアン・ガルティエ
IRB年間最優秀選手賞
2003
次代
南アフリカ共和国の旗 スカルク・バーガー
先代
ポーラ・ラドクリフ
BBCスポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー
2003
次代
ケリー・ホームズ
タイトル
先代
マーティン・ジョンソン
ラグビーイングランド代表キャプテン
2003/3
次代
マーティン・ジョンソン
先代
ジェーソン・ロビンソン
ラグビーイングランド代表キャプテン
2007/6
次代
フィル・ヴィッカリー